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短編小説『開かないカプセル』

転校生Aの告白

もう直ぐ、誠一は結婚する。

その日が近づくにつれ、誠一の中である不安が大きくなった。ある疑心が消えなかった。

誠一の結婚相手は、小学校の時の同級生。誠一が初めて女の子を愛しいと思った人だ。その女性の名前は幸子。

目鼻立ちの整った幸子は、入学したばかりの時に、上級生が教室まで見に来るほどの美少女だった。

誠一にとって幸子は、初めて見た時から意識する存在だった。誠一だけでなく、他の男子の注目を集めていた。幸子の方は、特定の男子に興味を持つ様子はなかった。誠一についても、大勢の男子の中の一人でしかなかった。

誠一と幸子は一年生から四年生のクラス替えの後もずっと同じクラスだった。その間、誠一は幸子を遠くから眺めているしかなかった。誠一が幸子を更に強く意識するようになったのは、四年生の時に転校してきたAと親しくなったのがきっかけだった。

転校生のAは、都会の雰囲気を服装や言葉遣いから感じさせる男の子だった。ハンサムで勉強もスポーツも良くできた。直ぐにクラスの女子の人気の的になった。

Aと誠一の家は、小学校の帰り道が同じ方向だったこともあって、一緒に帰ったり、放課後も遊ぶようになった。

田舎育ちの誠一にとって、Aは大人びて見えた。Aの両親は教育熱心で、勉強だけでなくピアノなども幼い頃から習わせているようだった。

Aの転校間もなく、誠一は家に招かれたことがある。新築の家の調度は西洋風で、誠一は純白でふかふかのソファーに緊張して座った。上品な母親が出してくれた紅茶とショートケーキを、誠一はかしこまって手を付けた。

Aの父親は大きな企業に勤めているようだった。母親は主婦だったが、高い教育を受けた女の人に見えた。兼業農家の誠一の家とは全く違っていた。

Aは誠一が見たこともないおもちゃを触らせてくれた。鉄道模型や大きなラジコン飛行機を誠一は初めて見た。

誠一にとってAは、別の世界の男の子で、羨やましさと共に、親しくなっても何か隔たりを感じる存在だった。

Aは同級の中で誠一に一番好意を持った。誠一のおしゃべりでない生真面目な性格と、勉強と運動が良くできたことが気に入ったようだった。

六年生まで、Aは勉強も運動もクラスで一番だった。誠一はいつも二番目だった。Aは性格も明るく積極的で、生徒会長にもなり学芸会でも活躍した。誠一は目立つことが苦手で、授業で答えがわかっていても手を上げないような生徒だった。

五年生の時、Aは幸子のことが好きだと誠一に打ち明けた。

「俺、幸子ちゃんが好きなんだ」

Aはそう言って、誠一の顔色を伺っている。

「へえ。そうなんだ」

誠一は平静を装った。

「いいかな?告白して?」

Aは誠一の反応を見ている。

「別に。何で?」

誠一は顔が少し熱く感じた。

「君も幸子ちゃんが好きだろ?」

Aは誠一がどう答えるか待っている。

「そんなことないよ」

誠一は嘘を付いた。Aも嘘だと見抜いている。Aは誠一が否定するを期待していた。Aにとって大事なのは、誠一に宣言することだった。これで、誠一は幸子に思いを告げることができなくなった。

それからAが幸子に告白したのか、誠一にはわからなかった。特に二人が付き合っているようには見えなかった。

誠一は不安だった。Aと幸子の関係が、表面下で近づいたのではないかという疑心があった。二人だけはしゃぐような場面は見かけることはなかったが、ふとした拍子に、二人が交わす何気ない会話が気になって仕方がなかった。

Aから幸子への気持ちを聞いていた誠一は、幸子への憧れを胸にしまって見つめているしかなかった。

タイムカプセル

六年生になった頃、Aの誠一に対する態度が変わってきた。

いつもAの方から声をかけてきたのがなくなった。何をするのも、先ず誠一を誘ったのが、他の男子を相手にするようになった。

Aが誠一に敵意を見せるわけではなかったが、遠くから誠一を冷たく見ている視線を誠一は感じるようになった。

誠一の方からAに何か気に触るようなことをした覚えはなかった。誠一の知らないところで、Aの中で誠一に対する気持ちの変化が起きたとしか誠一には思えなかった。

誠一は、A態度が変わったのは、幸子へのAの思いが原因としてあるのではないかと思った。Aの変化と幸子の線上の間に、自分がいるのではないかと誠一は思った。漠然とした疑心はあても、その核心はわからなかった。

