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二元論から一元論へ 恐れから愛へ



コロナウィルスでなんとなく感じていたことを
天外伺朗氏が
わかりやすく書いていた。

二元論とは
良いか悪いか
正義か悪か
正しいか正しくないか

はっきりしてわかりやすい反面、
人間のすることは
そうはっきりしたものではない。

例えば、
正義の名の下に戦争をすることを
果たして良いと言い切れるだろうか?

そんなことを書いてみよう。


1 引用 天外レポート


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天外レポート No.139
いま、多くの人の心の構造は、表に出している「こうあるべきだ」という「ペルソナ(仮面)」と、無意志レベルに抑圧している「こうあってはいけない」という「シャドー(影)」に分かれている、と深層心理学は説いています。これが「分離」と呼ばれている状態です。
心の内側が分かれていると、それを通して外界を見るので、すべてが「正義と悪」などというパターンに見えてしまいます。「シャドー」は「自己否定感」の源泉であり、「分離」が激しい人は「怖れと不安」にドライブされた人生を歩んでいます。
このコロナ禍で、人々の「分離」の症状がとても顕著に観察されました。
「怖れと不安」に駆られた人たちが慌てふためくと、集団的パニックになります。トイレットペーパーやマスクの買い占めなどは、そのひとつの例ですね。
「マスクしてないなんて、非常識だ!信じられない」、「東京に住んでいる人は、帰省するな!」などという強い意見、あるいは感染者が出ると、その人を村八分にしたり、その集団を極端に排斥する動きが出たり、他県ナンバーの車に目くじらを立てたりしたのは、この「怖れと不安」の極端な例です。
もうひとつの問題点は、逆に「怖れと不安」に駆られた人たちを批判する強い主張です。「自粛する人たちは怯えすぎだ」、「マスクしているのって意味ないこと知らないの?」、「あんたたちは洗脳されているよ!」、「コロナなんてただの風邪じゃん」、あるいは「自粛しているのは経済を考えない幼稚な人たち」とかいう意見がそうです。
主張している内容は正反対ですが、じつは心理学的には両者とも同じパターンにはまっています。自分の主張が絶対的に正しいと信じ、一方的な決めつけで相手を非難し、「どうしてこんな簡単なことがわからないんだ!」と、信念の違う人を徹底的にバカにするという姿勢が共通なのです。これは、典型的な「シャドーの投影」の一種です。
フェイスブックに、この二つの主張をイスラム教の「シーア派」と「スンニ派」に例えて、マスク教の「シーヤ派」と「スンナ派」の対立、と揶揄した記事が出ておりましたが、まさに宗教論争ですね。
もうひとつ目立った「シャドーの投影」は、新型コロナウイルスは「生物兵器」だ、という指摘です。もちろん、その可能性に対して断定的な否定はできませんが、「シャドーの投影」の特徴は可能性を推定するのではなく、強く断定することです。
さらには、誤って生物兵器が漏れたのでなく、誰かが悪意を持ってウイルスをばらまいている、という強い断定的な論調が目立ちました。
極端な例では、世界を支配している闇の勢力が、人口削減計画を実施しており、その一環としてウイルスをばらまいている、というストーリーが広く流布しています。あるいは、このコロナ騒動の間に悪魔崇拝をする闇の勢力を殲滅する計画があり、大量逮捕がどんどん始まっている、というストーリーもありました。いずれも、それなりの根拠と状況証拠(確固たる証拠はない)を上げており、とても込み入った興味深いストーリーに仕立て上げられています。小説にしたらベストセラーになりそうです。
逆に、そういう一連のストーリーは、何人かの特定の個人に対する、身の毛もよだつような陰湿な批判とともに、米国の大統領選挙のキャンペーンとして意図的に流している、という説もありました。
一方の主張では、トランプ大統領は悪の権化と戦う正義のヒーローに位置付け(ストーリーⒶ)、もう一方の主張では同じ大統領が悪の権化そのものに位置付けています(ストーリーⒷ)。
これらのストーリーの真偽は現時点(9月初旬)では断定的に結論は出せません(ⒶでもⒷでもない可能性も高い)。もしストーリーⒶが真実なら、トランプ大統領は必ず選挙戦の切り札として使うので、おそらく大統領選挙が終わる11月までには真偽は明らかになるでしょう。もし衝撃の暴露がなければ、ストーリーⒶはすべてを嘘で塗り固められた陰謀論だった、という結論になります。
「分離」が激しくなければ、どちらにせよ、このような一方的な決めつけはしないでしょう。
今回のコロナ騒動で、世の中はまだまだ「分離」が激しく、「実存的変容」つまり「ティール」のレベルまで達している人はごく少数であることがわかりました。
コロナ禍という言葉が流通しておりますが、コロナそのものの問題というよりは、「分離」の激しい人たちが一方的な決めつけをするために、社会がささくれ立ってしまったように私には感じられます。
天外塾では、15年前から塾生の「実存的変容」をサポートしてまいりました。大きな実績が上がっており、「怖れと不安」、「正義と悪」の決めつけなどから卒業した塾生が大勢育っております。「実存的変容」を経ると、社会がいかなる状況になろうとも、心の平安を保って「宇宙の流れ」に沿って生きていけるようになります。

