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過去の記憶を抱きしめたまま、今を見つめる。

4年くらい前、当時付き合っていた彼と一緒に住む家を決めた直後に「やっぱり同棲も結婚もやめたい」と言われた。一緒に家を探しに行き、家を決めて、どんな家具を買おうかなんてウキウキしていた私は、一瞬でどん底に落とされた。

仕事中にオフィスの隅で、契約していた家を解約する電話をしたことを今でもよく覚えている。
駅のトイレで大泣きし、友達に電話して話をきいてもらった。その後も、駅の階段に座り込んでわんわん泣いた。あんなに人目をはばからずに泣いたのはあのときが最初で最後。もう二度とあんな経験したくない。

一番悲しかったのは、彼と同じ温度感で過ごせていなかったこと。
ああ私だけが一緒にいたかったんだ。私だけが舞い上がっていたんだ。
気持ちが置いてけぼりになって、それがどうしようもなく恥ずかしく、悲しかった。

そのあとも、その彼からは、「やっぱり一緒に住もう」と言われたり、かと思えば「やっぱりやめる」と言われたり。そんなやりとりが何度も続いて、最終的にはお別れした。
「やめたい」と言われるたびに、私はその理由を理解しようとしたけど、最後まで理解することができなかった。

その方とお付き合いしているうちに、私は自然と自分に自信がなくなって、「ありのままの自分では好きでいてもらえない」と思うようになっていった。

当時の私は、ずっと本当の自分の欲求をおさえて過ごしていたと思う。
「最近面白いことはあった?」と聞いてくる彼に対して、映画や本、気になるニュースとか、ずっと何かをインプットして新しい自分でいておかないといけない状態がしんどかった。
自分の好きな服や髪型を楽しみたかったし、いつも喫茶店に行くんじゃなくて、遠出したり旅行にも行きたかった。
昼まで眠ったり、化粧をしないで過ごしたり、夜中にファーストフードを食べたり、たまにはだらしない自分を見せたかった。
本当は静かに過ごすよりも、馬鹿みたいに大笑いしたり、一緒にアクティブなことをする方が好きだった。

どうしてこんなに我慢するようになってしまったのかは一言では言えないし、誰かのせいでもない。きっと自分で自分の首を締めて、「こうあらねば」と思ってしまっていたからだと思う。

ずっと行きたかった平安蚤の市。ようやく今年の1月に行くことができた。

あれから時間が過ぎて、私は自然体でいれるようになった。
最近会う人みんなに「やさしい顔つきになったね」「やわらかくなった」と言われるようになった。きっとそれは、ありのままでも受け入れてくれる恋人や友人に恵まれているから。

4年前、友人から「あなたの良いところは、明るくてエネルギーが溢れているところ。そんなあなたの良さをわかってくれる人と一緒にいてほしい」と言われたことがある。
その時の私には、それがどういうことかよく分かっていなかったんだけど、今なら分かる。今の私のまわりには、私の良さを分かってくれる人たちしかいない。だから、ありのままの本来の自分でいることができる。

そんな恵まれた日々を過ごしていても、ふとした拍子に、4年前の出来事をを思い出して涙が止まらなくなる日がある。
思い出した日は、一気に過去に戻された感覚があって、どうしようもなくしんどくなる。こういう日の対処法を私はまだ知らない。

ある人に言われた言葉がある。

「過去と今を重ねてはダメだよ。今目の前の人や物事をちゃんと見ないと。」

私は今を生きているし、過去は過去。傷ついた経験も起きた出来事も消すことはできない。でも、その過去の記憶を抱きしめたまま、今を生きることはできる。
無理に忘れたり、元気でいる必要はなくて、ただ、今この瞬間を見つめて生きていく。そうしているうちに、涙が止まる日がやってくるのかもしれない。

もしかしたら明日には、来月には、1年後には、この出来事を思い出すことがなくなるかもしれないけど、今の自分の気持ちは、そんな感じ。


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