「どうしてAの態度が変わったんだろう?」

誠一にはAの変化のはっきちした理由がわからなかった。

少しづつ、Aと誠一の接触は少なくなっていった。教室での親しい会話はなくなり、一緒に下校しなくなった。

Aの家庭の噂を聞いたのもその頃だった。少し前に、Aの父親の勤めていた会社が不祥事を起こしてテレビや新聞のニュースになったことがあった。そのことが原因なのか、Aの両親が離婚したという噂だった。

その噂が事実だとしても、Aの誠一に対する態度の変化と直接つながらないと誠一は思った。Aは他の同級生には以前よりも親しくしている。誠一への対応だけが変わったのだ。親の離婚が原因なら、誠一にだけ態度を変えるのはおかしかった。

こういうことも誠一の耳に入った。私立中学を受験するはずだったAは、地元の中学に進むことになったらしい。それと関係があるのか、Aは勉強への熱意を失っていった。成績も当然下がった。

六年生の終わりの頃には、Aは誠一とは全く関わらなくなった。他の同級生とばかり付き合うようになっていた。

Aの変化とは別の意味で誠一も変わった。Aの影響で変わったと言ってもよかった。都会的で先見的だと感じていたAに感化されて、誠一はAと同じように私立中学を受験しようと思うようになった。少しでも高いところへ進んでみたいという意識が芽生えた。

母子家庭になって経済的に苦しくなったAは、私立中学への受験もできなくなった。Aはますます誠一によそよそしい態度をとるようになった。誠一もAへの関わりが消極的になった。誠一はAに罪悪感に近いものを感じていた。Aの変化の原因が、自分にあるように、誠一には思えるのだった。

そうなると尚更、誠一はAと同じ地元の中学には行きたくなかった。誠一は勉強に集中した。Aや幸子のことを考えないようにして受験の勉強に没頭した。

六年生の三学期の初めに、誠一が第二志望の中学に合格できたことが、クラスの噂になった。その噂を聞いた時のAの冷ややかな表情を、誠一は嫌な思いで見た。睨むような目だった。

誠一は知らなかったことだが、幸子も誠一と同じ中学を受けて合格していた。誠一と幸子が同じ中学に合格したという話題は、クラスでしばらく二人を冷やかす種になった。そういう時、誠一はAの表情ばかりが気になった。

卒業式が近づいたある日、Aが幸子を連れて誠一の席に来た。いつもと違ってAは機嫌のいい顔をしている。

「卒業の記念に三人でカプセルを埋めないか?」

突然のAの提案に、誠一は驚いた。幸子は黙っていた。

三人の別れ

「どうしたんだよ、急に」

誠一の頭の中は三つのことを考えていた。Aの表情がどうして今日はこんなに陽気なのかということ。どうして幸子を連れて来たのかということ。そしてなぜカプセルを埋めるのかということ。幸子は何も言わなかったが困ったような顔をしている。

「もうすぐ卒業だろ。中学は君たちとは違っちゃうし。卒業したら、もうほとんど会えなくなるから。思い出に手紙を書いて残さないか?」

Aの提案は普通にはおかしなものではない。こんな普通さは以前のAにはなかった。この普通な健全さが誠一は気になった。誠一と幸子は答えに困った。拒否するいい理由が思い浮かばなかった。拒否すれば、何か弱みを見せるような気がした。

「誰に手紙を書くの?」

誠一はこう答えるしかなかった。

「未来の自分でもいいし、誰か他の人へでもいいよ。ずっと後で見たらおもしろいと思うんだ」

Aの目がキラキラしている。誠一は、Aが上気しているのは、卒業が近くなって、前のようなサバサバしたAに戻ったのかとも思った。他の同級生たちも、どことなく落ち着かないのを見ると、卒業という節目がそうさせるのかも知れないと思った。

