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論法一覧


ここに兵法ならぬ、論法を記すことにしたい。つまり、ここでの「論法」は「兵法」に対立するものとしてあると言える。兵法書とは、無論、戦に勝つことを目的に置いた時の手段を記す書物である。では、ここでの「論法」とは何か。それは、物理的な勝ち方ではなく、言葉での非物質的な勝ち方のことを言う。これをこのサイトで列挙していく。


・論法における矛(積極的論駁)

「論法における矛」とは、積極的に論駁するための道具である。要するに相手を論破したい時に自分から働きかけるアクションのことだ。

背理法(背善法)

相手の主張を真だとすると様々な問題や弊害が起きることを示すこと。上で聞きなじみのない「背善法」なる文字が記されている。これは、背理法が、あることを証明したい時にあえてそのことの否定を真だと前提して、推論により矛盾を引き起こし、前提を否定し、あることの正しさを証明するという方法であるのに対し、この論法での背理法は、あなたの主張を正しいとするとこんな悪いことが起きてしまいますよ、という方法であることを区別したいから、背善法(善に背く)と記した。悪いことは避けるべきものだから、この論は認められませんというのが背善法の理屈である。実際に例を見ていくことにしたい。

(例):状況としては、子どもが母親に馬鹿と言い、母親がそれに言い返すことを想定する。

「お母さんの馬鹿!」
「じゃあ、お母さん馬鹿だから、ごはんも作れないし、家事も何にも出来ないね」

確かに、これは例としては不適切かもしれない。なぜなら、馬鹿というのは、形容動詞で状態を表す品詞である。だから、認める認めないで即座に変わるものではないかもしれない。だから、不適切なのだが、そこはご寛恕いただきたい(本当は、「タバコって良いよね」とかが適切な例かもしれない[筆者は母親の例がよく分からないが、好き])。母親は、「あなたは馬鹿だ」という息子の主張を認めると息子にとって悪く作用するような事例を挙げることにより、相手を論破しようとしている。一応、タバコの例も挙げておく。

(タバコの例:「タバコって良いよね」と喫煙者が言う。すると、非喫煙者が「タバコって良いと思うとタバコを吸うようになるよね。すると、生活習慣病のリスクを引き上げることになる。だから、タバコって良いよねという前提を認めると悪い結果に帰結するから、前提は否定され、タバコは良くないとなる」と言う)

相手が主張する命題の否定が成り立つ場合を想像する(否定想像)

当然であり、わざわざ言うのも馬鹿らしい気もするが、論破(論駁)とは、相手の主張する事柄を否定することである。換言すると論破とは、相手の主張する事柄の否定を成り立たせるプロセスのことを言う。相手の主張を「AならばB」に還元出来るなら、相手の主張を否定するには、「AかつBでない」を探し出せば良い。

(例:「再生回数が少ないから、楽器が下手」→「再生回数が少なくても楽器が下手でない場合」があるとこの命題は否定される)

(例2:「コンビニに行くとカラオケ屋のルールに違反する」→「コンビニに行ってもカラオケ屋のルールに違反しない場合」があれば、この命題は成り立たない[コンビニに行って、品物を買っても、カラオケ屋で食べたり、飲んだりしなければ良い])

・論法における盾(消極的論駁)

「論法における盾」とは、消極的に相手を論駁する時の道具である。要するに、相手の論をいなしたり、躱したりするためのものだ。自分から働きかけるためのものではない。

オウム法

オウム法は、文字通りに相手の論を繰り返すという方法である。相槌や共感がこれに当てはまる。論法における防御とは、論駁することが出来ないような理論武装のことだ。この論がなぜ盾(防御)となるか。それは、相手の論を繰り返すからである。もし、相手の論を繰り返して、相手によって否定されたら、それは相手が自分自身のことを否定していることと同じだから、相手は否定することが出来ない。しかし、この論法を守ると、自分が認めたくない論も認めなくてはならないことになる。実際に例を見てみよう。

(例:「お前って馬鹿だよね」とクラスメイトが私に言う。私は、「そうだね」と共感する)

これは、悪しき事態である。しかし、これもオウム法の応用系で対応することが出来る。

(「お前って馬鹿だよね」とクラスメイトが私に言う。だから。私は「そういうお前も馬鹿だよね」と言い返す)

これもオウム法と理屈は同じだが、盾というよりは、矛かもしれない。「馬鹿」と言ったクラスメイトは、自分が「馬鹿」と言われても、自分が「馬鹿」と言ってしまったことにより、否定出来ない。否定すると自分が言ったことも否定することになってしまうからである。因果応報とは、このことであろう。

構造法

最後に紹介するのは、構造法である。これも弱点を持ち合わせているが、見破られなかったら、有効に働くので、覚えておいて損はない。まず、公式(一般形)を記す。

[「Aでない人をBするとA」が成り立つ時、相手をAという状態にすることが出来たなら(「Aな人」となったなら)、作用者はBしていないことになる]

これだけだと分かりにくいから、具体例を示す。

(例:「傷つかない他人を批判すると傷つく」が成り立ち、相手を傷つけることが出来たなら[傷つく他人となったなら]傷つけた人は、傷つかない他人を批判しただけで、傷つく他人[傷ついた人]までをも批判していない。もっと具体的に言う。「STPさんってホント傷つかないですよねw」と批判されて、傷ついたら、発言者は批判していないことになってしまう)

このように悪いこと(批判するとか)をなかったことにしてしまえる悪魔の論法だ。この構造になっているものは、この論法が使える。また、任意にこの構造に作り変えられたら、この論法が任意に使える。しかし、前の例でい言えば、批判していないからと言って、完全に悪くないとなるわけではない。前述した弱点とはこのことで、批判していないからと言えども虚偽のことは言っている。「傷つかないですよねw」は、相手の無神経さを馬鹿にする表現とも取れるため、名誉棄損とかである。

・まとめ

  1. 背善法:一旦、相手の主張を飲み込んで、それを認めたとき、悪いことが帰結することを示す方法。(矛)

  2. 否定想像:「AならばB」という相手の主張をそれの否定の「AかつBでない」を成り立たせることにより、否定する方法。(矛)

  3. オウム法:共感、相槌。(盾)

  4. 構造法:「Aでない人をBするとA」に項を代入していって、Bしていないこにしてしまう方法。(盾)


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