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「高価な物は壊れない」神話を何故か信じていた

今月末までAppleがお馴染みの分割金利0%をやっていたので、MackBook Proを新調した。
オプションで色々と変えたので、すぐには届かないけれど、4月1週目あたりには手元に来ている予定なので、いまからそわそわしている。

もともとMackBook Proを使用していたのだけれど、下取りに出そうかと思って製造情報をみて愕然とした。

Mid 2012

9年前。もはや10年選手と呼んでも過言ではない。
確かに20歳ごろに、トロイの木馬にやられたVAIOの代わりに、型が1つ古いがために安くなっていたのを買ってもらった記憶がある。
物理的になかなか過酷な環境でも酷使していただけに、よくぞ持ったと思う。

ちなみに動きはするけれど、手の置き方によって、画面にさざ波が立つ。

何物も寿命がある。
それをいつも、何故だか失念する。

高いお金を出して買ったものは、ずっと使えるものだ。
壊れる事なんてきっとない。
そんなふうに思っている節がある。
どうしてそう思うようになったのかは分からないけれど。

去年の冬も暖房器具が働いてくれなくなったので、慌てて新しいものを購入したのを覚えている。
今年も使えるものと思って出したのに、電源は付けど、一向に発熱しないパネル。
修理したものかどうか悩んで出した取説には、3年前に購入したことが記載されていた。

「まだ使える」と思って使っているものは多い。
新しいものを買うということには、エネルギーが必要だったりする。
特に高いものは。
だから先延ばしにしたり、見て見ぬふりをしたりする。

そういえば、そんなものが多いのかもしれない。
MackBookを購入し終えた深夜近く、ふと周りを眺めていて思った。
新しいものに囲まれたいわけではない。
けれど、新しくすることで、整う生活というものもあるのだと思うのだ。

おしまい

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