「僕たち三人だけでカプセルに埋めるのか?」

「ああ、大勢だとまとめるのが大変だし、学校の校庭に埋めるから、大げさにすると先生にも許可とらなきゃなんないから、三人で。幸子ちゃんは賛成してくれたから」

誠一は幸子の方を見た。幸子は恥ずかしそうに下を向いた。Aと幸子の間で、そんな相談ができていたことに誠一は、自分がついでに誘われたような気がした。

「僕が入ってもいいのかな。二人だけの方がいいんじゃないのか?」

幸子は否定するような表情をした。Aが直ぐに否定した。

「三人がいいんだよ。三人はクラスの中心だったし。色々思い出もあるし」

Aは笑った。誠一と幸子は視線を合わせた。

「わかった。それで、どうするの?」

「卒業式の日に、カプセルに入れて埋めるから、その時に手紙を用意しておいて」

幸子はずっと不安そうな顔をして黙っていた。Aと誠一だけが話していた。Aの計画では、Aの用意したカプセルに手紙を入れて、校舎の裏の桜の木の下に埋めるらしかった。

卒業式の当日、式が終わって在校生に送られて校舎を出た三人は、付き添った親を先に帰して再び校舎の裏に向かった。

学校の表から、まだ記念撮影する人たちのざわついた声が聞こえてくる。三人は桜の木の下の穴にカプセルを埋めた。穴はAが前もって掘っていた。Aの用意したカプセルは、おもちゃのように小さな手提げ金庫だった。

「鍵は俺が預かってるから」

Aは当然のように言って、鍵を上着のポケットに入れた。誠一は、Aが鍵を持つことに引っかかるものがあったが何も言わず幸子を見た。幸子はずっと埋めたところを見ていた。

「これでお別れだ。何年後か、何十年後かわからないけど、クラス会か何かあった時にでも掘って見たら面白いと思うよ。あ、そうだ、成人式の時とか」

Aはとても愉快そうに見えた。誠一と幸子はAのように笑顔になれなかった。

こんなところに埋めて、卒業したら勝手に構内に入って掘り返すことは難しいだろうと誠一は思っていた。

校門を出たところで、三人は別れた。誠一とAは同じ方向だったが、Aは幸子と一緒に帰って行った。誠一は二人の後ろ姿を見送った。

幸子の告白

小学校を卒業した後、Aが直ぐに引っ越したことを知った。Aは地元の中学に進むと思っていた誠一は驚いた。その後、Aがどうなったかはわからなかった。八年後の成人式にも、十年後のクラス会にもAは現れなかった。同級生の誰もAの消息を知らなかった。

誠一と幸子は、中学と高校の一貫校に進学した。小学校の時は、ほとんど話さなかった二人は、中学生になり言葉を交わすようになった。

小学生の時の過剰気味な自意識が、思春期に入ってかえって取れたのか、どちらかともなく自然に話すようになった。

気取ってすましているように誠一には見えた幸子は、話してみると案外素直で、どちらかといえば内気な性格なのがわかった。誠一は遠くで仰ぎ見るだけだった幸子が、自分の手の届く所に降りて来てくれたようで嬉しかった。

ある時、卒業式の日に埋めたカプセルの話になった。誠一はカプセルよりもAのことが気になった。

「Aはどうしているかな」

幸子はAのことはあまり話したがらなかった。

「私、あの手紙、誠一くん宛に書いたのよ」

「えっ!?」

誠一は意外だった。あの時点では、幸子とAは何か関係があるように思っていたから、幸子はA宛に手紙を書いたと誠一は想像していた。誠一はただ未来の自分に書いただけだった。誠一は嬉しかった。

「誠一くんが好きって書いたのよ。誠一くんは私のこと好きじゃないみたいだったけど」

誠一は恥ずかし気もなく、サラッと言った幸子に大人の感じを受けた。今幸子から告白されているように誠一は感じた。嬉しかった。誠一が、どこかで、もしかしたらと思っていた気持ち。抑えていた幸子への思いが叶ったように思った。

「幸子ちゃんはAが好きななのかと思っていた」

誠一はそう言った瞬間後悔した。その言葉に幸子の顔を曇ったからだ。誠一にはそういう癖がある。自分を卑下する癖だ。心にもない卑下を言葉にしてしまう癖。Aより自分の方が幸子に恋こがれているのに、その思いを隠して心に嘘をついてしまう。

