セラピストやヒーラーが本名を使うべきか芸名を使うべきか的な話

「客の目線だけでいうなら、別に本名かそうでないかは重要ではない。ただ、印象に残りやすい名前のほうがいい。」という話だと思ってます。

例えば、カウンセラーで「心屋」と名乗っている先生がいますが、電気屋が「電気屋」と名乗るようなもので分かりやすいのでお得だなあと思います。

文字で見た時と音で聞いた時と両方考慮する必要があるので、音で「ko ko ro ya」と聞いても意味不明ではありますけど、漢字で見ると「あー、カウンセラーだから心屋ね」と覚えやすいゴロになっているので。

作家でも考えてみましょう。小説家の名前が戸籍に乗ってる名前なのか「二葉亭四迷」みたいな名前なのかは、読者にとって全くもってどうでもよいことです。小説がおもしろいかどうかが大事ですので。

ただ、作品ありきの場合は作品の作者としておさまりのよい名前であるにこしたことはないでしょう。例えば泉鏡花作品のようなひたすら麗しい文体のものが「六代目獄門太郎」なんて作家名で出てたら少さな違和感は感じますので、作品にマッチした作者名であるに越したことはないでしょう。

セラピストやヒーラーで考えた場合も、覚えやすいか、提供するサービスとあっているか、本人の仕事上のキャラとあうか、あたりを軸に判断していったらいいのではないでしょうか。

むしろ本名は少なくないケースで、仕事上で名前を憶えてもらうためには機能的にあまりよろしくなく、「レンタル何もしない人」みたいに活動内容そのままな名前で認知されるほうがお得なことが少なくない気がします。

芸能人は芸名を名乗るのが習慣になっているところがあると思いますが、あれと考え方は同じで「覚えてもらいやすさ」「響きの良さ」「人とかぶらないように」「イメージを表すように」などの意味で新しい名前のほうがよさそうなら、さくっと作るのがよいでしょう。占いが好きな人なら、姓名判断的なものを駆使して「占い的に最強な名前」にするのも楽しいと思います。

ただし、あまり頻繁に変更すると知ってもらうコストが大変なことになるので納得いくものを作ることが大事にはなってくるでしょう。また、呼ばれて「本人がずっとしっくりこない」と問題なので、自分の肌に合うものであることが大事なのは大前提です。

昔の武家は元服といって子供から成人する時に名前を変える風習がありました。ところで源義経(幼名は牛若丸)の場合、亡命中みたいな時に成人を迎えたので元服時に自分で命名したというシーンが時代小説にありました。

遊びの場でのニックネームの場合は「親しい友達につけてもらいたい」欲求があることもあるかもしれませんが、お仕事上の名前の場合は「自分で自分に必要な名前を決める」というセンスが大事だと思います。



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