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電車で行ってみようTHE千葉県!【銚子電鉄】 銚子から犬吠埼へ向かうシーサイドトレイン

レトロなのにモダン、そしてどことなくチャーミング

銚子駅を起点とし、終点の外川駅まで6.4km、10駅を約19分で結ぶ銚子電気鉄道、略して銚子電鉄。
 昭和の香りが漂うレトロな雰囲気の路線ですが、銚子電鉄が多くの人を惹きつけるのは、単にレトロなだけでなく、ちょっと垢抜けて、洗練されたエッセンスがところどころに見え隠れしているからではないでしょうか。駅ごとにコンセプトが異なるメルヘンチックな駅舎、個性的なオリジナルグッズには、鉄道マニアならずとも心をくすぐられるものがあります。 
 地域の人の生活の足としてなくてはならない存在であることはもちろんですが、沿線には、飯沼観音や、君ヶ浜海岸、海鹿島海水浴場、レジャースポットとして名高い犬吠埼を擁するため、観光路線としても人気です。
 人気のローカル線だけあって、旅をテーマとしたテレビ番組でもたびたび紹介されていますが、その知名度を全国区にしたのは、何といっても銚子電鉄名物の「ぬれ煎餅」でしょう。廃線の危機に直面しながらも鉄道を守ることに賭けた鉄道員たちと、エールを送った鉄道ファン。たくさんの人たちの熱い思いに支えられながら、今日も銚子電鉄は走り続けています。

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未曾有の危機を救った鉄道マンと鉄ファンの心意気

のどかに走る銚子電鉄には、実はさまざまな立場の人の思いが詰まっています。
 銚子電鉄の経営権は、1990(平成2)年に京成電鉄系の千葉交通から内野屋工務店に譲渡され、同社が子会社「銚電恒産」を設立して銚子電鉄は銚子恒産の子会社となりました。 
 ところが、1998(平成10)年に銚子恒産が倒産。さらに、2006(平成18)年に前社長が横領容疑で逮捕。1億円を超える前社長の個人的な借財を会社が背負うことになります。 
 社員全員が給料をギリギリまで削って鉄道事業を続けていましたが、保守点検のための費用が捻出できず、運輸局より老朽化した施設の改善命令が出されてしまうという危機的な事態に。もはや鉄道事業の継続事態が危うくなり、会社は絶体絶命のピンチに陥ります。 
 そんななか同年11月に銚子電鉄のウェッブサイトに掲載されたのが「電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです」という一社員の悲痛なメッセージです。
 このメッセージは、巨大掲示板の「2ちゃんねる」などで話題を呼び、「銚子電鉄を救うために、同社が副業で生産しているぬれ煎餅を買おう」という運動が盛り上がり、煎餅の注文が殺到。なんとか、法定点検実施のための資金を確保することができました。
 一方で、銚子電鉄存続のための署名も実施され、銚子市の人口75,000人を上回る、90,000人以上の署名が集まったそうです。
 ところが最近、「ぬれ煎餅」収入だけでは経費補填できず、ついに赤字に転落。国の補助金も減少して、このままではいよいよ「経営状況がまずい・・・」ということで、2018年8月3日(破産の日)より「まずい棒」の販売を開始したところ、またまた好評を博してあっという間に販売数200万本を突破。自虐的なセンスの中に鉄道マンの銚子電鉄愛と心意気が見え隠れして、思わず胸が熱くなり、「ガンバレ!銚子電鉄!」とエールを送らずにはいられません。

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<香ばしいお醤油味は銚子ならでは ぬれ煎餅>
 しっとりした染み染み感と、香ばしいお醤油の味がクセになる「ぬれ煎餅」。銚子電鉄がぬれ煎餅を作り始めたのは、1995(平成7)年。鉄道事業の赤字を少しでも補おうと、鉄道員が出したアイディアがきっかけでした。「副業」として始めたぬれ煎餅事業ですが、2006年の大ピンチを救っただけでなく、本業の鉄道事業のおよそ2倍の収入を稼ぎ出しているというのですから驚きです。「ぬれ煎餅」の醤油だれは、仲ノ町駅の目の前に本社と工場がある、ヤマサ醤油(1645年創業)の「ぬれ煎餅専用醤油だれ」を使用しているそうです。

