新事業について
こんにちは、ストレージの中畑です。
さて、先日のサブちゃんにて。
この動画で、ストレージはついに観光業へ手を出すということが決まったわけですが。
「一体今度は何をするんですか」といった声が聞こえてきそうですね。笑
今日はせっかくなので、noteだけにこの事業に至った理由をお話しします。
もちろん何のノウハウもなく、ブログなので無料です。
ご興味ある方は読んでいってください。
"小樽の僕" であるために
この発想が出てきていたのは実は1年前です。
この動画を撮っていた時点でさらに決め手となってはいたのですが、動画で平戸議員が仰っていた通り、この小樽の人口減少は "先進都市並み" と言うだけあって、なかなか同じようなことを続けていくということは「自らリスクに身を置いている」に近いということです。
この小樽で仕事をしている方全てに僕は警鐘を鳴らしたいですが、インフラ以外の仕事、つまり小樽で言うなら建設や観光、そして高齢化に伴う介護施設等、このような事業以外のビジネス、そして何より集客において、小樽に向ければ向けるほど極めて難しいと僕は思っています。
これは単純に人口のキャパシティの問題はもちろんですが、僕にとっては現状の広げ過ぎた借金という風呂敷においては、このビジネスだけでは到底賄いきれません。
これはZEROやZERO2を運営していても、まだ足りないというのが僕の中での正直な現状です。
借金は "いつかは終わる" ので、このまま堅調な業績であればおそらく完済そのものは可能です。
しかし、堅調である保証はどこにもないのです。
これが僕らのような経営者がよく陥ってしまう大きな落とし穴なのですが、5年前にある日突然コロナがやってきた様に、人生においては予測不可能なことしかなく、ひょっとしたら隣で起きているかも知れない悲しい事件や火事でさえ毎日のように起きているくらいです。
正直、僕はそれがとにかく怖い。
何もかもを失った経験はまだ無いのですが、首の皮一枚で生き残ったことは何度もあるので、僕にはそれらが招く八方塞がりや自尊心を失うことを誰よりも知っています。
今思えば何度も荒波を乗り越えてきたのですが、その乗り越え方は決して大きな船の船底に穴が空いたとかではなく、いつも小さな船で転覆していたように思います。
その上で転覆した船にしがみついていたら、僕より少し大きな助け舟が来たり、大海のど真ん中に動力が生きている船を見つけるくらい、嘘のような奇跡をも体験してきました。
時には乗組員が全てを奪う海賊の船にさえ、僕は乗ってしまったことがあるくらい。笑
とにかく僕はありとあらゆる経験をしてきました。
その上で怖いのです。
だからこそ「そんな小樽で古着屋をやっている」ということが、どれだけリスクなことかと、僕のチャンネルや日頃の言動からご理解いただけるのではないかなと思います。
ただ、どうしても譲れないこと。
それでも僕は「小樽に居たい」。
古着屋としての僕
それらのリスクを軽減することにおいて、例えば一見簡単そうな「支出を抑える」なんてことは僕にはできません。
例えば "必ず出ていく支出" そのものが莫大なので、「どこまでプラスに持っていくか」が僕にとっての唯一の活路です。
新事業の話の前に、少し古着の話をします。
ぶっちゃけ、古着での限界はもう僕には見えています。
これは何も "古着屋全体" という話ではなく、STORAGE。
僕の会社での "古着事業" です。
実のところ、これからこの事業をどうしていこうかと考えているのですが、これはもう言ってしまってもいいのかなと思っています。
「商品がある限り」、「僕が納得できる限り」は続けていこうと思っています。
"納得" というのは、「お客様に売りたいものが無くなったら辞める」というのが近いニュアンスです。
古着は必ず最終的に枯渇や駆逐という末路にあります。
始める頃からそれはわかっていたことであって、僕が探しているものはやはり資源なのです。
無理して資源を探しているフェーズである今、僕にとってはそこが本当の限界の始まりでした。
例えばガソリンの需要は "動力" であることから、その資源が枯渇し始めて原油高になったとしても、様々な代替エネルギーが出てきても、ガソリンの需要には未だ陰りが見えることはありません。
これがインフラです。
