東西と歴史の谷風その3〜インド カルギル〜

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朝早くカルギルの市街地にある、トラックやバスが行き交うターミナルに行くと、一人の白人のバックパッカーが声をかけて来た。
「あと二人連れてくるから4人でジープをシェアしないか」とのことだった。OKの返事をすると彼は「ここで待っていてくれ」と言い残してどこかに消えて行った。
しばらくすると彼はさらに二人の白人と現地のドライバーを連れてきた。最初に声をかけて来たのはイスラエル人で、後の二人はスイス人だった。そして現地のドライバーは私の親戚のラリードライバーの叔父に瓜二つだった。瓜二つとは正にこのことだった。目、鼻、口はもちろんのこと全てが似尽くしていた。似て同じものだった。我々は5人でジープに乗りヒマラヤ山脈の谷間を走り抜けて行った。現地のドライバーは、腕も素晴らしく、パリ-ダカやパリ-北京のラリー選手権に出場していた親戚の叔父とそこも遜色ないようだった。
うねるような急カーブが続く、ヒマラヤ山脈の谷間に沿った道を現地ドライバーに身を委ねてすり抜けていった。その間、我々バックパッカー達はいろんな話をした。イスラエル人もスイス人も徴兵制を終えたばかりで、バックパッカーとして世界を旅しているところとのこと。イスラエル人とスイス人はみんな徴兵制が終わるとバックパッカーで世界を回り、中古の車を買い、大学に行って勉強するくらいのお金をもらえるらしい。スイス人はカトリック教徒で、ちょっと私が「最近の教皇は年を取ったのか少し保守的になってきたよね」と言うと「教皇に対してそんなことを言うもんじゃない」と怒られてしまった。そう長い歴史の中で彼らスイス人は常にカトリックの教皇を守り切り、今も傭兵としてバチカンを守っているのだ。
途中、休憩した時は頼まれて彼らの名前に漢字を当てはめてやったりした。
そして、ついにヒマラヤ山脈を抜けカラコルム山脈との間に位置するラダックに辿り着いた。ラダックはチベット密教が根強く残るインド側の地域で、中国側よりも、より純粋な形でチベット密教が存在する地域と言われている。また、中国側のチベットでは政策として他の少数民族地域と同様に漢族化が進められているという。指導者も中国共産党の息のかかったものが当局の指名によって選ばれる。中国のカトリック愛国教会も以前はバチカンの指名を持ってキリストの弟子である司教が叙階されていたのが、1990年代後半のある時から当局が指名するようになった。チベット密教のダライラマに次ぐ地位のパンチェンラマも然り。本来なら前のパンチェンラマが死んだ時から逆算して、この世に再び成仏せずに人々を導き救うために地上に訪れる日を計算して、パンチェンラマ探しが始まる。タイミング的に可能性のある少年が複数集められ、最終的には一人のパンチェンラマが選ばれていく。しかし今はチベット密教で元来選ばれたパンチェンラマと中国当局が選んだパンチェンラマが二人両立している。パンチェンラマは元々政治的な力を持たず宗教的な影響力だけである。なのでチベット人はパンチェンラマにより宗教的な意味あいで二分化されている。ダライラマは亡命してインドにおり、中国側では政治的に力を持っている指導者はいない。カトリックがバチカンに忠誠を誓う地下教会と共産党に忠誠を誓う地上の愛国教会に分かれるように。
チベット密教の考え方ではある種の特別な魂は地上にとどまり衆生を導き救うために天上と地上を行ったり来たりする。
私の甥も前世の記憶と生まれる前の記憶を持っており、使命感を持ってこの世に生まれて来ている。最近はそう言う子どもが多くなって来た気がする。チベットではそういった子ども達でパンチェンラマが死んで転生する時間を計算して可能性が高いものが集められ、その中でパンチェンラマが厳選されていく。
チベット人は天と地と一体となった、最も熱力学的にエネルギー摂取の低い、効率的かつ持続的で、生命系に開かれた地球に対して最も謙虚で優しい生活を営む人々である。
そして信徒は1日に何度も天と地に身を放り出して祈る。

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