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        <まずい棒>

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ーではここから各駅を巡ってみましょう。

【総武本線の終点で、銚子電鉄の起点 銚子駅】

 JR総武線銚子駅の2番線の先端にある銚子電鉄の銚子駅。1991(平成3)年8月竣工のオランダ風車を模した上屋がプラットホーム上に建ち、これからスタートするローカル線の旅の気分を盛り上げてくれます。

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<なんで銚子? 銚子の地名の由来>
 銚子は、もともとは地名ではなく、利根川の河口を指す名称でした。江戸時代初期の1600年代に、利根川河口の地形が酒器のお銚子に似ていることから、河口を銚子と呼ぶようになったそうです。周辺は、固有の村名を持ついくつかの村々で構成されていましたが、簡単な呼び名「銚子」が、河口名にとどまらず、地域名として幅広く使われるようになったようです。

<名産品をGET 味噌のような、醤油のような…?>
「ひしお」を知ってますか? 知る人ぞ知る銚子土産のヒットアイテムが銚子山十の「ひ志お」です。大豆と大麦から作られた発酵調味料「ひ志お」は、形状は味噌のようですが、味や風味はどちらかというと醤油に近いような…。温かいご飯にそのままのせて食べても、固形醤油の感覚で生野菜や豆腐につけても美味。トーストにバターと「ひ志お」をひと塗り…意外ですが、かなりイケます。ぜひお試しを!

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       <山十>

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       <ひ志お>

【スイス登山鉄道風のチャーミングな駅舎 観音駅】

 スノーホワイトとパステルグリーンが爽やかなスイス登山鉄道風の駅舎が印象的です。

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<飯沼観音>
 駅から歩いて5分ほどの場所にあるのは、駅名の由来にもなっている、飯沼観音(飯沼山円福寺)。漁師の網にかかった十一面観音をご神体とすることから、漁業関係者の厚い信仰を集めています。

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<なんで観音? 駅名の由来>
 飯沼観音あるいは銚子観音として親しまれている「飯沼山円福寺」が近くにあることからこの駅名が付けられました。伝説によれば、728(神亀5)年に土地の漁師が、海中から長さ2尺余り、周囲1尺ほどの瑪瑙(めのう)石を抱えた十一面観音像を引き上げ、これを安置して草堂を建てたのが寺の始まりといわれています。江戸期には全国からの参詣の信者が集まり、銚子の市街はこの寺の門前町として形成されました。

<観音駅ノスタルジー>
 かつて観音駅のなかで製造・販売されていたたい焼き。見た目はごく普通のたい焼きなのですが、銚子電鉄直営のたい焼き屋さんのたい焼きだと考えるだけで、不思議と特別な味わいがあったのでしょうか、観光客をはじめ、通学途中の学生に人気の観音名物として40年間も地元のお客様や観光客に親しまれていました。ところが設備の老朽化などの理由で2017年3月末に閉店。でもご安心を。観音駅での製造のノウハウを生かしたたい焼きが、現在は犬吠駅で製造・販売されています。

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【関東最東端の駅 海鹿島(あしかじま)駅】

ひっそりとした無人駅ですが、関東地方最東端に位置する駅という、プレシャスなステイタスを誇る海鹿島駅。駅周辺を散策すると、海の近い風光明媚なエリアということを実感し、明治・大正・昭和初期を通じて多くの文人が逗留していた理由が分かるような気がします。 
 残念ながら、現在では別荘地や保養地として華やかなりし頃の面影はあまり残っていませんが、文学碑が各所に点在し、往時を偲ぶことができます。海鹿島駅で途中下車して、銚子の生んだ文豪 国木田独歩の碑を始め、竹久夢路、小川芋銭、尾崎萼堂など、銚子ゆかりの文人達の文学碑巡りを楽しんでみてはいかがでしょうか。

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<なんで海鹿島駅? 地名の由来>
 1897(明治30)年頃まで、アシカが生息していたことからこの地名が付けられました。当時の政府は、捕獲を禁止していたことから、多い時には200~300頭ものアシカがいたといわれています。近代に入ると乱獲が行われ、アシカは姿を消し、現在ではその姿を見ることはできません。

