かぐやSFコンテスト応募作「ユンファ」

 曲を弾き終えると、なぜか観客がいた。その客は拍手をして、立ち上がった。
「良いね、ポロネーズ第6番、通称英雄ポロネーズ。力強くて、僕はショパンの中で一番好きだ」
 フレデリック・ショパンを知っている人間がいるとは思わなかった。ショパンコンクールが無くなってから、もう半世紀近く経つ。
 何より僕を驚かせたのは、その相手があのユンファだったことだ。僕が返答に困っていると、ユンファは自分の手を僕の手に添えた。
「この地点から再び曲を弾くこともできる。ド、か、レか、それともピアノの枠を叩こうか。選択はプレーヤー次第だ。しかし、決定をすればショパンの曲ではなくなる」
 ユンファは僕から離れ、ポケットに手を突っ込んだ。
「ショパンを君も好きなのかい?」
 僕は驚きを飲み込みながら頷いた。
「そうだね、演奏するくらいには好きだ」
「良いね、その基準」
 くすくすと笑い、肩を大げさに揺する。背が低いのに妙に大人ぶったやつだと思った。
 ユンファの名前は、校内のみならず世界中に知られていた。10代にして、希代のリーダー。ベストセラーとなる作品を何作も発見し、彼が発表するごとに文学史は更新される。
 彼のような存在は貴重だ。無数のAIが創作活動を続け、ネットに放出し続ける世界。そこで人間の創作は意味を持たない。素晴らしい作品を見つけ出すことこそ、重要な能力だ。彼が発見する作品を欲する出版社はあとを絶たないという。僕とは住む世界が違う人間だ。
 実際会ってみても、そのオーラに気後れしてしまう。知的で、品性の高さに満ちた顔立ちだ。これを表で話せば、優生学的だと批判されてしまうだろう。
 この出会いで僕はユンファと親友になった。
「素晴らしい成績だ」
 先生はいつものようにユンファを褒めた。複素解析学Ⅱの授業でユンファはS評価を獲得した。とはいえ、さきほどの統計力学でもS評価を貰っていたから、目新しい光景ではない。僕はどれもC評価だ。
 ユンファを悪しざまに評価するクラスメイトはたくさんいた。ほとんどは嫉妬で、それは人間には逃れられない本能だから仕方がない。リーダーを目指している生徒はたくさんいたし、何よりユンファが軽く披露する能力を欲する生徒はもっとたくさんいたのだ。
 ユンファは人と交わらず、授業が終わると姿を消していた。しかし、彼の居所は僕には分かった。
「君の演奏技術には感心するよ」
 ユンファは僕より先に音楽室に来ていた。ユンファは鍵盤から細く白い指を離す。フランツ・リストの超絶技巧練習曲第4番を弾き終えたというのに、ユンファの息は落ち着いている。
「君はクラシックも弾けば、ジャズも弾く。ああ、ボウイを演奏していたこともあったね」
 ユンファの誉め言葉に僕は気恥ずかしくなる。
「人間が作曲したものが好きだからさ」
 僕はなるべく小さな声で答えた。すると、ユンファは眉を吊り上げた。
「けれど、番号8099790567を演奏していたじゃないか」
 ユンファの答えに僕は赤面した。
 番号8099790567、通称『白雪の埋葬』は、80年前、音楽生成プログラム『Kiṃnara』によって作られた曲だ。それから40年後、レベッカ・スコルプコに発見され、瞬く間に流行した。レベッカはこの曲のおかげで一流リスナーの仲間入りを果たし、次々と名曲を世に送り出した。
「君ほどのリスナーなら、あれを美しくないとは言わないだろ?」
 ユンファは意地が悪い。『白雪の埋葬』は名曲だ。それがたとえ、感情グラフに則ったものだったとしても、胸が締め付けられる感覚を覚えたのだから。とはいえ、ユンファの言葉に僕は反発心を覚える。
「それでも人間が作ったものは好きだよ。そこにはバックグラウンドがある。ショパン以外の存在がショパンの曲を作ったところで、ワルシャワの人々は心を掴まれただろうか」
 僕が振り返ると、ユンファは床に寝そべっていた。
「失われたショパンの楽曲はたくさんある。過去を遡れば、ショパン風、と題された曲は山のようにあるさ。その中に名曲とされるものもある。それがショパンの未発表曲と一致していたら?」
 僕は言葉に詰まった。AIが星の数ほどいる時代、人間が作ったものなんて、すぐに見つかってしまう。ショパンが破いて暖炉に捨てたかもしれない曲を、僕が聞いていない保証はどこにもない。だけど、僕は意地を張って首を振る。
「芸術は文脈だ。知識がないと解釈できない」
「だから、僕がいる」
 ユンファは起き上がった。ポケットから檸檬味の飴を取り出す。
「僕たちリーダーは、無秩序に生成された作品に文脈を与える。僕らに発見されない作品はただのゴミだ」
