今は観念のあなた

ごきげんよう、美禰子です。

私はいじめなどによる理由により、小学校5,6年のときと中学2,3年のとき不登校でした。

だからラオスに小学校がとかいう話題が正直なところ苦手です。学校に行きたくても行けない人がいるのにとよく他人から責められました。自分でも責めました。だったら私の持ってる全て持たない人にあげるから。私と変わってあげるから。と切に願っていました。でも私は他の人と変わることは出来ないんです。

不登校が問題とされてる時期でした。不登校という事象にはたくさんの背景があります。不登校だけガン細胞のように、切除しようとしても、ガンになりやすい体質は改善されません。不登校している私が問題児でしたが、不登校になる環境をつくっているのも問題ですよね。

私は学びたかった。でもそれが叶わないのが学校だった。なんだろう、この矛盾。

学校の外はいつも煌めいていて好奇心に満ちた眼差しは、学校の窓の外をみつめていた。

なんで学校は牢獄のような場所になったんだろう。その一つの答えを堀江貴文さんの本で見つけました。

端的に言えば産業革命に均質化した労働者を育てるために学校が設置されたとのこと。つまり学校自体が時代錯誤の存在になりつつあるんですね。確かにチャイムを合図に勉強したり休んだり。思い切り労働者の生活リズムです。私はそれが嫌になったわけではなく、それが嫌になった同級生から迫害されたわけです。成績優秀といういい子の形で順応してたから。

ラオスでは成績優秀者は憧れ。だって貧乏から"私たちですら"救ってくれる存在だから。その人はヒーロー。でも、日本では成績優秀者は自分の劣等感を刺激する存在。大事に唯一無二の存在として、かしづき育てられた大切なお子様が、自尊心を傷つけられるのが、成績表という席次と、偏差値という序列です。彼らにとって成績優秀者はヒーローではありません。私たち労働者を搾取する側に転化する可能性がある敵です。彼は私たちを救うどころか永久に私たちを酷使します。だから無意識に排除しようとします。

私たちは道路をつくる労働者たちを軽視する傾向にあります。土方という差別用語もありました。だから道路は私たちのために作られて当然のものなのです。

感謝することから始めようという心がけがあります。意識を例えばこのスマホに持っていくと、私が打ってるこの文字の伝統を感じます。敗戦しても滅びなかった文字。さらに自分ではよく理解できないスマホの仕組みを考えて生産している人々。先進国しか最新版を買うことができないスマホ。持ってる豊かさ。さらにはこれで繋がれる様々な人。言語を変えれば世界中の人と繋がれる。感謝しか感じ取れない。これなんです。

感謝からうまれる想像力

私は会ったことも見たこともない人々にいつも救われてました。死にたくなる夜は彼らが存在理由になりました。だから敢えて瀬戸口さんのように会いにいく必要はないのかもしれません。私は自分の外ではなく自分の内側に旅したから。でも、行った人にしかわからない空気や香りやらは味わえないのよね。でも確かに私の中には名前すら知らない彼や彼女が住んでいて語りかけてくるのです。体調的に厳しいけどいつか一人でも名前を知れたらいいな。今は観念のあなた。


参考にしたnote

恒例のまあやさん

期待されるって嬉しいことばかりじゃないはず。だからレターに込めた思い。

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拙い文章ですが、頑張ってではなく、頑張りましょうにしました。これは西野さんが被災地支援のときいつも頑張ってくださいではなく、頑張ろうと、自分も共同する姿勢を短い言葉に込められているからです。私も頑張ります。一緒に頑張っていきましょう!

今日も良き日を。

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