【白砂青松の風光明媚な海岸 君ケ浜(きみがはま)駅】

 かつては、凱旋門を模した白亜のゲートがあった君ヶ浜駅。現在、ゲートは取り壊され、支柱だけが静かに佇んでいます。
 君ケ浜は、犬吠岬の北側に約1kmに渡って広がる美しい海岸。周辺は「しおさい公園」として整備され、海辺の散策が楽しめる絶好のスポットとなっています。

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       <2007(平成19)年に解体された在りし日の白亜のゲート>

<なんで君ヶ浜? 地名の由来>
 以前は霧が発生することが多く、「霧が浜」と呼ばれていたのが、時を経て君ヶ浜と呼ばれるようになったようです。「待てど 暮らせど こぬひとを」で始まる竹久夢二の詩「宵待草」は、この地でのできごとがベースになっているともいわれています。

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<君ヶ浜>

【見どころ満載の観光拠点駅 犬吠(いぬぼう)駅】

 犬吠埼をはじめ、ホテルや旅館を擁する銚子観光の拠点だけあって、駅は銚子鉄道のなかで最も大きく広い。白を基調とし、絵タイルの貼られたポルトガルの宮殿風建築の駅舎と駅前広場は、ゴージャスで美しく、訪れた人を夢見心地にさせてくれます。
 駅舎内では、銚子電気鉄道の各種鉄道グッズ、記念切符、硬券入場券・乗車券、地元名産品や駅弁などの土産物の他、名物の「銚電のぬれ煎餅」の手焼き体験もできて観光客や鉄道ファンの人気を集めています。

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<犬吠埼>
 犬吠駅から海までは徒歩で10分あまり。関東最東端に位置する太平洋に大きく突き出た岬の突端にある犬吠では、荒波が打ち寄せる雄大な眺望を望むことができます。岬の先端にそそり立つ白亜の犬吠埼灯台もなかなかフォトジェニック。

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<なんで犬吠埼? 地名の由来>
 鎌倉初期、兄の源頼朝に追われ、奥州に逃げる途中この地に立ち寄った源義経は愛犬「若丸」を残して奥州へと向かいます。海岸に残された若丸は、主人である義経を慕って7日7晩吠え続けたために「犬吠」になったという義経伝説が残っています。銚子の海には、若丸が吠え続けて岩になったことから付けられた「犬岩」、義経が1000騎の兵とともに立てこもったことから付けられた「千騎ケ岩」があります。

<犬吠埼ノスタルジー>
 かつてここには、イルカやアシカのショーで人気の犬吠埼マリンパークがありましたが、残念ながら2018年1月に閉園しました。2019年8月に再開に向けての補修工事が決定したと報じられましたが、具体的な再開時期は未定となっています。

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【情緒あふれる石畳と坂道の漁村 戸川駅】

 時代をさかのぼったような古い木造の駅舎が味わい深い外川駅は、銚子電鉄の終着駅。周辺は静かな漁村ですが、漁村らしい風景と、眼下に太平洋を見下ろすように形成されている石畳と坂道が多い風情ある町並みは、今では稀少。2007(平成19)年に日経新聞の「訪れる価値のある駅10駅」に選ばれています。

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<戸川の町並み>
 銚子電鉄の前身である銚子鉄道設立の目的のひとつは、外川漁港で水揚げされた魚を運ぶことにありました。戸川漁港は、江戸時代に紀州の崎山治郎右衛門によって築かれた港です。海難に遭った紀州広村の崎山治郎右衛門は、飯沼村(現飯沼町)、高神村(現外川町)の人々に助けられ、その恩返しにと寛永年間(1624~1644)に、故郷から140人もの漁師を呼び寄せ、漁業技術の伝承と漁港建設に尽力しました。そのことが戸川漁港のはじまりであるとの記録が残っています。
 外川沖はタイやヒラメの釣り場でもあることから、町には民宿や船宿も多く、週末ともなれば太公望たちが釣り竿を担いで訪れます。

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