一方、古着は衣食住の "衣" の部分でありながらも、それでいて特殊需要であることに変わりはなく、一見インフラのように見え、しかしそれは「ファッション」です。
これが僕が懸念とさえ思っている「インフラとファッションの違い」です。
それがさらにも況して枯渇しているのだから不安にならないわけがなく、もっと言えば「ファッション感度の高い若い世代」が中心の需要ということもあって、これがいつまた覆されるのか、これもわかったものではないんです。
「そういえば消えたよねー」が、会社を運営している僕にはあってはいけないということですね。
できることなら "古着屋の僕" として居続けたいのですが、それが叶わない場合のあの手この手を考えなければならないのが "経営者の僕" です。
新事業の狙い
YouTubeでも言った通り、そしてここまでこのnoteに書いた通り、新事業は小樽にのインフラになぞった事業です。
簡単にいうと「土産アパレルを作る」という事業ですが、これを実現させるのは本当はとにかく難しいんです。
例えば、この事業の最先端と言いますか、業界を牽引しているお店、観光地といえば。
そう、沖縄です。
国際通りにはこんな感じのお店が至る所にあるのですが、例えばこの写真を見るだけでも30デザイン〜40デザインくらいのTシャツがあるのがわかるかと思います。
これの何がすごいかというと、皆さんもクラスTシャツくらいは作った経験があるかも知れませんが、Tシャツは作るのに "ロット" と呼ばれる「発注最低量」というものがあります。
皆さんはご存知ないかも知れないですが、印刷業界では生産が少数であればあるほど、その商品単価自体が上がっていきます。
例えばシルクスクリーンプリントというのはご存知でしょうか。
こちらは、僕が2016年にトランスフォーマーの版権をタカラトミーさんより許諾を得て作ったTシャツデザインです。
こちらを当時シルクスクリーンプリントで作りました。
簡単に、このTシャツの出来上がりまでを写真でご説明します。
前提として、こちらのようなデザインはカラーが複雑ということもあって、何度か色を重ねて塗る必要があります。
シルクスクリーンにて印刷する際、一般的にCMYK(シアン、マゼンタ、イエロー、ブラック)といった4色の色を使い、「4色分解」という手法を用いて色を着色していきます。
プリンターをお持ちの方はこのCMYKを聞いたことがあるのではないかと思いますが、例えば赤と青を混ぜると紫になるように、4色を合わせて本来のデザイン色を成形していくといったものです。
写真のようにイエローのインクを塗っているこの "箱" のようなものを「版」と呼ぶのですが、この版には的確な場所にインクが落ちるように、デザインに応じた小さな穴が空いています。
このように先ずはイエローの土台を塗布します。
次にマゼンタ。
少し、デザインが浮いてきているのがわかりますか?
こちらはイエローとは違う箇所にマゼンタを塗布することによって、色彩反応を起こす様になっているので、つまりはこの版にも違う小さな穴が空いています。
次にシアンです。
この時点でほぼデザインの80%くらいが見えてきました。
そして最後に。
K = ブラックを塗ります。
ようやく出来上がりです。
まず、Tシャツなんてものは、ここまでの工程をしないと出来上がらないということを世の中の皆さんに知って頂きたい僕です。笑
これを「安く作れる」なんてするもんだから、どんどんと日本中の職人さんが足を洗う羽目に。
いつか記事にしますが、この「安い仕事」というのは、僕が良くも悪くもファストファッションが嫌いな理由だったりします。
話を戻します。
このシルクスクリーンプリントというのは、実に大量生産向きです。
というのも、単純にインクがかなり安いからです。
一方で、こちらに掛かるコストで最大にかかるものは "版" です。
この版は大体10,000円くらいが相場です。
それをこのデザインでは4版を使うわけですから、4万のコストが掛かるわけです。
そこにインク代を上乗せするのですが、最終の生産量とTシャツの無地(ボディといいます)、インク代をプールし、算出したコストを計算するといった感じです。
なぜ大量生産向きかというと。
例えばシルクスクリーン以外にも、インクジェットと言った手法がございます。
