カフカが現代に生きたら
図書館でこんな本を見つけた
著者の頭木弘樹氏はラジオ「絶望名言」でよく聴いていた。
さて
カフカと言えば、朝起きたら虫になってたという奇妙な小説「変身」
小説「変身」は途中で読むのをやめてしまったが、
頭木氏の「絶望名人 カフカの人生論」は一気に読んでしまった。
小説家なんて変わった人が多いから、
カフカも相当な変わり者だろうくらいの認識だった。
実際、
かなりの変わり者ではある。
だけど
変わり者
だけど、
共感もまた深い。
カフカの
絶望の淵に自分の身を置く姿は
自分に
引きこもりに
ニートに
親ガチャに苦しむ者に
投影する何かがある。
頭木氏も指摘しているが、
ずっと愚痴を言っているのだ。
私と同じだーーーーー
なんて共感する。
100年前も
今も
そう変わりがないのかもしれない。
カフカは文章に残したから、心象風景がはっきり見える。
100年前もカフカみたいな人もいただろう。
今はインターネットを通じて発信できる時代だが、カフカみたいな人はすぐには見つからない。けれど、実際には相当いるはずだ。
では
カフカが現代に生きたら?
これはもちろん仮定だ。
IFなんてない!
って言われればそれまでだけど、
IF を置くことで輪郭がはっきりすることがある
その辺りを考えた。
つまり、現代では思い込みを外す方法論が確立されている。
果たして、
現代にカフカが生きたら、思い込みを外しただろうか?
とも言い換えられる。
カフカも
今でいう毒親、あるいは親ガチャに苦しむ若者だった。
父親に
10日間かけて相当な分量の愚痴だらけの手紙を書いている。
36歳の時に。
(ちなみにカフカは41歳で亡くなっている)
カフカはおそらく思い込みを外すことをしなかっただろう。
自分にはできないと思い込みたいからだ。
そこも私と一緒だ
人のせいにする事で、今の自分を正当化して生きることを選んでいる。
言うなれば、自分の世界に勝手に監獄を作っていると言える。
監獄(パノプティコン)という自ら作った檻に自ら入っていく。
これは
不幸になることで親に復讐する姿とも言える。
参考
「監獄の誕生」の解説動画 (アバタロー)
ここまで来て恐ろしい想像が浮かぶ。
カフカが川の向こうから私を見ている。
はっきりした表情ではないが、なんとなく喜んでいる
歓喜の喜びではない
人が自分と同じように堕ちていくことを喜んでいる
ここに至って疑問が湧く。
命と命の働きに感謝しているだろうか?
カフカを讃える人は多い
私も大好きだ
だったら
命に感謝する生き方をしよう。
ありがとうございました。
ご縁に感謝です。サポート頂いたら、今後の学習投資に使わせて頂きます。