サンタモニカへ行きました。②

カリフォルニアン・ブリーズ

 予定より少し早い午前九時前に、飛行機はロサンジェルス国際空港、通称LAX(ラックス)に到着した。時差で疲れてい身体を、ひんやりと乾いたカリフォルニアン・ブリーズが迎えてくれる。座席に押し潰されたショートボブの髪が風に梳かされ、気持ちよい。前髪に指を通しながら、今回の休暇にこの地を選んだのは、旧友に会うためだけではなく、この風に吹かれたかったからだ、と気づく。このからっとした風に今の自分を晒したかったのだ。
 このところ参っている。長年の友人、藤野奈津子が昨秋急逝したのだが、そのショックが大きくて、気持ちを立て直すことができずにいる。
 奈津子がマンションの一室で冷たくなって発見されたのは昨秋のことだった。死因は心不全としか知らされていないが、状況を知る人からは、自死だったらしいと耳打ちされた。遺書はなく、一人ひっそり、奈津子はこの世を去ったのだ。
 あの時、わたしの心に穴が空いた。半年経つ今もその穴は塞がらない。塞がらないどころか、真空の穴はじわじわと広がっていて、その淵を後ずさりしているような気がする。
 奈津子、何があったの? 何で話してくれなかったの? 何故死を選んだの?ーー 気づくと問いかけている自分がいる。
 
 取り敢えず空港近くのホテルに入ると、シャワーを浴び、早速サンタモニカに住む浩美に電話した。
 浩美はその昔、かおりや奈津子と一緒に働いていたCA仲間だ。五年ほど乗務した後、結婚のため退職し米国へ渡った。今までは日本空輸が就航していない州に住んでいたため会うことがなかったが、それでもクリスマスカード、年賀状のやり取りは続けていた。一年前に、LAXからそう遠くないサンタモニカ市に越したという知らせを受け、いつか会いに行きたい、と思っていた。
 そこに奈津子の死があった。そして、まだその悲しみを引き摺っているというのに、さらなるショックが待っていた。
 会社から系列企業への転籍を打診されたのは先週のことだ。コロナ禍以降、会社が人員整理に焦っていることは知っていたが、ついに来てしまったのだ。上司は、その場で了承してくれると踏んでいたのか、ジッと待っていた。確かに、今まで会社の言う通りに働いてきた。わたしも、その時が来たら受け入れるしかないと心の準備はしていた。なのに、いざとなると声も出せずに硬直してしまった。息苦しい沈黙が続いたあと、蚊の鳴くような声で「しばらく考えさせて下さい」と答えるのがやっとだった。
 このままでは淵から滑り落ちる、と思った。深いところまで沈んでしまう。ちょうど有休調整で六日連続休暇があった。それで急遽、サンタモニカへ行くことを決めたのだ。
 
 電話越しの浩美の声は、昔と変わらなかった。静かで、はっきりとしていて聞き取りやすくて。
「かおりです。今到着したの」
「かおちゃん、来たのね。お疲れ様」
「うん、来ちゃった。ごめんね、急に決めてーー」
 そんな気を遣うかおりを遮るように、
「そんな、楽しみに待っていたわよ。泊まってくでしょ。ホテルなんてキャンセルできるわよ。迎えに行くわ」
と浩美は昔より随分パワフルな印象を残しながら電話を切った。そこで半日ほどホテルで休んだあと、午後から浩美が住むサンタモニカに移ることにした。
 新人の頃は、浩美と奈津子を含む同期五人組でよく遊んだ。その五人組も、まず理恵が機内で知り合った弁護士と結婚退職し、次の由利は、これまた入社して三年も経たないうちに実家に呼び戻されて見合い結婚、そしてこの浩美が渡米すると、かおりと奈津子だけが残った。
 奈津子とは、年々会う回数は減っていた。それでもタイミングが合えば年に一、二度は一緒に食事をした。そんな薄まった付き合い方だったが、四十過ぎればそういうものだろう。大人になれば皆それぞれの事情がある。それでも、かおりは奈津子のことをいつも心のどこかで大切に思っていた。奈津子もそうだと信じていた。

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