【オランダ建物探訪:ロッテルダム】 エンジニアとアーキテクトによる家族の家
セントマーチンの日、縁あってロッテルダム中心地に建つあるお宅を拝見させていただくことになった。
ロッテルダムはおよそ60万人が住む街であるが、人口とその密度が近似している八王子と比較しても街のイメージは全く雰囲気は異なる。
近くの駐車場に車を止めお宅まで歩く。そのアプローチは閑静で落ち着いた雰囲気が漂う。突当りまで進んだ路地の角にその住宅はあった。
インターホンを押すと家主さんがエントランスまで下りてきて、僕たちを迎えてくれた。
「こんにちは。ようこそ。」
日本に半年間留学されていた経験がある家主さんは、あいさつ以上の日本語を話すことができる。「とても昔の話なので。」と謙遜されながら、オランダ人であるにも関わらず、基本的には英語、そして時折簡単な日本語でこの住宅の説明をしてくれた。
平面図は3階までだが実際は4階まであり、そこは寝室であったため見学はしなかった。大きく分けるとすると、1階はご主人が作業や仕事をする場所、2階はご家族以外が使用する場所、3階がご家族が主に生活する場所と、フロアごとにうまく分かれている。
この家は1922年頃に建てられたとのこと。家主さんは7年お住まいだが、彼らが購入する前から多くの改修がされていた。彼らも同じくこの住宅に改修を加えた。オランダの住宅はオーナーが代わる度に改修が加えられ変化していく。それが当たり前のようだ。
エントランスから少し幅が細く長い階段を上がった先、正面の窓から陽の光が降り注ぐ。窓を通してバルコニー、そして中庭が見える。多くの木々と隣家の外壁の青とが相まって面白いコントラストを生んでいた。
振り返るとダイニング。中央に置かれた大きなダイニングテーブルと統一されてない椅子たちは、オランダでよく見られるダイニングのスタイルだそうで、個の尊重を表現しているように感じる。
壁に飾られた油絵や落ち葉でデコレーションされた照明、窓の廻りの植物、そして子供たちの絵や2畳程度ありそうな段ボールで作られたタイニーハウスが食卓を囲み、家族の団欒をさらに温かくしているはずだ。
ダイニングは奥のリビングと一体で、空間が連続しており、間仕切りはない。家族はいつもお互いの気配を感じながら生活することができる。
ダイニング脇の窓から外を見ると中庭のジャングルが見えた。並んだ住宅が中庭を囲むように配置され、そこはパブリックとプライベートの曖昧な場所。
オランダでは住宅が集合した場所ではこのような半パブリックな中庭を見かける。外部の人が仕様できるものもあれば住人限定のものもある。そして樹木が茂っている中庭もあれば樹木はなく芝生だけの庭もある。中庭のデザインがどのようにられているか分からないがこのような中庭を眺めるだけでも楽しめる。
ダイニングの奥にあるリビングの手前でコタツを見つけた。家主さんお手製だそうで、ウクライナ侵攻によって上昇する光熱費対策として「日本での体験を活かした」と。知っているからといって簡単に作れるものではないと思うのだが…。
リビングは街路側に面しており、照明をつけなくても自然光で部屋がとても明るい。ソファの上では猫さんが昼寝をしていた。この部屋にも観葉植物が多く置かれ、照明器具や壁掛け時計のデザインが味わい深い。
オランダの人たちは自然と共に生きることを大切にしている印象がある。道端に生えているブラックベリーを摘み、落ちているヘーゼルナッツを拾っては家族や友人と楽しむ姿だけでなく、強い雨の中でも簡単には傘を差さず、ペットと散歩を楽しんでいる姿をよく見かける。
バルコニーに向かう途中のダイニング。奥に段ボールのタイニーハウスが見える。食卓には果物や木の実で作った初めて見るお菓子がたくさんあった。その見た目では何か分からないものを一ついただくと、おそらく金柑をドライフルーツにしたような食べ物。素朴だが、金柑の酸味と甘みが日本を思い出させる味わいだった。
バルコニーに向かう。バルコニーとその下にある庭園は建築家である奥様のデザイン。バルコニーの出は1m以上あり、そこに椅子と小さなテーブルが配置されていた。天気の良い日には、必ずここで一息入れたくなるような見晴らしの良い場所。バルコニーの手摺や螺旋階段は、明るいグレーが選ばれ風景に溶け込んでいた。
庭園はパブリックな中庭に違和感なく溶け込んでいる一方で、地上より一層分高い2階レベルに計画されていた。庭園の存在は立体的に際立ち、まるで庭園が空中に浮いているかのような印象を受けた。
この庭園は建物の中からしかアクセスできず、また1階レベルからは覗くことが出来ない完全にプライベートな庭園だ。庭園が多くの木々によって包み込まれているように錯覚するのは、庭園の中に1本だけ配置された高木の効果。周囲の住宅からは距離があるので木製ルーバーを用いる程度の視線配慮としていた。