「Aくんのことは何とも思ってないのよ」

誠一は平常心ではなかった。また余計なことを言おうとしていた。

「Aくんから告白されなかった?」

「されたけど。断ったの。好きな人がいるって」

幸子はそう言って誠一の方を恥ずかしそうに見上げた。

誠一は頭の上を長い間覆っていた雲が晴れたような気がした。なぜかAの顔が浮かんだ。

誠一のほころんだ笑顔から、誠一の気持ちがわかって、幸子は嬉しかった。幸子は思い切って告白して良かったと思った。

誠一の疑心

誠一と幸子は高校を卒業すると、それぞれ違う大学に進んだ。二人は好意を持ち続けたが、まだ将来のことはわからなかった。

誠一は、自分に自信が持てない限り、人を愛する資格がないと思うような性格だった。

学生の間も二人は交際を続けた。お互いに近況を伝えあい、なんとなく二人の遠い将来を思い描いた。誠一は幸子を幸せにできるようにならなければならないという気持ちが強くなっていった。幸子も誠一の気持ちを受け止めていた。

二人は大学を卒業して社会人になった。就職先の仕事にも慣れた頃、二人は二十五歳の春を迎えていた。誠一は会社に入って最初の一年間の地方の支社勤務だった。その間も月に一度は幸子は誠一に会いに通った。

誠一は幸子を迎え入れる準備が整ったと思った。幸子を幸せにできる将来の自分に自信が持てるようになっていた。

誠一は儀式的なことは好きではなかったので、プロポーズに指輪を送るようなことはしたくなかった。ただ言葉だけでプロポーズしたかった。

「よし、今夜こそ」

誠一は覚悟を決めて会社を出た。小学校で初めて幸子を見た時から、夢に見ていた瞬間を誠一は迎えようとしている。

ただ好きで憧れることと、その人を幸せにできる覚悟を持てるかということは別のことだと誠一はずっと思ってきた。ただ生真面目なだけで、特別面白みのない自分が、幸子を本当に幸せにできるかということが誠一の重い課題だった。

その課題に、今の自分、これからの自分なら答えることができると思えるようになった。

誠一は幸子との待ち合わせ場所の喫茶店に向かった。最後の角を曲がった時、喫茶店の前で幸子が男の人と向かい合っていた。

誠一は思わず建物の影に身を引いた。どうして身を隠したのか、誠一は自分でもわからなかった。幸子の表情が暗く見えたことがそうさせたのかもしれなかった。

幸子と話をしているのはAだった。小学校の卒業式以来に見るAは、利発な面影はあったが、あの頃より痩せて年齢より老けて見えた。

幸子は時計を気にしながら、Aとの立ち話を切り上げようとした。Aは行こうとする幸子の腕を掴んで離そうとしない。幸子はAの話を聞きたくないように顔をそむけている。

Aは最後に諦めたようにひとこと言うと、幸子の腕を離して去って行った。幸子はまた時計を見て店の中に入った。

誠一は直ぐに店に入れなかった。Aと会っていたことが誠一に見られていたかと幸子に思われるのを避けたかった。五分ほど待ってから店のドアを開けた。

誠一の姿を見ると、奥のテーブルに座っていた幸子が笑顔で手を振った。

「待った?」

誠一は自分を誤魔化すように幸子に言った。

「ううん。私も今来たところ」

誠一は幸子が落ち着いていることが気になった。さっきまでAと会っていた時の感情的な表情が全く消えていることが、かえって引っかかった。

目の前の幸子の表情が明るい程、誠一の不安は大きくなった。幸子を疑ってしまう心が芽生えた。

誠一はこの夜プロポーズすることができなかった。

プロポーズ

幸子に対する疑念を払いたい誠一は、迷った末、小学校の裏に埋めたカプセルを開けて見たいと思った。

「あそこが出発点だ」

誠一が幸子の気持ちを知った原点が、あのカプセルの中の手紙だった。その手紙を誠一は見たわけではない。幸子の告白を信じただけだ。

「あの時の幸子の気持ちが真実なら、僕は幸子を信じることができる」

誠一はそう思った。例えその後、Aと何か関係があったとしても、あの時の気持ちさえ確かめられたら、この先も幸子を信じていけると誠一は思った。そう思うと、誠一はなんとしてもカプセルの中の手紙を確かめたくなった。

