勉強への熱意

ごきげんよう。私の学習歴について書いてみます。小学校4年生までは順調でした。小学校5年生から不登校になり、6年生も不登校でした。でも図書室の本だけは読んでいました。塾に行っていたわけでもないです。塾に行きたいと母に頼んだら母子家庭だから行けないと殴られました。それでも3カ月だけ進学塾に通わせていただいて、みんなが小学校4年生から塾通いしていく私立中学校に合格しました。入ってからも学年4位、河合塾の模試では学年2位など、冊子にも名前が乗りましたが、灘、開成コンプレックス。彼らが受けてない模試でいくら点数がよくても意味がなく嬉しくなかったのです。

でもやっかみはきます。寮生で同じ勉強時間なのに私に負けるから面白くない子たち。別の子には勉強時間の干渉までしていました。なんて狭い世界で足を引っ張りあっているんだろう。私は中学校2年生から学校にいかなくなります。寮もやめて下宿しました。

中学校3年生からは地元の公立中学に行きました。といってもほとんど登校してません。内申点ほぼ0で特待生試験に合格し、高校生になりましたが、その時はすでに病気で2カ月で高校を中退しました。

暗黒期ののち、高認取得から一年で大学に合格します。そこで5コマ×5日間×優×皆勤賞+医学部図書館で12時まで勉強+土日は河合塾KALSと頑張り抜きましたが、今の大学では好きな人を救えるほど賢くなれないと判断し、文京区本郷に住みました。郷にいらずんば郷に従え。東京大学がある場所です。

そこで私はなんと、東京都お受験文化に遭遇しました。今東大はその文化の中にいないとなかなか入るのが厳しいらしく、私はラッキーでした。でも授業はエリート中学生と受けていました。このおもしろい逸話はいつかまたします。お受験文化で育った東大生や東工大、慶応、早稲田生と、なんかわからないカオスな東大理科三類志望の私。そこに発生するのは恋心です。それしかない!

で、私は結婚より理三じゃーっと破天荒になりいろいろやった挙句(この逸話ものちに)病気を再燃させ帰郷...

九医生にリハビリみたいに数学ならうなか、彼が通ってた駿台に通うことに。ただ、中学校数学の方程式がわからないと数学科のGODに質問したら、そんな駿台生あなただけです!と言われて、そうなんです!私駿台に入れてびっくりして幸せでしたー!と先生もびっくりの返答をし(普通は嘆き哀しむよね)どうすっかなーと考え、定時制高校に入りました。といっても一般的な定時制高校ではなく全国屈指の定時制高校。人気のある高校で現役生がほとんどです。私は3年間そこで修行しました。今は実は予備校生です。

定時制高校なため進学校と違い色んな人がいて、九医や早慶に受かる子は塾通いしてるなか、20歳overの私は駿台にも河合塾にも現役生としていれてもらえず、挙げ句の果てに初めての身内の死もあり、受験前に入院して追い込みができずにまた、センター対策できずに浪人しました。治ってません。治る病気ではないから。

去年は京大特色入試と、京大一般入試前期文学部、後期法学部をうけましたが落ちました!

こんな人の笑うような人生ですが、懸命に生きてます。私の病気だと高校卒業だけでもすごいのですが、病気の私は忘れて、京大に懸命になります。今は予備校の京大コースにいます。一番の落ちこぼれです笑

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