庭園から空を見上げる。自宅の壁面、隣家のブルーの外壁、そして庭園にある一本の高木によって立体的な空間を感じた。それらの壁面に切り取られた空はとても高く青かった。
正面に見える隣家の青い壁は、なかなか見かけない個性的な外壁であるが、それを上手に利用している。伝統的な外壁とモダンな金属板が面白い関係を生み出していた。
庭園から建物に入る。そのフロアは宿泊客を迎えるための場所として設えられていた。正面に見える天井に架けられた梁は背が高い。もともとは天井高の高い倉庫だった場所に床を追加し空間を2つに分割しているのだ。確かに天井高は他に比べて少し低いが、説明を受けなければ日本人の僕には違和感はなかった。
1階のガレージは家主さんの遊び場だ。いくつもの自転車やスケートボード、大工ができそうな様々な工具や資材、そして日本でも流行った懐かしいバイクがあった。
ガレージの奥、庭園の直下にあるご主人のワークスペース&ジムスペース。室内が見えることを嫌わない国民性であるオランダ人だから、外周壁面にはクリアのガラスを使いそうではあるが、ここでは擦りガラスのように仕上げられたポリカーボネートを用いプライバシー保護と明るさ確保を両立させていた。
奥に見える壁には工具がずらりと並ぶ。正直言って、何に使うのか分からないものばかり。これらを使って趣味と思えない様々な製作を楽しまれていた。
家主さんは現在海洋発電のエンジニアとして働いている。また、それとは別にAI開発も行っている。大学で宇宙工学を学んだ経験を活かして作られた飛行機模型がいくつも並ぶ。建築模型でも使うスチレンボードを使用して作られた飛行機は、屋外で飛ばしてよいオランダのレギュレーションをクリアしているらしい。そんな話をする家主さんの目は子供のように輝いていた。
「ポリカーボネートを透過した日光では植物が元気にならない。」
紫外線がカットされた日光では植物の成長が抑制されることを実験し、確認したように家主さんは話した。
そんな話をしている背後で、ドスンと大きな音がした。そこでは家主の友人が天井からぶら下がったバーで逆上がりをしていた。当たり前のようにそれを見守る家主さん家族。そして家主さんも応戦。
子供の頃から、いくら寒くても多少雨が降っても外で遊ぶのが当たり前なオランダ人は、大人になっても体を動かすことをやめる訳がない。運動する大人を見て、競うように子供たちも一緒に遊び始めた。
ワークスペース脇にある出入口を使い外に出ると、そこはこの周辺の住人が使用する共有の路地になっていた。この路地が住宅の敷地内なのかどうかはよく分からない。なぜなら、この路地には建物の1階部分を通過しなければ通ることはできない。互いに協定のようなものを結び個人敷地内を住人が通過できるようにしているのかもしれない。
近隣の住人が路地を使うと、その気配が建物内にも伝わる。セキュリティの観点からも内部が見え過ぎず、また外の気配を感じられるので利点があるのかもしれない。
上階の庭園を支える柱とスラブが見える。日本と比較すると、柱は極端に細い。地震が少ないオランダでは、日本よりも比較的柔軟な建築デザインが可能なのだろう。
説明していただいたにも関わらず、全く理解できないがこれが家主さんの生業の一部。遊びの延長のように仕事を楽しんでいる姿は多くのオランダ人に見られる。オランダのモダン建築の特徴の一つはデザイン性にある。それはこのように楽しみながら発想を深める文化と関係しているのかもしれない。
オランダのトイレは狭いとどこかで紹介したが、このトイレも例外ではなかった。便座が納まるギリギリのスペースを見つけ、その周辺に手洗いと鏡を付ける。ただ、どのトイレを見てもタイルや壁にこだわりのある個性的な空間だった。
撮影した後、引き上げる際に撮影したエントランス。廊下の延長上であるため少し狭い。床には靴が並び、壁に上着が掛けられていた。ちなみに上着掛けは自転車のハンドル。このような発想が、オランダ建築や生活様式において面白い要素として表れていた。
今回、訪れた住宅は、生活と創造が交わる場所だった。家主さんご夫妻とお子さんの個性が空間のあちこちに息づいており、その家庭の温かさと活気を感じた。彼らの日常はクリエイティブで、建物自体がその一部となっているように感じるものだった。
日本では一般的に新築住宅が好まれる傾向があるが、このように古い住宅に手を加えながら住み継いでいく彼らの姿を見て目から鱗が落ちた。古いものをただ残すのではなく現代にアレンジしながら未来に繋ぐ。オランダ人の自由な想像力はさらにそれを後押ししているのかもしれない。
オランダは人口増による住宅不足。日本は人口減による空き家問題。対照的な問題を抱える両国の間で、多くの課題について考えを巡らせる良い経験が出来た。