7/1 替えの効かない魔法使い

替えの効かない人材になろうという人がいる。
替えの効かない人材になってはいけないという人もいる。

どっちの理屈も通っていて、その人にしかできない事があれば会社でアイデンティティは確立されるが、属人的な業務があるとその人がいない時に会社が回らなくなる。
自分の替えの効かなさに拘泥すると、自分にしか出来ないように業務をガラパゴス化させる。「自分にしか理解できないように仕事する」のが業務改善に向かう筈もない。

理想の会社は誰かが休んでも誰かがカバー出来る状態。複雑な業務があるならフロー化し、マニュアルの通りにやれば最低限遂行出来るように整理されているべきで、誰でも理解出来るようにする事で複雑な業務工程が紐解かれ、結果としてその人にとっても業務効率が改善に向かう。

今の会社で事務作業に当てられた俺も、当初はそのような理想を掲げていた。
現場主義でPCやExcelに不慣れな中高年が多いこの会社は、事務的にはひどい有り様だった。
従業員の雇用条件を調べる為に紙とPCを交互ににらめっこし、給与に相違があれば担当者が思い当たる節を頼りに勘で探し、有給の付与は対応表を目視で確認して手入力。データを整理しようとするも、「データの管理」という概念もなくてデータ形式も順番もバラバラ。

だから俺は、「誰でも簡単にデータの閲覧や入力が出来るようにしよう」という目標を立てて改革に取り組んだ。まともにExcelを扱える人間がいないので俺一人で。

バラバラだったデータ形式を統合し、管理と同時に検索シートをつける事で従業員番号一つで様々な情報にアクセス可能にし、個人の勘や目視に頼らずともデータをポンと放り込めば簡単に目標を達成出来るように整えた。もちろん、ある程度のマニュアルも添えて。
数年間に及ぶ改革によって、我が社の事務はようやくそれなりのものになった。
俺のスキルは今現在関数がある程度使える位、VBAはコピペやマクロの記録でなんとか使える程度なのでExcelマスターという程ではない。
多分上手い人がやればもっとスマートに纏まっただろうし、データベース作るならAccessで色々やるべきなのだと思うが、あまり高度にしすぎると完全に属人化するのでこれくらいがちょうどいいと判断した。

上司たちにとって(俺の部署には同期も後輩もいない。ついでに本社勤務で一番若いのが俺と同期のもう一人でそれ以上は40代)この改革は魔法のように映ったらしい。ちょちょいと入力するだけで、今まで必死に書類を漁っていたデータを一発で取り出す様を「スゴイ!」と褒め称えた。

そしてExcelと魔法の区別が付かなくなった。

データベースにアクセスするだけで即出力出来るものと、様々なデータをかき集めて複合的に処理しなくてはいけないものの区別がつかない。どちらも
「俺が魔法みたいにポンと出すもの」としか認識していなかった。

「現場のアルバイトの時給とその地域の平均時給の相違を出してよ」
などとポンと言われても、現場の住所もその地域の求人内容も手持ちのデータには紐づいていない。でも「Excelでなんかしたらすぐできるもの」と認識してポンと言ってくる。

逆に(俺が作ったものではない)システム上でワンボタンでできる作業……例えて言うなら「電子レンジで温めボタンを押して温める」すらも俺に頼む。「Excelでなんかしないとできないもの」と認識しているから。

「何故こうなっているか」が理解出来ていないから、俺は原理不明の魔術を操る魔法使いになっていた。
魔法にだって理屈はある。ただ杖の先から魔力を矢として打ち出すだけの魔法と、複雑な魔法陣と触媒を用意してから唱える必要がある魔法は全くの別物だ。
でもその区別がついていない。どっちも「魔法でなんとかしている」ようにしか見えていなかったからだ。

従業員のコードを打つだけで情報一覧が出せるデータベースはいつしか俺しか開かず、上司は知りたい事があれば俺に聞くようになった。
「指定のセルに番号を打つ」のを理解するより、俺に話しかけて俺に番号を打たせるほうが早いと判断したらしい。
データベースと実際の契約に齟齬が出る事も起き始めた。契約書作成のフローに則らず、俺の預かり知らぬ所で契約書を作成していたからだ。
魔法だと思っているので「契約書を作ったらいつの間にか反映されている」と思い込んでいるらしい。

繁忙期に俺が休むと話にならなくなる為、業務の引継を試みた事もあった。
「データAを取る為にこのボタンを押して、データBを取る為にこのボタンを、形式を整える為にこのボタンを……」
と、何故こうするのかを合わせて教えたつもりだったが、上司の理解は
「ボタンを三回押す」という極めて表層的なものに留まった。(ボタン三回はあくまで例え話だが)
「こうするとここのデータが引用されるのか!」といった理解は一切なく、ただ言われた通りになぞれば不思議なパワーで完成する、としか認識していない。
もちろん、それでも業務が回るように作っているからそれでもいい。
システムや法律の変更、あるいは関数が破壊された時にメンテナンス出来る俺がいれば、という前提だが。

会社の上層部は俺に部署転換を命じた。
「この会社は現場の作業を知らないと出来ない仕事があるから。事務作業は女性事務員にでも任せておけばいいでしょ」という理由で。
なるほど。「ボタンを三回押す仕事なら誰にでも出来る」と判断したらしい。

1ヶ月間の引き継ぎ期間が用意されたが頭を抱えるしかなかった。
「テンプレート」という概念すら理解していないので、「これをコピーして使ってくださいね」と渡した雛形は上書き保存であっという間にくちゃくちゃになった。
「マニュアルが理解出来ないから実際の作業を見せて欲しい」と言われ、俺の作業を見ながら取ったメモの内容は9割マニュアルと同じ内容だった。

まぁ、それでも、俺はボタン三回押せば業務が回るようにしたからしばらくはなんとかなるだろう。引き継ぎ期間をすっ飛ばして退職する訳でもないので、引き継ぎ自体は元々会社の予定通りに進んでいる。

今現在、「俺にしか出来ない仕事」はない。
俺の事は「替えの効く魔法使い」だと思っていたらしい。まぁ、間違いではない。
今、会社で使っているExcelファイルの8割以上に俺の呪文(関数)が刻まれている。
それが使い物にならなくなる何かが起こった所で会社が即倒産する程の打撃を受ける訳では無い。(念の為言うと時限で関数が使えなくなる爆弾を仕込んだりは一切していない。部署転換自体が突然知らされたから)
俺が入社する以前そうしていたように、外部委託という形でエンジニアを一時的に雇えば、Vlookupとif関数を組み合わせただけの式を何十万という金をかけて修正出来るだろうし、それを何百万かにすれば新たなシステムを1から組み上げる事も出来るだろう。
会社としてそのような出費が許されないのであれば、プリントアウトした紙と電卓を駆使しながらテンキーを叩く業務に戻ればいいだけの話だ。
今現在俺の仕事を引き継がされているベテラン女性事務員は何がどうしてこうなるのかが理解出来ず、俺が建てたアーキテクチャを崩壊させるのを恐れて「俺がいなかった頃」のやり方に戻せないか上司に直談判しようとしているので、早かれ遅かれそうなるかもしれない。
が、仮に俺が会社に籍を残していようと、本社にすら出勤しない配置転換を行う以上それに関わる余地はないので、俺が在籍していようが退職していようが元々全く関係ない。


どうなっても俺が辞めたせいじゃないからな。


【今日の裏メニュー】VlookupとXlookup


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