社会派の波風~イスラエル・パレスチナ~


大学を卒業した後、非常勤講師として宗教倫理なる科目を教えながら、サッカー部の顧問をし、知識不足を補う為に夜間の神学部に通い、滞日外国人と連帯する団体でボランティアをしていた!そしてそこにはフィリピンデスク、韓国デスクがあり、さらに追加でラテンデスクを立ち上げることとなった。ラテンデスクの立ち上げではサッカー大会を開催したり、フィリピンデスクではコミュニティ形成のための持ち寄りパーティーで、ギターを弾いて盛り上げたり、コリアンデスクでは母体の地域組合とデモや交渉に臨んだり、裁判に同伴して公聴したりしていた。ケースとしては、フィリピンデスクのケースでフィリピン人女性と日本人男性の間に生まれた子どもの出生手続きに車を走らせたり、ラテンデスクでは組長と刺し違えようとしているコロンビア人女性の仲裁に入らなければならなかったりした。また同じ系列の女性の家とも連携して、騙されて連れて来られたタイ人やフィリピン人女性を匿ったり本国に逃す手伝いなどしたりもした。そんな時はいざとなったら車を走らせて逃げるドライバー要員として当時先輩から引き継いだ日産フェアレディZのGS30を出動させたりもした。L型エンジンは力強く、いざとなれば時速220から240kmを叩き出した。また男女、国籍関わらず賃金未払いが横行しており、そのための団体交渉の場に参加したりもした。アメリカ大使館相手にデモを活動をしたこともあった。そういったケースにも時々関わりながら団体のニュースレターを担当していた。

教員としては比較的生徒に親しまれていた。前の倫理教師が厳し過ぎたという利点もあっただろうか。それでも授業の準備には時間をかけて、夜は四谷の大学の夜間の神学部で足りない部分を補おうとそれなり努力した。

夜間の神学部では特に古代イスラエル史、古代教父の思想など面白がって集中して参加していた。
最近また聖書の歴史的社会的背景や平和について考えることが多くなった。ロシアがロシアの世界という思想打ち出しウクライナに侵攻してからのこと。

旧約聖書の歴史的背景として特定される時代として、出エジプト記第1章8節に「ヨセフのことを知らない(認めない)新しい王が出た」とある。この王とはラムセス2世とのこと。ヨセフとは父からの寵愛を受けて育ったが、兄弟達に妬まれ陰謀により井戸に捨てられたが、夢解きと食糧管理でエジプトの飢饉を救い、その後重要なポストに付き当時のエジプト文明で最も影響力を持つに至ったイスラエルの繁栄の象徴のような人物。つまりヨセフのことを認めないとはイスラエルを認めないということ。
その新しい王ラムセス2世の父であるアメンホテプ4世は多神教から一神教の太陽神アトン神への宗教改革を行い、それに付随して首都をテーベからアマルナに移した。この遷都という巨大公共事業に外国人労働者の増加を図った。今で言うと原発神話の崩れた福島浜通りの除染、廃炉、インフラ整備という巨大公共事業には日本人だけでなく外国人労働者の力も必要なのと似ている。

当時イスラエル人は、ベドウィンとして羊を放牧しながら移動生活を行ったり、傭兵として転戦していたり、今のアフガニスタンあたりで取れるラピスラズリを荒野を渡ってエジプトに運んで売ったりしていたとのこと。

そこでこの巨大公共事業事業にも多くのイスラエル人が取り入れられた。当時エジプトの公共事業と言えば石を切り出し、運び、積み上げるのが専らの仕事。この石職人としての確固たる地位はこの時に遡っているのかもしれない。それがヨーロッパで石を使った建築全盛期の時にどこでも行けるフリーの通行手形を持つようになり、そこからフリーメーソンという秘密結社ができたとのこと。

しかし、この巨大神殿などの大建設にはイスラエル人が欠かせなくなり、一つの巨大勢力となった。そのイスラエル人を痛めつけるようになったのが、この出エジプト記の頃で、エジプト人は農民で、イスラエル人は奴隷として位置づけられていた。一説によると奴隷と言っても公共事業に携わり給料も出ていたし厳密な意味で奴隷かどうかと言うとどうなのかと言う話もある。いずれにしろ当時この出エジプト記の頃のイスラエル人は酷く痛めつけられ、その嘆きと悲しみと歯軋りは天に届き、燃えつきることのない柴の中に現れた神がモーセを遣わし、イスラエル人をエジプト人から救い出した。そして蜜の流れ出る豊かな土地、約束の地カナンに逃れるのがいわゆるエクソドス、つまりは出エジプト。

出エジプトでたどり着いた約束の土地は確かに砂漠のど真ん中にあってオアシスが広がる豊かで美しい土地である。

この土地を巡っては人類史上初めて鉄を発明し、鉄製の武器を手に猛威を奮っていたヒッタイト人とペリシテ人が争っていた。今のパレスチナはペリシテ人の土地という意味とのこと。ヒッタイト人とペリシテ人の争いでは、鉄を持つヒッタイト人に対して海の民と呼ばれたペリシテ人は偏西風による海風の力を利用することにも長けていたとのこと。そして結果ペリシテ人がヒッタイト人に勝利しこの地域での勢力を拡大する。そのペリシテ人に対して布製の携帯石投げ器で見事巨人ゴリアテを倒し勝利したのが少年ダビデであり、古代イスラエルを建国した王である。

最近の情勢でも核弾頭と音速ミサイルの開発競争が加熱する最中に起こった覇権争いの様相が強い。
この核と音速ミサイルを持つロシアに対して、布製の携帯石投げ器のような携帯ミサイルで挑むウクライナ人とその指導者はあたかも当時のダビデのように映るのだろうか。
いずれにしろ武器開発が進むと戦争がおこる。そして武器が大量に使われると工場が忙しくなる。

2013年イスラエルのエルサレム宮殿に行った時にちょうどバルミツバという成人を祝う祭りに遭遇した。楽隊が通り過ぎるのはさながらチンドン屋を思い出す。その光景だけでなく旋律も似ている。ちょうど先日小さなグミの木というウクライナ民謡をみんなで平和を祈り演奏した。ベースにバイオリンにキーボードにブルースハープ、リコーダー、そしてギター。その旋律もどことなく物悲しげでこれもチンドン屋とバルミツバの楽隊の奏でる旋律に似ている。沈む夕陽に哀愁を漂わせるその旋律はきっとどこかで繋がっているのだろう。
人はもっと武器以外の良い方法で関わり合うことができるはずなのに!

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