卒業してから十数年経っていた小学校は、あの頃とほとんど変わっていなかった。花壇の配置が変わったぐらいで、校舎の裏の桜の木もそのままだった。

夜になるのを待って、校舎の灯りも消え、人の気配のないのを確かめると、誠一は裏門の鉄柵を乗り越えた。幸いなことに桜の木の下は、人通りのない道路の街灯の灯りが届いていた。

誠一は用意したシャベルで掘り始める。記憶していたよりもカプセルの金庫は深く埋められていた。誠一は金庫を取り上げると袋に入れ、掘った穴を急いで埋め戻した。金庫の入った袋を抱えて、誠一はまた裏門の柵を越えて出た。

大学に入った時から実家を出て一人住まいをしていた誠一は、その後も会社に近いアパートに移って生活していた。

アパートに戻った誠一は、金庫の湿った土を拭き取り、ペンチやドライバーでこじ開けようとした。しかし、小さな金庫であっても容易に開けられそうになかった。

「くそっ」

その時Aの顔が浮かんだ。誠一はAには会いたくなかった。誠一の幸子への思いを見抜いていたAが、あの頃より更に得体の知れない大人になっているようで、会うのは避けたかった。

「Aはまだ金庫の鍵を持っているだろうか?」

何かの意図を隠して手紙を入れたカプセルを埋めることを提案した周到なAのことだから、きっとまだ鍵は持っているはずだと誠一は思った。

アパートの部屋の机の上にカプセルの金庫を置いたまま、三日が過ぎた。

二周間ぶりに幸子と会った誠一はこう切り出した。

「誰かAの連絡先か住所を知らないかな?」

幸子は「えっ?」という顔をした。

「どうしたの急に?」

幸子の顔が曇った。

「結婚式に呼ぼうと思って」

「結婚式って、誰の?」

「僕たちのだよ」

幸子は手を口に当てて驚いた。誠一も、こんな形でプロポーズをするとは思ってもいなかった。幸子は嬉しそうに笑っている。

「結婚してくれるだろ?」

幸子は黙ってうなずいた。幸子のこの表情は信じられると誠一は思いたかった。

「Aのこと誰か知らないかな?」

幸子は黙っていた。

誠一は罪悪感を少し覚えていた。幸子を試している自分が嫌だった。

誠一は、Aのことで他の同級生に訊いてみようとは考えなかった。この問題を広げたくなかった。

結局その日はAのことは何もわからなかった。

変な形でプロポーズしてしまったことと、幸子にAのことを訊いたことを誠一は後悔した。

Aとの再会

幸子にプロポーズしてから、幸子は結婚のことを話題にするようになった。両親や友人に話したこと、両方の家への挨拶のことなど、幸子は結婚へ向けて積極的になった。

誠一は、嬉しそうに話す幸子の声を聞きながら、Aのことや鍵のことを考えていた。幸子はAのことを訊かれたことなど忘れているようだった。

お互いの家への挨拶も済み、式の日取りも決まっていく。誠一の中で、喜びが大きくなっていくにしたがって、その影の部分も広がっていった。

誠一には幸子が結婚を急いでいるように見えた。

そんな時、突然Aから実家の方に手紙が届いた。封書の裏にAの住所は書いてなかった。

手紙の内容は以下のようなものだった。

