20.比喩のちから

恥ずかしながら、名作アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』を、今になって初めて観た。めちゃくちゃに良いアニメだった。最終話を観終わった後は胸がジンジンして、ボーっと天井を見つめながらしばらく感傷に浸っていた。

ストーリーを頭の中で振り返ってゆくと、『あの花』が伝えたかったメッセージのようなものが次第に見えてくる。だぶんそれはすごくシンプルなもので、「友達を大切にしよう」とか「自分のことだけ考えてちゃだめだよ」とかそういったことだと思う。すごく当たり前のことなんだけど、いろんなことを経験して大人になり、忙しい日常の中を生きていると、無意識のうちにないがしろにしてしまっていることかもしれない。

そこでふと思ったのは、「もしこのメッセージを、そのまま言葉にして言われたところで、僕の心に響いたのだろうか」ということだ。もちろん答えはノーで、そんな当たり前のことを言われたところで、僕はさらっと流してしまうと思う。『あの花』の素晴らしいストーリーがあったからこそ、当たり前のメッセージもガツンと心に響いたのだ。

ところで、僕はECにまつわる仕事をやっているのだけれど、その中で商品のキャッチコピーや、魅力を伝える文章を考える機会がとても多い。割と高価な商品を扱っているため、「激安!」とか「セール中!」といった言葉はブランドイメージを傷つけるので使えないし、ネットでの買い物ではお客さんは実物を手に取れないため、「上質な」とか「ステキな」とか「こだわりの」とか、一見良い言葉に聞こえるけど、抽象的で商品のイメージが湧きづらいフレーズは、あまり好ましくない。

一方で、別の何かに例える比喩表現はとても有効である。例えばひと塗りで指先がキラキラ輝くネイルがあったとして、「輝きに満ちた」というよりも「まるでダイヤモンドを散りばめたような」と言ったほうが、よりお客さんはイメージしやすいし、この商品ステキだな、使ってみたいな、と思ってもらいやすくなる。(実際のイメージとあまりにもかけ離れているとクレームになってしまうので、そこは僕たちの腕のみせどころである。)

また、架空のストーリーを作ってしまって、独自の世界観に惹き込むという手も有効である。資生堂のコスメブランド「マジョリカマジョルカ」はその最たるものである。

つまりは、人に何かを伝えようとする時、そのまま言葉にするよりも、何かに例えたり、ストーリーにのせて伝える方がより響くのである。環境省の役人が「自然を大切にしよう」と言ってもなかなか響かないだろうが、もののけ姫を観れば「自然って大切なんだな」と誰でも感じることができる。親が子供に「夜遅くに出歩いちゃいけませんよ」と言うよりも、怪談話の一つでもした方がよっぽど効果的なのである。

もう1つ例を挙げてみる。社会人になると、「ボールを持ったらすぐに投げろ!」というアドバイスをよく聞く。メールの返信や頼まれごとはすぐに取り掛かれ、と言うことなのだが、フットワークの重い僕はボールを持って投げ返すまでに時間がかかったり、めんどくさくなって放置してしまうことが多く、そのせいで迷惑をかけたり怒られたりすることが多々あった。

そこで僕はこの「ボール」を「爆弾」だと思うことにした。すると真っ先に思い浮かんだのは小さい頃に観た『トムとジェリー』の1シーンである。トムとジェリーが火の付いたダイナマイトを互いに押し付け合い、最終的にダイナマイトを持ったトムは、爆発によって真っ黒コゲになってしまう。「ボールを持ち続けていたら、爆発して大ヤケドを負ってしまうんだ」そう考え始めたら、以前よりも幾分フットワーク軽く動けるようにはなった。

博報堂のコピーライターの渡辺潤平さんという方がいて、その方が著書でこう言っていた。「コピーライティングとは、人を振り向かせる武器である。そして人を振り向かせるには、当たり前のことや正論を言うのではなくて、人を楽しませるような言葉が必要だ。」これは僕がこれまでにクドクドと書いたことを、非常に明快に言ってくれている。仕事をする上でも、心の隅にいつも留めてある言葉である。

そんなわけで、「当たり前のことでも、何かに例えたり、ストーリーにすることで響きやすくなる」ということについて書いた。とまあ、口で言うには簡単だけれども、しっくりと馴染む例えを探したり、ゼロからストーリーを生み出す作業は、とっても大変で骨の折れる頭脳労働であることを忘れてはいけない。そこを忘れてしまうと、ありふれた自己啓発本みたいになってしまうので、自戒の念も込めて、その辛さには向き合っていこうと思う。

おわり

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