「傲慢だね」
「いや、僕らの限界だよ。ゴミだって、50年経てば名作に変わるかもしれない。死んだジム・トンプソンが通俗作家ではなくなったように。60年前、ソシエ・アンドウが薄汚い豚の糞と断じたoij394-un934-0ih9が誰もが知っている『蟻鼠の木曜日』となったように」
 ユンファは飴を噛み砕いた。ユンファの目に少し影が掛かる。
「全てを読むことはできない。全てに意味はつけられない。僕は意味もない文字列をただ読んでいるだけかもしれない」
 ユンファがナイーブになっていることに気がついた。
「今まで人に見せたことはないんだけど」
 僕は鞄からノートを取り出す。ユンファは受け取ると、さっと全てに目を通した。そこには鉛筆で譜面が記されている。消しゴムで何度も擦ったせいで、紙は薄くなっている。
「5933958h-029540に似ているな……。書き写したのか?」
「僕が作ったんだよ」
 似ている、と言われたのはショックだった。しかし、僕以上のショックをユンファは感じたようだ。
「作曲しているのか? わざわざ?」
「ああ、わざわざ」
 だけど、僕の皮肉な口調はユンファには伝わらなかった。ユンファは頭をかきむしり、ピアノの周りを歩く。
「無駄な行為だ。まだ発見されていない曲は銀河に溢れるほどあるというのに」
「無駄じゃないさ」
「君の人生の無駄だと言ったんだ。君の知識さえあれば、名曲を発見できるんだぞ。こんな車輪の再発明をしなくても」
 ユンファは僕の両肩を押さえた。
「AIは生成を続け、そこには僕ら人類が100年経っても編みだせなかった楽曲が埋まっている。君が生涯で作る音楽は既にAIが全て作曲しているし、誰かが今、見つけ出しているかもしれない」
 ユンファは僕から離れ、窓枠に寄り掛かる。外には適正化された空気しかないはずだが、ユンファは大きく息を吸う。僕は肩をすくめた
「ま、そうかもね」
 ユンファの眉が吊り上がる。
「なら、君は何のためにこんなことをするんだ」
 ユンファが僕の楽譜を叩く。僕はユンファから楽譜をそっと取り戻す。
「楽しいからだよ」
 ユンファは目を見開いた。そして返答する言葉を練り込むように、口の中で舌を頬に当てる。
「楽しい、か。その答えは予想していなかった」

「これで合っているでしょうか」
 統括ディレクターが僕の顔色を窺った。母校を再現した空間はよく出来ていた。思わず、郷愁に浸ってしまった。ただ、僕の記憶にあるのはユンファのことばかりで、細部までよく記憶していない。
「よく出来ていると思うよ」
 僕はそれだけ言った。そろそろ空間を出ようと思ったが、ふと思いなおす。
「少し一人にしてくれないか。もう少しだけ、思い出を味わいたい」
 すると、誉め言葉と受け取ったのか、ディレクターは満面の笑みで頷いた。
「では、後ほど」
 ディレクターの姿が消えた。
 僕らの学校は小惑星との衝突で消滅した。それ以降、ユンファの行方は誰も知らない。宇宙空間に投げ出されたとも、建物の下敷きになったとも言われる。彼のことだ。死ぬ直前まで、ここでピアノを弾いていたのかもしれない。
 僕は鍵盤に指を置く。僕の指の動きに合わせて、鍵盤は動いた。細部までよく出来ている。弾いているときの感覚はあの頃そっくりだ。そうだ、このピアノは少し重いんだった。
 始まりはゆっくりと、中盤は軽快に、そしてラストは激しく。僕の額から汗のエフェクトが飛び出す。
 曲を弾き終えると、なぜか観客がいた。その客は拍手をして、立ち上がった。
「さすが、上手いね。世界有数のリスナーになっても練習は怠っていなかったようだ」
 なぜか、ユンファがそこにいた。あの頃の姿のままで、あの頃の口調のままで。
 僕が驚きで言葉を出せずにいると、ユンファは眉を吊り上げた。
「僕の姿は君の記憶の産物だともいえる。君の記憶がこの空間に介在しているかもしれない。ま、端的に言えば幽霊だ」
 ユンファはピアノに寄り掛かった。
「で、それは何の曲だい? 649594035468-92942490293に似ている気もしなくないが……」
「『ユンファ』。僕たちだけの曲だ」
 ユンファはくすくすと肩を揺らして笑った。この曲始まりはユンファとの出会い、中盤は彼と過ごした日々、ラストは絶望。
 曲の真のバックグラウンドは僕たちだけしか分からない。
「そうだね」
 ユンファが僕の隣に座る。
「これは僕たちだけの曲だ」
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