黒田精輝の「智・感・情」を見て感じた足についての違和感 外反母趾のはしり?

黒田精輝の「智・感・情」の展示をトーハクで見てきました。この作品は1897年にパリ万博に出典された日本初の西洋式の油彩裸婦画らしいです。「春」とか「正義」みたいな概念を擬人化するのは西洋絵画のよくある表現で、「おお、イタリアの絵画をみているようだ」というのが第一印象でした。


黒田清輝「智・感・情」  (wikipedia)

ところで、1つ不思議に思ったのは描かれている3人の女性は日本人モデルとですが「親指がそこそこ小指側に向いてる足、外反母趾の傾向がある足」をしていたことです。

明治期の日本人モデルだとわりと珍しい現象なのではという気がしました。

拡大図 (なんとなく少し痛々しさを感じる)

外反母趾は「靴を履く」という生活習慣によって起こりやすいとされる病気です。靴で足が圧迫されることで親指(拇指)が不自然に小指側に折れ曲がるというものなので。特に先のとがったヒールの靴などをはくとなりやすいと言われます。

明治期の日本を考えた場合、庶民の履物はわらじや草履や下駄といった「足を圧迫しないタイプ」のものが主流であり、幼少期から靴をはいて育った人間はまだまだ少数派だったのではないかと思われます。

1901年の東京でペスト対策を主な理由として「跣足禁止令(警視庁令第四十一号)」という裸足で歩くことを禁じる禁令が出されていたくらいなので、庶民層にまで視点を広げると明治は「はだしで歩きまわる」ことさえもまだまだ一般的な範囲だったようです。

1897年頃だと、1870年頃に日本での靴の製造は始まった時代から20年くらいたつので、モデルになった女性たちは幼少期から国産の靴もしくは輸入物の靴で育った初の世代なのかもしれません。

まだ洋靴という新しいアイテムがはいってきたばかりの時代なので、自分の足の形やサイズにあった靴をはくという意識もまだあまりない時代だったのだろう、といったことを明治の裸婦画を見て感じてしまいました。

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