引用はここまで。


2 二元論とは

二元論とは大変わかりやすい。
科学の思想の素地とも言えるかもしれない。

というのも
二元論とは一神教的発想だから。
キリスト教やイスラム教などは
こっちは正しい
あちらは正しくない
とバッサリと切れる。

だから
古くは魔女裁判など
罪と決めて攻撃することに正当化ができる。

さらに
戦争の正当性も持たせられる。


では
二元論の反対は?

一元論

一元論とは?

多神教的発想だ。


つまり
今の反対の考え方で
日本は本来進んできたはずだった。

日本の
泥棒にも三分の理
なんて言葉は私は好きだし、
今の日本人にも教えたい。


3 歴史的意味

キリスト教が
ローマ帝国の国教になったのは
キリストが亡くなって400年後のこと。

道徳の衰退が
キリスト教を求めた。

その後、
200年後にイスラム教が生まれる。

これは
分断させるためとも言える。

これによって
分断は進み、
宗教革命以後も
カトリックとプロテスタントに。

シーア派とスンニ派の対立も
いまだに続いている。

この分断は
戦後
日本でも進んでいる。


創価学会の教義は
日蓮の表向きがありながら、
現実には一神教的排他主義だ。
(宗教である以上、他のでもいいとは言えないというのもあるようだが。)

それには目的があった。
当時は共産化することが本当に恐れとしてあったから、
共産党の票を半分に割るため
公明党が生まれた。

事実、常に公明党は共産党より多少多く議席を取り続けてきた。
また、公明党の考え方でなぜ自公連立政権が成り立ったのか。
当然、国を守る側(國體)だからだ。

東日本大震災後も
分断は進んできた。
私の身近でもその様子を見てきた。


4 コロナショックによる分断

その上で
コロナショックで分断が進む。

上のマスクをシーヤ派とスンナ派に分かれて
潜在的な対立を進めている。

実際には
世間に迷惑をかけない対応をされている方が多いから
過激な形にはならない。

たまに
飛行機に乗る乗らないの話が出たりするくらいだ。


今回は非常にわかりやすい形になったように感じる。

上の天外氏の表現を私なりにすれば、
シーヤ派もスンナ派もどちらも恐怖に動かされている。

皆どこかでまだ冷静だけど、
恐怖の気持ちが強くなれば、
たちまち凶暴化する。

恐怖で人は動かされてきた。

反対は愛だ。

人の行動はつまるところ
愛か恐れかしかない。

アセンションとか
次元上昇とか
なんとかゲートとか
という言い方もあるのかもしれないが

単純に
恐れから愛へ
シフトすることなのだろう。

移行期は大変だけど、
その先には面白い未来がありそう。

糸川英夫博士は
21世紀はバラ色の未来が待っていると言っている。


今日もありがとうございました!

ご縁に感謝です。サポート頂いたら、今後の学習投資に使わせて頂きます。