【昭和の思い出セレクション】かつての自分が眩しすぎて…ベルサイユのばら
「私の血はワインでできている」
ワイン通としても有名な女優の川島なお美さんがかつて放った名言である。
これになぞらえていえば、「小学生時代の私は『ベルばら』と『ベイ・シティ・ローラーズ』でできている」となるのであろう。
言わずもがな、『ベルばら』とは少女漫画の金字塔『ベルサイユのばら』の略である。フランス革命前から革命前期のベルサイユを舞台に、女性に生まれながら軍人として育てられたオスカルとフランス王妃マリー・アントワネットらの人生を描いた池田理代子先生による歴史大作少女漫画だ。1972年(昭和47年)21号から1973(昭和48年)年52号まで『週刊マーガレット』(集英社)で連載されていた。
私は、リアルタイムで連載を読んでいたお姉さん世代よりはやや遅れて、単行本の『ベルばら』にハマった。5年生のときのクラスメイトのオトトちゃんか、あるいはミッ子が『ベルばら』を1巻から3巻くらいまで持っていて、家に遊びにって読ませてもらい、その場で一気に夢中になったように記憶している。『ベルばら』には、男装の麗人、お姫様、ドレス、巻毛、宮殿、恋愛という女の子の甘美な大好物がめいっぱい詰まっていて、読めばすぐに虜になるようにできている。さらに巻をすすめていくごとに、悲恋、ゆるされぬ恋、革命、悲劇とビターな要素もてんこ盛りとなり、さらなる沼に引きずり込まれていくという展開だ。
商店街も団地も、そして自分自身も眩しいほどに光り輝いていた
単行本の発売日が待ち遠しくて、発売日当日ともなれば私もオトトちゃんもミッ子も授業が早く終わることをひたすら願い、居ても立ってもいられない。なんといっても当時はSNSもネタバレサイトもないので、『週マ』での掲載が終わっていても、どんなストーリーなのかは、小学生には知る術がないのだ。
帰りの会が終わると一目さんに家に帰り、ランドセルを放り出して本屋の博文堂へと走る。私が住んでいたのは、千葉県船橋市にある団地が立ち並ぶ新興住宅地で、商店街には「博文堂(はくぶんどう)」と、1軒の店を挟んで「御幸(みゆき)」の2軒の本屋があった。もともと博文堂があって、なんでわざわざほとんど隣に御幸は出店したのか、それは地域の謎だった。「御幸」は新しくて広いので大人に人気で、子どもたちは断然「博文堂」派だった。本屋の在庫管理や返品手続きがどういう仕組みになっているのかよくわからないが、博文堂の店主のおばさんは、子どもが本や文房を買うと、売れ残った雑誌の付録をオマケでくれるのだ。そんなわけで、単行本とオマケが入った書籍袋を胸に抱えて帰る道すがら、家まで我慢しきれなくて、書籍袋をビリビリと開けて、歩きながら漫画を広げて読んでしまう。そんな時の私は完全に、オスカル様が手綱を引く馬に乗っていて、片側に商店街、片側は団地群の大通りを颯爽と駆け抜けていた。私とオスカル様の周りにはバラが咲き誇り、キラキラマークが散りばめられている。オスカル様と私はもちろん。八百屋の房州屋も、和菓子の伊勢屋も郵便局も、団地も、道行く人も何もかもすべてが眩しいほどに光り輝いていた。
その輝きがあまりに眩しすぎて、私はつい最近まで実に40年以上、『ベルばら』を振り返ることができなかった。今はこうして『ベルばら』を振り返ることはできても、あいかわらず漫画は読めないままだ。それの感覚は“太陽を直接見てはいけない”に近い。
漫画への愛は永遠に
新刊を読んだ翌日はオトトちゃんとミッ子と最新刊のストーリーについて登校から下校までずっと語り続けていたっけ。あれほどまでに少女漫画でドキドキ、ワクワクしていた小学校の日々。懐かしいなぁなんて思っていたら、案外そうでもなかった。高校生ともなるとすっかり漫画は読まなくなっていた私だが、Amazonで昔の漫画が全巻大人買いできるようになったことや、電子書籍で読めるようになったこともあってアラフィフになったあたりから、再び漫画を手にするようになった。そして、池田理代子先生の『オルフェウスの窓』を読んでみたら、自分でもびっくりするくらいに夢中になってしまった。『オルフェウスの窓』を読んだのは秋も深まり冬の気配が幾分感じられる頃。犬の散歩の途中、公園のベンチに座って読んでいると、そのときの私は完全に、舞台となっているドイツのレーゲンスブルグの枯葉が舞い散る公園にいた。
小学校の頃は池田理代子先生一辺倒で他の少女漫画家の作品は読まなかったので、食わず嫌いはもったいないと萩尾望都先生の『ポーの一族』を読んでみたら、これまたドハマリ。『オルフェウスの窓』も『ポーの一族』も年代が入り組んでいるので、全巻を読み終えた後にもう一度最初から読み直して流れを整理してみようと思ってページを辿ったけれど、それができない。『オルフェウスの窓』や『ポーの一族』を読んでいたときの高揚していたときの自分に対峙することができないのだ。「三つ子の魂百までも」は言い得て妙で、漫画に対するテンションは小学校のときとちっとも変わってなかった。こんないい年をして少女漫画でワクワクして、さらにその感情をもてあましてしまうなんてバカっちゃあまりにバカだ。しかしこんないい年をしてもなお、戸惑うくらいに幸せホルモンのセロトニンが放出されるものがあるなんて幸せっちゃ幸せなことなのかもしれない。
私の願いは…池田理代子先生に文化勲章を
ところで、2022年9月~11月には東京・六本木のアークヒルズで「誕生50周年記念 ベルサイユのばら展-ベルばらは永遠に-」が開催された。展覧会で驚いたのは、池田理代子先生のプロットの緻密さと原画の美しさだ。池田先生は、登場人物を脇役にいたるまで、年代ごとの顔の造作のバランス、プロポーション、表情、衣装、髪型、配色の全てを計画してから連載を開始していたのだ。さらに原画は、精緻に書き込まれていて、ホワイトで修正された跡がなく、それ自体が一服の絵画作品のように美しい。インクで彩色されたカラー原画も同様で、塗りむらがまったくない。ワコムの液晶タブレットや、Adobeがない時代に、こんなことってどうやったらできるのだろう。池田先生、神事すぎます!
『ベルばら』は間違いなく私の血の一部であり、漫画世界にエポックメイキング的な役割を果たした漫画史の血の一部でもある。池田理代子先生に早く文化勲章を授章してほしいと切に願わずにはいられない。
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