● 幸子との結婚のことを同級生から聞いて知ったこと。

● 自分も出席したいこと。

● 結婚式の前に会いたいから、その場所と日時の都合。

ほとんど事務的な内容だけで、他のことは何も書いてなかった。

手紙を読み終わった誠一は、もしかしたら幸子がAに知らせtのかもしれないと思った。でも、その確信はなかった。本当に同級生の誰かから聞いたのかもしれなかった。

誠一は約束の日時にAから指定された場所で待った。そこは、幸子とAが会っているのを見た喫茶店だった。その店は、以前から誠一と幸子が良く会っていた喫茶店だった。

Aは少し遅れてやってきた。長めに伸ばした髪と、鋭くなった目つきが、子供の頃より変わったと誠一は感じた。

「結婚するんだって?」

テーブルの席に座ると、挨拶もないままAはいきなり言った。卒業式の時から現在までの時間を、Aはまたたく間に飛び越えて来たように誠一には思えた。

「うん」

誠一は、Aがどうして会おうと手紙を送ってきたのか知りたかった。

「結婚式、招待してくれるよね?」

「うん。あ、招待状送るよ」

「招待状はいいよ。場所と時間がわかればいいから」

誠一は、予定していた式場や時間のことをAに伝えた。Aはそれを携帯にメモすると、話を切り出した。

「幸子は最初からお前のことが好きだったんだよ。俺はふられちゃったし」

Aが会いたかったのは、そんなことを言うためだったのかと誠一は思った。それより、Aが「幸子」と呼び捨てにした言い方が引っかかった。誠一の知っているAは、いつも「幸子ちゃん」と読んでいた。

「幸子を大事にしてやれよな。不幸にしたら殺すぞ。ははは」

Aは笑いながら言った。目は笑っていないのが誠一にはわかった。

「ああ。わかったよ。大事にする」

誠一の「大事にする」の言葉の時、Aの顔が一瞬曇った。その後、二人の間に沈黙があった。誠一はカプセルの鍵のことを訊くことにした。

「卒業式の後、埋めたカプセルの鍵、今でも持ってる?」

Aは飲みかけたコーヒーを下に置いた。少し間を置いて、Aは答えた。

「あるよ。たぶん」

「良かった。カプセル開けたいから鍵が必要なんだ」

「カプセル開けたいのか?急にどうして?」

「うん。なんか、開けたくなって。いいだろ?」

誠一は、「幸子のあの時の気持ちを確かめたくて」とは言えなかった。

「いいよ。別に」

Aは興味のない顔をしている。誠一は直ぐにでも鍵が欲しかった。

「鍵、いつもらえるかな?」

Aはコーヒーを一口飲んだ。

「悪いけど、今忙しくて。結婚式の日に持っていくよ。そうだ、式場はこの近くだから、式の始まる前にここで渡すよ」

誠一はそれで了解するしかなかった。

その後、誠一はAの近況を訊いたが、Aは具体的なことは話したがらなかった。Aの方も誠一のことを何も聞こうとしなかった。

誠一には、Aが仕事でもプライベートでも、あまりうまくいっているようには感じられなかった。子供頃に持っていた気高さみたいなものを感じることができなかった。社会の荒波にもまれて、何かを捨ててきたような暗さを感じた。

