ハートフルで本格なミステリ(櫻田智也『六色の蛹』ネタバレなし感想)

 すごいミステリを読んでしまった。


 ……などと書くと普通は、ジャンル分け不可能なカオス、キワモノ、グロテスクやイヤミスを読んだと思われるかもしれない。巧妙に組み立てられたコンゲーム物を想像する方もいるだろう。

 もちろんそれらも大好物なのだけれど、こと今回においては違う。
 どちらかというとハートフルだし、ケレン味たっぷりな本格ミステリとは一線を画した、エッセイ味すら漂う推理短編集。櫻田智也『六色の蛹』だ。
 偉そうに書いているが、私は今作含め<魞沢シリーズ>の大ファンなだけであり、ミステリの読み込みがそれほど深いタイプではない。例えばアリバイ物では一回目は推理せずに読み進めた作品も数知れずあるし、コンゲーム物を読む際は新鮮な驚きと高揚感を大事にしたいので、トリックやどんでん返しへの嗅覚はあえて鈍くして臨むことも多い。
 では何がすごかったか。
 むろん、物語の力である。
 魞沢泉という、憂鬱と懊悩を抱えた昆虫好きの優しい名探偵の人間性。ミステリにある程度慣れた人間がそこに足を踏み入れて素直に感動できた理由をだらだらと書いていこうと思う。
 本作は、タイトルの通りそれぞれの色にちなんだ六つの短編ミステリで構成された短編集。ネタバレなしで各話の魅力を書いていく。

【一話「白が揺れた」】


 鹿の死骸を引きずるハンター串呂(くしろ)の場面から始まり、読者の中には既にこのハンターの行動に危うさを感じた人も多いはず。そんな緊張感の中で現れるのは、我らが名探偵こと魞沢泉。そのとぼけた会話にホッとして読み進めると、射殺体が出る。状況から見て誤射と判断されるが、遺体の状況が不自然で弾丸も行方不明。そこをきっかけに前日のワークショップの回想が入る。
 その講習で触れた過去の誤射事件についても触れていき、不可解な状況の謎は串呂に解き明かされる。
 では犯人はどうやって弾丸を回収したのか。
 この謎の答えのシンプルさに、ミステリ好きとしては痺れた。
 そして魞沢がずっと串呂についてきた理由が明かされ、読者は二段目の謎が解けた音を聞くのだ。

【二話「赤の追憶」】


 翠里(みどり)が経営する花屋に訪れた女性が、珍しく四月に売っているポインセチアをレジ奥に見つけて購入を希望する。しかし翠里は予約品であるため断らざるを得ない。その後、ミヤマクワガタという花を虫と勘違いした魞沢が登場し、大雨で商品の避難を手伝ってくれたことからお茶を共にすることに。その席で、翠里は一年前にポインセチアを「予約」した女子高生についての思い出を話していく。
 少女は同じ誕生日である母親を、大好きなポインセチアで祝いたかった。病気で入院していて死が近く、来年はもう祝えないくらいの状態であるからどうしても欲しかったという少女に、翠里はできる限りの花束をプレゼントして見送った。一年後にポインセチアを贈ると約束して。
 この思い出話の中に魞沢は違和感を見つけ、大事な真実を見抜くのだけど、その視線は鋭くまっすぐで澄んでいる。
 そして謎が解けてから思い出を振り返ると、読者も翠里もうち伏せるしかない。なんと悲しいすれ違いであるか。なんと残酷な真実(ミステリ)か。(ちなみに明示されていない伏線回収も見事。少女の恰好とか)
(そしてセリフも一級品。どうしてあんな素晴らしいセリフが書けるのか……!)
 しかし、それでも魞沢はまだ立っている。その理由が分かったときに読者にできることは、間に合えと走る翠里に手に汗握って声援を送ることだけなのだ。そして魞沢もまたそのためだけに翠里を見送る。
 なんと優しく美しい物語であるか。あまりこういった感想は好きではないのだが、こうとしか表現できない。この感動は完成度が高すぎて、私の稚拙な筆舌には尽くしがたい。

