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買ってきた本7

買ってきた本のご紹介をしばらくさぼっていたのですが、本日は印象的な本を二冊買ってきてわが家の本棚にお迎えしたのでご紹介します。

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一冊目は、北村一真・八島純共著(2022、三省堂) "Logophilia"です。Twitter上のTL上で話題になっていたので、かねてより狙っていたのですが、昨日外出する機会があって、その帰り道に書店に立ち寄り入手しました。

見開きの左の頁に短い英文がついているタイプの単語帳ですので、大学受験で云うとZ会の『速読英単語』シリーズに似た体裁です。しかし、出版社の公式ウェブサイトによれば、語彙のレベル「英検準1級〜1級」とのこと。本業は英語講師をしている私ですが、現在のところこの本を真に必要とする生徒は、残念ながら私のところにはまだほとんどいないと思われます。しかし、北村先生のご著書は既に何冊か興味深く拝読しているところですので、生徒たちを鍛え上げこのような本を有意義に使える生徒が一人でも多く出てくるようにしたいものです。

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二冊目は、関口存男(1932、三省堂)『新獨逸語文法教程』です。珍しく三連休をいただいたということもあって、昨日は家族でこちらにお出かけしたのですが(葡萄酒が実に美味でした)、そこで小さな古本市が出ていたので覗いたところ「洋書」コーナーに偶然にも紛れていたのを発見して入手したものです。マア、古めかしい洋書に混じって掠れた亀甲文字で "Neue Deutsche Grammatik von T. Sekiguchi" などと書かれたぼろぼろのハードカバーなどがあっても、余程の物好きでないと気づかないでしょう。正直なところ、状態はあまり良くありませんでしたが、なかなかお目にかかれない本なのでその場で手に入れることを決めました。

印刷は「昭和七年」(1932年)とありますが、この本自体は「昭和十六年」(1941年)に出た重版のようです。定価は「金貳圓六拾錢」と書かれています。最後のなにも印刷されていない頁には、元の持ち主の名前が几帳面そうな筆跡で書かれています。「熊本大學工學部」の学生さんだったようです。試しに検索してみると、国内の大手電機メーカーの技術者の方のお名前と一致します。この方の論文が出た年などを勘案すると、ご年齢も同じくらいと思われますが、この本の持ち主だった方と同一人物なのかどうかまでは断定できません。

戦前に出たドイツ語の教本が、熊本大学の学生さんによって使われ(あちこちに鉛筆や赤鉛筆の書き込みが入っています)、どういう歴史をたどってかはわかりませんが、栃木の片隅で私に拾われることになった…。浪漫です。尚、この本にはたくさんの葉っぱが挟まっていました。押し花ならぬ「押し葉」と云ったところでしょうか。枯れた葉が何枚も出てきます。戦時下のこの学生さんは、なにか思い出のようなものを残そうとしていたのでしょうか。

それにしても前書きにある「本書の指導的精神及び用法」の【5】にある、語学の「全人的教育効果」を追求する関口先生の姿勢には感服するしかありません。あまり感服したので、ここでヒトツ引用してみるとしましょう。

文例を如上の如く考へて、直ちに社会・人生・学問・人情の機微等に結びつけ、複雑な独逸語を複雑なまゝに反映させたのには、今一つの指導精神がある。それは全人教育の補助手段としての語学といふ立場である。学生は、語学の時間に於て、単に言葉と規則とを学ぶのみではいけない。言葉と不即不離の関係にある『考への筋路』、即ち自己よりも一歩乃至二歩を先に出てゐる頭と心の動き方を見物しなければならない。本当をいふと、教師がさういふ頭と心の動き方をやって見せなければいけないのであるが、語学といふものが幸ひ丁度それに適してゐるから、教師は書物の選び方一つによって這般の任務を充分に果たすことが出来る。たとへ文法の時間と雖も全人的教育効果を挙げることができれば之に越したことはない。全人とまでは行かなくても、せめて「なるほど、人間の考へには斯ういふ表現法もあるものか」と云ったやうなことが、一時間に一箇所でも出て来れば学生も教師も随分励みがつくと思ふ。

これは語学教師の端くれとして私自身も共有する理想であり、ご著書を拝読する中で上述の北村先生のなかにも垣間見た理想であります。

単なる受験や単位取得の道具に終わることなく、学んでいる自分自身をも変える語学。やるからにはそういうものを追求して、今後も邁進していきたいものです。

夜な夜な文字の海に漕ぎ出すための船賃に活用させていただきます。そしてきっと船旅で得たものを、またここにご披露いたしましょう。