こちらはいきなりフルカラーにて出力できますが、例えばシルクの様な風合いや "堅牢度" といって、どうしても色落ちなどが懸念されます。
さらに一枚単価のプリントが相場2000円前後と、少量生産向きですがこれが例えば我々のように「販売」を目的とした場合にはコスト高となる場合があります。
こう見ると、圧倒的に3,000円を選びそうなのですが、これを例えば300枚作るとなると、シルクプリントの利点が全く変わってきます。
と、こんな感じとなるので、なんと半額にまでなるのです。
僕はこれまでも、この様に版権やSTORAGEのオリジナルTシャツやアパレルを作った経験があるので、なかなかこの業界には詳しいのですが、北海道で、さらには小樽でこの事業を拡大させるのは非常に難しく、どうしても海外や道外で作るしかありませんでした。
それがようやく念願叶ったというわけです。
人との出会いは一期一会もとい "一期一縁"
僕はよく動画で、人との縁のお話、つまりは人脈って大事だよね。なんてお話をするのですが、これが大きく飛躍しました。
このプリント事業…というより、アパレル制作事業を僕はこの一年でとにかく拡大させました。
これは秘密保持契約というものがあるので、今後も語ることさえ許されないのですが、ある大きなプロジェクトをそれぞれの会社さんの代表三人とで成功させました。
一生掛かってもそんな売上を見ることはないだろうと思うほどの、まさに言うなれば桁違いといった仕事でした。
普通では負えないリスクや、無理難題とも言える様な仕事でしたが、僕にその依頼が回ってきた時に、断る理由なんかありません。笑
僕は「無理を可能に」何度もしてきた過去があったので、不思議と怖くはなかったんです。
詳しくは言えないので、なんとも中途半端に伝わってしまいそうですが、もし失敗した際、そこで跳ね返ってくるリスクは "会社が倒産" くらいだけでは済まないといったほどのリスクでした。
でも、僕は何度も死んだ身。笑
リスクを取ることなんて、掃いて捨てるほど経験してきました。
やらない後悔よりやる後悔。
でも、不思議と自信がありました。
やはり取引先とは言え、商売においても対人間。
僕は商売においても人を信じることであったり、背中を任せられる様な、そんな仕事の仕方ができる方こそ、成功へと繋がると信じています。
敬意をものすごく端折りますが、奇しくもそれら全てがマッチし、ことなきを終えることが出来ました。
それらをこなした後は「絆」というものが深まるわけなんですね。
少なくとも僕たちの中ではその「一仕事」を終えた後、僕らの強みを掛け合わせたもので「何かが」できないかといった話となり、僕は古着事業の傍らでそれらをずーっと温めてきた、そんな一年となっていました。
それも全員が北海道の企業です。
こんな嬉しい出会いと仕事は過去になく、ようやく模索していたものが形になる時が来ました。
僕はこれらの仕事を経て、三社全てに利益をもたらし、その利益で得た設備や人脈で、先ほどの小ロットでの少量生産、そして高クオリティ、スピードなど全てを手に入れることが出来ました。
さらに、僕には版権があります。
これら全てが整ったいま、他では出来ない沖縄の物産店の様な、そこでしか手に入れられないアパレルを作ることにしました。
何を隠そう、この沖縄のお店の最大の強みこそ、僕が今手にしたものだからです。
そうなんです、この手の母体の会社はプリント会社なんです。
今後のSTORAGEと僕
僕は決してプリント会社でもなければ、アパレルの縫製すらできません。
僕にはそんな技術もなければ、何か物を作ることはできませんが、僕にもゼロイチを作ることが出来ます。
それは「売る」ということです。
そして「売る場所」を作るということです。
エンドユーザーの手元に届けるプロこそが、僕の仕事です。
ようやく、僕の役割がわかりました。
その箱がSTORAGEであり、僕がこれから作っていくであろうお店であるということです。
2号店を作った後に、またもこんなに早く、さらに "挑戦" とは。
でも、きっと何かが起こるのだろうと確信しています。
ご興味ある方は、楽しみにしていて下さい。
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