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新年の祈願を携え、詣参る

三連休中日である日曜日。
三が日は終わってしまっているけれど、着物姿の若年層を尻目に、浅草寺へ初詣へ行ってきた。
ピークをずらしての初詣の波なのか、浅草寺は人が多かった。
また、観光客なのか、外人さんをよく見かけた気がする。

昨年は三が日内に明治神宮へ参拝した。
これまではサービス業をずっとやってきていたから、三が日は絶対に参拝できなかったし、三が日以降に初詣へ行こう、という気も起きなかった。
だから、明治神宮へ行くのも初めてだし、三が日中の真っ昼間に参拝するのも初めてだった。
さすが明治神宮、とでも言うべきか、激混みで、お賽銭を投げるまでにだいぶ並んだ昨年だった。

初詣に関わらず、神社へ行くと、お賽銭を投げて願いを呟くわけなのだけれど、わたしはこれがちょっと苦手だ。

祈願に苦手も何もなかろう?と思われるかもしれない。
正確には苦手、ではなく、途方に暮れてしまう、と言うほうが正しいかもしれない。
お賽銭を投げていざ願掛け、と言う段階になると、さて、何を願おう…となり、あたふたしてしまうのだ。

昨年の明治神宮も結局あたふたして、健康に生きれますように、なんて「祈願 How to」本にでも書いていそうなテンプレート祈願をしてきた。
いや、それが悪いって言うわけじゃないのだけれど…。
厄年だったのだから、もう少しちゃんと考えてお願いしてくればよかったと、少し欲を出して後悔していた。
なので、今年は後厄だし、初詣に行く、と決めていたから、ちゃんと今年一年の祈願を考えて、参拝しよう!と思ったわけなのである。

そう思うと良いもので、今更ではあるのだけれど、昨年一年間の振り返りをし始めた。
昨年はどう言うことが多かったかな、とか、どう言うことでちょっと苦労したかな、とか、どう言うことがあるとストレスが多かったかな、とか。

昨年前半は、入っていたプロジェクトできつい人がいて、本当に泣きそうになりながら仕事をしていた。
後半からは、プロジェクトが変わり、研修を終えた新入社員の後輩が入ってきた。
厳しくはないけれどやることの多いプロジェクトだから、なかなか後輩の面倒など見れず、彼らのタスクのコントロールもできず、イライラしたりした。

なんてことを思い返していて、考えたのは、
「人に優しく。心は極力穏やかに」
と言うことだった。

その祈願を胸に、浅草寺へ詣参った。
神様に、そうなれますように、ではなく、極力そうなれるように、ご助力ください、とお願いしてきたのだった。

昨年を振り返って、用意してから参拝した初詣。
多分、そうやって、新年の祈願をする方が、今年一年、しっかり祈願した内容を覚えていられる気がする。
今年は後厄で、本厄よりも宜しくないと聞くけれど、祈願したことを胸に、ご助力頂けるように、まずは努力して生きていこうと思う。

おしまい

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