「幸子を幸せにしろよな。じゃあ」

本当かどうか、Aはこれから用事があるからと店を出ていった。

誠一には、会おうとしたAの真意がわからなかった。二人の結婚を祝福しているようには見えなかった。

手に入れた鍵

Aと会ってから結婚式までの間、誠一は苦しんだ。幸子を信じたい気持ちと、どうしても疑ってしまう気持ちが戦っていた。

早くカプセルの金庫を開ける鍵が欲しかった。幸子の手紙を確かめたかった。

式当日、Aに会うため誠一は予定よりも早めに家を出る必要があった。

「友達と打ち合わせがあるから先に出るよ」

一緒に出かけるつもりでいた家族は面食らった。

「なんだ?急にどうした?今頃打ち合わせか?一緒に出かければいいじゃないか?」

「いや、ちょっと変更が入って」

誠一はなんとか誤魔化した。荷物を入れた袋の中にカプセルの金庫を隠して家を出た。

誠一は荷物を披露宴会場の控室に置くと、直ぐに会場の近くの喫茶店でAを待った。

約束の時間になってもAは現れなかった。誠一はコーヒーを追加で注文した。Aは中々やってこない。

「おかしいな。もう直ぐ時間になってしまう」

誠一がもう一度喫茶店の窓の外を見ていた時、Aがゆっくりとドアを開けて入って来た。Aは笑っていた。

「悪い、悪い。遅れてしまって申し訳ない」

Aは言葉の割には済まなそうな顔はしていなかった。

誠一は直ぐにもカプセルを開ける鍵が欲しかった。

「鍵、持って来たよね?」

「ああ、持って来たよ。でも、その前にコーヒーぐらい飲ませてくれよ。寝過ごしちゃって慌てて出て来たから喉が乾いちゃって」

Aは注文したコーヒーをひと口飲むと、誠一の顔をちらりと見た。コートのポケットから鍵を取り出してテーブルの上に置いた。

誠一は鍵を手に取った。

「これか、これがカプセルを開ける鍵か?」

誠一の目は輝いていた。やっと手にした鍵を眺め回した。

Aは喜ぶ誠一を黙って見ていた。

「あ、もう時間だぞ」

Aは腕時計を見て誠一に言った。

「そうだな。早く行こう」

二人は喫茶店を出て結婚式会場に向かった。

誠一は会場に着くと、Aと別れて控室に入った。Aは来賓の受付を済ませると会場には入らずに、控室の方に歩いて行った。

開いたカプセル

控室の中では、誠一が荷物の袋の中からカプセルをテーブルの上に出していた。

Aは新郎の控室の開いたままのドアの隙間から部屋の中を覗いていた。

誠一は急いでカプセルを開けようと、Aからもらった鍵を上着のポケットから出した。結婚式が始まる時間が迫っていた。誠一はまだ新郎の礼服に着替えていなかった。誠一は、鍵を持った手が震えて鍵穴に中々入らない。

誠一の様子を見ながらAはニヤリとした。

誠一は、やっと開いたカプセルの中から一通の封筒を取り出した。誠一は封筒の表と裏を確かめると、中から一枚の紙を抜き出した。

誠一はその紙を読み始めた。誠一の顔色が変わっていく。不安の色から憎しみの色に変わった。

「やっぱり、思った通りだ。幸子はAが好きだったんだ」

誠一はその手紙を握りつぶした。

Aは、うなだれた誠一の姿を見ながら満足げな表情をした。

「馬鹿な奴だ。お前が見ているのは偽物だ。俺が入れ替えておいたんだ」

Aは中学校に入って直ぐ、二人には内緒でカプセルを掘り起こし、幸子の手紙を見てしまった。手紙には誠一が好きだと書いてあった。

幸子に告白して断られたAは、幸子が誰を好きなのか知りたかった。相手が誠一であって欲しくなかった。

誠一以外だったら諦めがついた。

Aは、誠一も幸子が好きなことはわかっていた。好きなのにそうでないような顔をしている誠一。その誠一に幸子が好意を持っていることが許せなかった。

誠一に嫉妬したAは、偽物の手紙を用意して入れ替えてしまった。Aによる未来への復讐だった。

Aの横を通って、式の始まりを知らせる会場の係の女性が入って来た。

「ご新郎様、まもなく式が始まりますので、急いでお着替えください」

女性の言葉は誠一の耳には入らなかった。

「ご新郎様、あの、まもなく式が、」

誠一は女性の声に気がついて振り向いた。誠一の目には光るものがあった。

「あ、はい、わかりました」

女性は安心して部屋を出ていった。

誠一は混乱していた。直ぐに結婚式が始まろうとしている。愛する花嫁が待っている。それなのに、誠一の胸の中は失望に包まれていた。

「幸子はどうして嘘をついたんだ。僕を信じていないのか?」

誠一は幸子に不信を抱いてしまった。幸子の愛を信じられなかった。

その時、Aが控室に入って来た。

「どうした?まだそんな格好しているのか?みんなが待ってるぞ。早く着替えて行こう」

Aは誠一の肩を叩いた。誠一の顔色の悪いのを喜ぶような叩き方だった。

「苦しむがいい。俺の欲しかったものを手に入れたお前への復讐だ」

Aは心の中でそう思いながら、誠一の肩をまた叩いた。

結婚式は予定通り始まった。

クラスでは真面目で信頼をもたれていた誠一のために、大勢の同級生達が集まっていた。

「お似合いだよ!」

「美男美女だな!」

「やっぱり、一緒になると思ったよ!」

「羨ましい奴だ!」

キャンドルサービスに回る新郎新婦に向かって、同級生達から祝福の言葉がかけられる。照れ笑いして恥ずかしがる新婦に比べて、新郎の顔は冷めていた。

同級生達には、Aが緊張して表情がこわばっているのだと思われた。

二人はAの座っているテーブルにやってきた。

「いつまでもお幸せに!」

新郎新婦に投げられたAの大きな声が会場に響いた。

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