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短編小説 「満月」

その日は、夜空に大きなヤマブキ色の満月が咲いていた。

自宅のカビ臭いガレージで古本を整理している時、小さな天窓から満月は見えた。その月の光が、何か古い記憶の扉を開けたかのように、僕の心に静かに降り注いでいた。それはまるで、時間を超えて、あの日の彼女との思い出が蘇ってくるようだった。

彼女の名前はミカ。大学時代、古書店でアルバイトをしていたときに出会った。彼女は文学部の学生で、僕と同じく古い本に魅せられた魂の同志だった。僕たちの関係は、その古書店の奥深くにある文学の森で育った。夕彼女と一緒に朝まで語り合ったヘミングウェイの冒険、それらすべてが今、月明かりの中で甦る。

ミカとの別れは突然だった。卒業を前に彼女は海外へと旅立つことになり、そのまま音信不通となった。彼女が去った後、僕は何か大切なものを失ったようで、しばらくの間、何をしても心に満ち足りない感じが続いた。そして、時間が経つにつれて、彼女の面影は薄れ、僕の日常は再び平穏を取り戻していった。

しかし今夜、その満月が昔の記憶を呼び覚ます。ガレージの隅で、ひっそりと彼女が好きだった詩集を見つけた。そのページを開くと、僕たちが共に過ごした日々が鮮やかに蘇る。詩の一節一節が、彼女の声のように、彼女の笑顔のように、僕の心に響いた。

気づけば、ガレージの冷たい床に座り込み、月の光だけを頼りにその詩集を読み進めていた。彼女が書き込んだメモが挟まれているページもあり、彼女の筆跡からは、当時の彼女の思考や感情が伝わってきた。それはまるで時間と空間を超えた手紙のようだった。

読み終えた時、外はすっかり夜が明けていた。ガレージの天窓からはアンズ色に染まる空が見え、新しい一日が始まろうとしていた。僕は深く息を吸い込み、長い間忘れていた何かを取り戻したような、そんな感覚に包まれていた。

ミカとの思い出は、もう過去のもの。でも今、彼女と共有した文学という永遠の絆が、僕の中にしっかりと根を下ろしていることを感じた。そして、もしも彼女がどこかで同じ月を見上げているのなら、この詩集を通じて、僕たちはまだ繋がっているのだと信じたくなった。




時間を割いてくれてありがとうございました。

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