趙雲は史実でも重要な武将だった!!その7

結論

老子の第三十三章に次のような言葉がある。

  書き下し文
   人を知る者は智なり、自ら知る者は明なり。
   人に勝つ者は力あり、自ら勝つ者は強し。
  現代語訳
   他人を知る者は知恵のある者であり、
   自己を知る者は明察のある者である。
   他人に勝つ者は力がある者であり、
   自分に克つ者は真に強い者である。

 趙雲は「自ら知る者は明なり」「自ら勝つ者は強し」が当てはまると思う。
 彼は自分をよく知っていた。自分が得意ではない内政・外交・作戦立案は行わず、自分の得意分野である武将としての役割に徹し蜀に多大な貢献したと思うのである。そして自分自身の私情、私欲に打ち克ち、生涯大きな失敗をしなかった。

 それに対して自分の短所を認識しなかった関羽・張飛は終わりを良くしていない。関羽は自分の高すぎるプライドを知らず孫権を罵倒し、張飛は自分の横暴さを知らず命を失ったのである。「短を以て敗を取るは、理数の常なり」と陳寿が彼らを評したのは非常に的確である。関羽と張飛は自分の短所を認識せず、自分の欠点を克服しなかった。

 趙雲も人間であるから当然短所はある。しかし彼はその短所を正しく認識しそれに打ち克ったため、その短所により失敗をしなかったのである。彼は人生の終わりを全うした。

「自らを知る者は明なり、自らに勝つ者は強し」
趙雲にはいくつも長所があるが、それが彼の最も優れた長所であると私は考える。

 以上「もうひとつの趙雲像の可能性」について論じた。趙雲伝を読むと不自然な点がいくつかある。関張黄馬と同列の伝を立てられているのに趙雲の官位が極端に低い点、趙雲伝のあまりの簡略さ、二二三年の急激な将軍位の昇進、第一次北伐後の趙雲と王平の不公平な処遇のなどである。

 すでに論じたように、それらの不自然さは、『趙雲別伝』の記述が大雑把に正しいと考えれば、全て解消するのである。

 第一章で『趙雲別伝』はそれなりの根拠があると論じたが、『趙雲別伝』が趙雲伝の不自然さを解消するという事実は、さらに『趙雲別伝』には実はかなり根拠があるという証拠にならないだろうか。

 趙雲の人柄が、『趙雲別伝』が描くような、豪胆にして細心で、責任感が強く、自分の利益より大義や国の利益を重んじる価値観を持っていたと想定すると、趙雲本伝の不自然さはほぼ解消するのである。

 そう考えるとさらに私が論じた趙雲像も意外と正しい可能性が出てくると言えるであろう。もちろん私の趙雲像の正しさを証明できたと言うつもりはない。証明するためには趙雲の資料はあまりにも少ない。私が論じたのはもうひとつの趙雲像の「可能性」にすぎない。しかしその「可能性」があるだけでも、私を含む数多くの趙雲ファンは、実際正史にがっかりしなくて済むのである。

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