生きていても亡くなっても別れは辛い話
私が好きになりすぎると、突然絡みを急激に減らしたり、離れたりするのは、人と別れが、凄い、身体を引きちぎったように痛くて、おばさんとか、親友にいわれるのは『感受性が豊かすぎて、人の痛みまで自分の痛みとして感じてしまいそうだから、あまり残酷な画像も映像もみないほうがいいよ』と。
また、ひとり、大好きな人が亡くなった。
どうしようもない、人間はいつか死ぬ。
異性の友達が結婚したあとも、寂しくなるけど、奥様のことを考えると、私が連絡取るのは嫌かなと思って、どんどん疎遠になる。
そういうことが続いたから、私は同性の友達ばかりと絡む。
異性は『恋人・夫だけでいい』異性の友達は、いま台本師して演者が必要なので、演者さんに関しては連絡とったり、話すこともあるけど
本来の私は『異性の友達要らない』ひとなので
自分の父親、弟、幼なじみは仕方ないとして、
恋人・夫と、『声劇関係の私の台本の演者』以外は、あとは自分のファンやリスナーさんは、決まった場所で交流すると決めていて
私と連絡取れる異性は、恋人・夫か私の家族じゃないと、ほぼ連絡しない。
異様かもしれないけど、私は好きな人しか、見えなくなるし、好きな人がひとりいれば良くて、
いま沢山の異性と絡んでいるのは
『特定の恋人・夫がいない』からであり、いると『自分の台本の演者か推し』じゃない限り
異性の友達は、別にいらない。
たくさんの異性からチヤホヤされたい人もいるけど、どんなにイケメンでも、綺麗だなかっこいいな、とは思うけど、だから好きになるわけじゃないし、好きな人以外はぶっちゃけどうでもいい。
それでも、水木一郎さんの訃報は辛い。
異性どうのこうのじゃなく『推し』だったんだろうな。
うまく伝えられない。
逢いにコンサートとか、行けば良かったのに、方法なんていくらでもあったのにね。
顔向け、出来なかった。
向こうは大したことない約束だろうけど
守れなくて、私、次の賞をとって、連絡しようって
思ったけど連絡とれなくて。
とれないよね、賞をとれないんだもん。一発屋だ。まぐれだったのかな。
それでも、逢いにいけば、良かったかもしれないね。
雲の上のひとだから、いや違うな
『私はこの人に会う権利がある』と思ってぶつかれば良かったな。
自分のことしか見えてない私は。賞をとれないから取れてから会うと、そんなことをして欲しかったわけじゃないかもしれない。向こうは。
何言ってももう居ない故人。
生きていても会えないなら別れてるとかわらない。別れも、出会いも
縁を大切にするだけ、か。
別れは、悲しい。泣いてスッキリして
また立ち上がるよ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?