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はじめて買ったCDは豊川誕の『星めぐり』

初めて買ったCD、それは豊川 誕(とよかわ じょう)の『星めぐり』。
正直に言えば初めて買ったレコードだ。

私と同年代の友人で豊川 誕を知っている人は少ない。れっきとしたジャニーズアイドルだし、歌謡賞の新人賞レースにも出ていたのだが、影が薄かったのだろうか、「豊川 誕っていたよね?」と聞いてもなぜかみんな覚えていないのだ。

1975年発売のデビュー曲、『汚れなき悪戯』の頃から、テレビに豊川 誕が出るたびに無性に胸がざわざわして、気になって仕方なく、じっと見続けていた。だが、いかんせん小学校低学年だった私は「好き」とか「ファンになる」ということがよくわからなかったし、ましてや「レコードを買う」というおませな行為を親に知られるのが恥ずかしくてできなかった。

可哀そうな星めぐり、人に言われて気がついた

星めぐり

そんな私を「豊川 誕が好き」と確信させ、レコードを買いに走らせる事件が起きた。週刊誌が、豊川 誕は2歳の時に兵庫県姫路市の大手前公園横に遺棄されているところを保護され、姫路市の児童養護施設で育ったとスクープしたのだ。本名の「本田孝」と名付けたのは当時の姫路市長、誕生日は推定で決められた。
胸が締め付けられた私は、これが「好き」ということなのだと確信して、お小遣いを握り締めてレコード屋に走り2作目のシングル『星めぐり』を買った。こうなってくるともう寝ても覚めても豊川 誕が頭から離れない。「可哀そうな 星めぐり、人に言われて 気がついた」ではじまるこの歌をレコードが擦り切れそうになるほど何度も聞いた。おもちゃみたいなレコードプレーヤーで。

間も無く、第2の事件が起こった。「オールスター家族対抗歌合戦」に豊川 誕が出場したのだ。他の芸能人が父や母、兄弟といっしょに歌うなか、豊川 誕の家族としてスタジオにやってきたのは、養護施設の所長やスタッフの方々。
そんなシーンを見たら、「この人を応援するのは私しかいない」「私だけはこの人の味方だ」って思っちゃいますよね。続くシングル『生きるってすばらしい』ももちろん買った。

生きるって

三つ子の魂百までも、なのだ

しかし、豊川 誕は、デビューからずっと続いていた「孤児」「施設出身」を前面に推し出して世間の同情を誘おうとする事務所のプロモーション戦略には実のところほとほと嫌気が差していたという。おそらく週刊誌の「孤児」ネタスクープも情報源は事務所だったのだろう。豊川 誕は結局ジャニーズ事務所を退所。フリーとして活動するが、以前のようなヒットは出なくなっていった。その後、豊川 誕の名前を聞くのは20年以上経って覚醒剤で逮捕された時のことだ。

そんな時代もあったねと、みたいな懐かし話で終わればいいのだけど…。アラフィフになっても私の男の趣味はずーっとそのまま。好きになるのは、どこか女の子っぽさのあるルックスで、影のある男。そんな男に惹かれてしまうのは何故だろう。事務所のプロモーション戦略にまんまとハマったように、その手の不幸の匂いのする男は、ある一定の女性のハートを確実に鷲掴みにするのだろう。
明るいスポーツマンでクラスの人気者とか、「俺に任せろよ」的な男性に魅力を感じていたら私の人生、少しは変わっていたのだろうか。

太宰治の文章にもメロメロになり、桜桃忌にも行った。
「大好き」の頃から岡村靖幸も大好き。

「三つ子の魂百までも」ってホントのことなのね。

レコード

(ちなみにレコードってこういう円形の盤です。針を乗せると音が出ます)

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