【三話 黒いレプリカ】


 出土した文化財を展示する博物館で準備作業するバイトをする魞沢のまえで、工事の掘削現場から博物館に土器と人骨の発見の一報が入る。一緒に作業していた甘内は緊急会議に呼び出され、翌朝上司の作間と現場に行くことが決定する。翌朝、現場で作間は油圧ショベルで白骨を掘り起こすよう指示を出して現場を荒らしてしまい、連帯責任で甘内まで自宅待機となる。
 かつての上司で遺跡捏造を疑われた田原の思い出を魞沢に語る甘内。田原は元恋人でもあった。
 過去の捏造事件、田原が作間と揉めていた、土器と共に発見された白骨……甘内でなくても白骨=田原で作間=遺棄犯を疑うのは自然。
 だが実際は、白骨は百年前の物だった。
 博物館の収蔵品だった人骨と共に処分される(収蔵スペース節約のため、明治以降の人骨は行旅死亡人扱いになる。全国で増えている流れだそう)ことになるので、その前にリスト化しようとした矢先、何者かに突き落とされたらしき作間に巻き込まれて甘内は意識を失う。
 目を覚ました後で明かされる真実。過去の捏造事件の真相。それらを甘内の心の動きと共に追うことで、田原の思い出と共に生きることになる甘内に寄り添って読むことになる読者。
 コクゾウムシを練り込んで焼いた圧痕土器にはコムゾウムシの部分が焼けて空隙になる。空白こそが存在の痕跡なのだ。甘内の中でもそれはきっと同じで……
 ちなみにミステリ的には深く関わってこなかったが、こういった昆虫経由で考古学と昆虫学を深める昆虫考古学という学問もある。

【四話 青い音】


 文具店で偶然会った古林と魞沢。気が合ってお茶をしたとき、古林は父親が死んだときに消えたという楽譜の話をする。ネタバレが怖くて詳しく書けないが、ばらまかれた数々の伏線をカチリカチリと音を立てて見事に組み合わせた魞沢が一つの結論にたどり着いたとき、深い感動が生まれる。
(古林が語る、父の元恋人を訪ねるフランス旅行の思い出は、実話のエッセイとして読んでもいいくらいリアリティがあってオシャレで魅力的。もっとも、ヒントがいっぱい眠っているのだけど)
 たぶん古林以外の人にとっては大きな魅力があるわけではない真相なのだけど、一緒に思い出をたどってきた読者(と魞沢)にとっては重要な謎解き。タイトルもピッタリ!
 そして古林によって終盤で明かされる真相に読者は驚き、またはしたり顔で頷き、拍手で見送ることになるのだ。

【五話 黄色い山】


 一話の「白が揺れた」の後日談かつ前日譚で、過去にあった誤射事件周辺の真実と当時の関係者の言動から事件の真相に迫る作。一話に登場した名人の死去に伴う葬儀に出席する魞沢を迎えるハンターの三木本と葬儀を取り仕切ることになる農林課課長の錦が再登場するが、名人はもちろん串呂も死去済みと、過去の事件だけにほとんどの関係者は故人となり、魞沢が謎を解く動機も感じ入るものがある。ネタバレしない感想なのでこれ以上言えないが、大きな感動というよりは小さな墓を拝むような静けさに収束する短編。読めば読むほど味が出る。

【六話 緑の再会】


 タイトルで半分くらいは意味が分かっていたのだが、二話の後日談である。序盤で判明する魞沢プラス読者の勘違い(どんでん返しというほど明確なヒントがあったわけではないが)が結構大きな衝撃だった。
 繰り返しているけど、全て繰り返すわけではない。
 名探偵である魞沢は多かれ少なかれ事件に関与することが多く、既刊二作も含めその名探偵ゆえの憂鬱を抱えている。
 だから、終盤で明らかになる事実に、魞沢は心底ほっとしたし、そこでもたらされた新たな出来事はやはり魞沢が強く待ち望んだものだったはずで、読者は二話の魞沢のようにまた魞沢を見送ることになる。嬉しいとは異なるけれど決して悲しいわけではない、涙交じりの笑顔で。

 さあ、こんな駄文を最後まで読んでくださるあなたなら、きっと本作は一瞬で読めてしまうし何度も読んでしまうに違いない。であればすぐにお手に取っていただきたい。読んでいただきたい。どんな感想でもケチをつけたりしません。こっそりいいねもつけましょう。だからどうか早く。

2024.7.20 梅雨明けの暑さに項垂れながら

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