シャルトルへ行きました。⑤

五 村八部、もしくはモラハラ

 この春に入って、ようやく国際往来が正常化したので、私も客室部へ呼び戻された。配属は、ユニット長が妊娠休職に入ったため空席となっていたポストがあり、そこへ収まった。要は既存のユニットの頭だけが私にすげ代わったということだ。噂ではナンバーツーの田中はユニット長に繰り上がれるものと期待していたようだが、客室部には私のように行き場を失った上級CAがうようよしている。そっちにポストをあてがう方が優先されて当然だろう。私だってコロナ禍前もユニット長だったのだから、丸々二年間昇進していない。それでも文句言わずに呑み込んだ。今は客室部に残れただけでも有難いと思わなくてはならないのだ。
 だが、ほっとしたのも束の間のこと。客室部を離れていた間に、「何か」が変わったことを知った。着任して早々に、自己紹介を兼ねてユニット員と個人面談をした。
「もっと長期的な目標を持った方がよくない?」
彼氏との結婚でも目論んでいるのか、半期、一年単位でしかものを見ていない後輩達にそうアドバイスすると、
「はあ。そうしたくても、コロナ禍以来、会社の方針が二転三転していて先を見るのが難しいというのが正直な気持ちです。西島(私のこと)さんは、どういうキャリアで行こうとお考えなのですか?」
と逆に問われて驚いた。
「私? この年になるとあまり選択肢がなくてーー、」
としどろもどろで答えると、呆れた顔をされた。

 スタート時点から掛け違った歯車は、そのあともスムーズには動かない。後輩指導も然りで気を遣えば遣うほど空回りする。
「細かいことを言ってごめんね。でもねーー」
「あ、いえ」
「バカバカしい、と思うかもしれないけれど、これがプロとそうでない人の違いなの」
「プロ、ですか」
「え?」
「いえ、気をつけますので、あの、もういいですか?」
とシラけきった顔で頭を下げられておしまいだ。それも口ばかりで注意した点については一向に直さない。再度指摘すれば舌打ちせんばかり。時にはふざけたことを言って場を盛り上げようとしたこともあるが、笑いというよりは失笑されて終わった。こうみえて私は空気を読むのが得意だ。今までも時には潤滑油として、時には盛り上げ役として重宝されてきたのに、どうして今はこうも厭われるのか。
 毎月のフライトは基本的にユニット毎にアサインされるのだが、乗務中もギクシャク、そして到着後のステイ先では一人放って置かれる。「みんな今回のステイは何するの?」と聞いても、困ったような笑みを浮かべて誤魔化されるだけだった。はじめは疎外感を持ったが、幸いコロナの二年余りの間に一人で過ごすことに慣れていた。

 それがどういう風の吹き回しなのか、片山は明日の遠出に誘ってくれた。田中が不在だからパワーバランスが変わったということなのか。それとも、ただ単に義理を立てて聞いてくれただけか。いずれにせよ、いきなり遠出しようといわれても困る。そういう服も持ってきていない。そこで、一緒したいのは山々だが今回は月例ミーティングのレポート書きがあって忙しいから遠慮させてもらう、と思いつくままに答えた。片山もほっとするだろう、と思った。ところが、
「そうですか、ーー残念です」
と、片山は真にがっかりした声を残して、背もたれに乗り出していた身体を戻した。悪いことしたかしら、と胸はちくっとしたが、今回はどう転んでも観光という気分にはなれない。考えるべきことがたくさんある。自分の座席に戻る片山の背中を目で送りながら、「これで明日はまた一人になれる」、と安堵する。

 だが次の瞬間に、
「一人になるのを喜ぶなんて、私はなんて寂しい人間なのだろう」
という思いに襲われた。痛烈にそう感じられたのだ。大体、一人で考えたいこととは何のことだろう。あのバレンタインデーから気づくともう二年、いやあと数か月で三年が経とうとしている。それなのに。
 あゝ認めよう、私は仲野が戻ってくる、と心の何処かで信じていたのだ。バカ丸出しもいいところだ、分かっている。それに、そんな妄想も仲野の結婚を持って完全にアウトとなったわけだ。「いやいや、ずっと前からアウトやったし」と、苦笑いを浮かべようとするが、すぐに涙でぐずぐずになる。ふと、明日ホテルの一室で、夕方ワイングラス片手に泣き崩れている自分が目に浮かんだ。何回もあった現実の姿だった。
「今回はそこで止まるのだろうか」
酒を煽って、泣き叫んで、そのあとはーー。思わず両手に顔をうずめた。涙を呑み込もうとしていたら胸が苦しくなってきた。こんなところでパニックを起こしたらマズい。「落ち着け」と自分に言い聞かせ、頭の中でカウントしながら、ゆっくりと息を吐く。ゆっくりと吸い、ゆっくりとーー。
 バスもようやくパリ環状線に入った。薄汚れたビルやサッカーのスタジアムなど、何となく見覚えがある景色が目の端を流れていく。もうホテルも遠くないはずだ。バス後方で一番若手の若田がガイドブックを読み始める声が私の耳に届く。
「シャルトル大聖堂は、ユネスコ世界遺産にも指定されており、最も美しいゴシック様式の大聖堂といわれているーー」
すると誰かが、
「若やん、もういい、疲れてるんだからウンチクは明日にして」
と茶々を入れる。だが若田は気にせず声を上げ読み続ける。呼吸を整えるのに集中しつつ、片耳は若田がガイドブックを読み上げるのを聴く。いつか写真で見たシャルトル大聖堂の、すっと空に伸びた尖った鉛筆のような塔の姿がやけに鮮明に思い出された。教会や寺院を訪れるのが好きで外地ステイで教会の近くを通るときは立ち寄るようにしていた。別に信仰心があるわけではない。
「真剣にお願いしたのは縁結びの神くらいなものか」
と一人苦笑いを浮かべる。私は現実的過ぎて、神など信じることができないタイプなのだろう。それでも、足音を気にしながら教会の中をゆっくりと歩き、ひんやりした空気を吸う、そういう時間は好きだった。

 フライトし始めてからというもの、数え切れないほどフランスに来ているが、シャルトル大聖堂には行ったことがなかった。急に、「行ってみたい。行ってみようか」という気持ちが湧いてきた。ホテルに到着したら片山に、やっぱり一緒に行ってもよいか、と聞いてみよう。そんなことを考えていると少し気分が晴れてきた。

つづく

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