7/26 ファイナルラスト出勤

会社に退職手続きの為に出勤した。
(最初にも言っていたが、今は有給消化期間で厳密にはまだ会社員を続けている)
退職届に「一身上の都合」と記し、「7年半いてこんなもんか」という退職金の額を教えられ、それ以外にやる事も特にないので手続きは終わった。

総務の手続きをしてくれた上司に「淋しくなるな」と言われ、会社への未練は1mmもないが、俺自身も存外に淋しくなった。
会社の方針を受け入れられなくての退職だったが、別に従業員個人が嫌いという訳ではないから、7年半ほとんど毎日顔を合わせて、協力して仕事を勧めていた人達と「もう会わない」のが明確に決まると、何かがもう取り戻せなくなったような喪失感もある。
(なお、こいつは許せねえと思っていた部長は俺の転属を決めると同時にどっか別の系列会社に行っている)
7年以上交流があった人と明確に「もう会わない」って人生でも最長クラスか。小学校ですら6年だしな。
そりゃメールアドレスや電話番号は知っているのだから理論上はコミュニケーションを取れるし、「理論上」を持ち出していいのなら会社に凸れば会えるのだが、地球上にいる99.999%の人は理論上会えるのに会う事がないのと同じで、会う事に対する必然性が失われた人は、それはもう一生会う事がないのと変わらない。

寂しさとは「点」の感情だな、と思った。
これまでも「もう会わなくなった」「会えなくなった」人は山程いるが、全部が積み重なっていたら人生は寂しさでにっちもさっちもいかなくなる。持続性のない、その一時の感情。
でも、それは時間と共に掠れていくから人は平気になる、というのとも何か違って、ふと「ああ、もう会えないんだな」と思った時の寂しさはあまり風化していないように感じる。経った時間に影響はない、その瞬間に生成される感情に思う。

これは俺が本当に大切な人との別れを経験してないからなんだろうか。

「体調は大丈夫なのか」とか「忘れ物はないか」とか、「やり残した事はないか」と、上司達にかけられる言葉の節々から「もう引き留める理由がなくなって送り出すしかない」という実家の去り際みたいな気の使われ方をした。
「いいぶどうジュース飲まないか」と冷蔵庫から瓶のジュースが出てきた時は流石に実家が過ぎると思った。紙コップに並々注いで、ぐいっと飲み干すにはあまりにも濃くていいやつ過ぎた。

そうして特に業務上で付き合いの深かった人達にエレベーターまで見送られ、「お世話になりました」と、余程の事がなければ今生の別れを告げた。


さようなら。お元気で。


それはそれとして、事務のおばちゃんから「これが上手くいかない……!」と俺が残したExcelの修正を頼まれた。事前に問題点は聞いていたのであらゆる可能性を想定して臨んだが、本当にシンプル過ぎる問題で頓挫していた。
既に破滅への序章が始まっている。せめて辞めてから半年は持ってくれよ。俺まだ籍の上では辞めてないぞ。


【今日の裏メニュー】
歯医者行って大惨事

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