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【Day9】赤ちゃんがエレベーターでお空に昇った話

書く習慣1ヶ月チャレンジDay9。
最近泣いたこと。

これは、とある友人のおはなし。

臨月に入ったとき、おなかの中で赤ちゃんが死んだ。原因不明。きのうまで元気な胎動を感じていたのに、突然動きが止まって違和感を覚えた。

病院にでんわしたらすぐ来るように言われる。
心臓が止まっていた。
すぐに出産しないといけないとのこと。
死んだ赤ちゃんを、陣痛促進剤を使って産むのだ。

「帝王切開にしてください」とお願いした。
あの痛みは、元気な赤ちゃんを産むからこそ耐えられるもの。とても耐えられない。
「帝王切開にすると、元気な赤ちゃんを産んだお母さんたちと10日間、入院しなきゃならない」と先生。
ツライけどがんばろうと言われ、出産した。
病院の好意で、その日のうちに退院させてもらった。

上の子の保育園の送り迎えがある。
「産まれたの…⁉︎」
「おめでとう‼︎」
と、口々に言われる。
そりゃそうだ。大きなおなかがペタンコになったのだから、みんながそう思って当然である。
「実は……」と説明しなきゃならない。
そうすると、みんな悲しい顔をする。
わたしが泣いてないのに泣き出す人もいた。
気を遣って笑顔で話さなきゃならない。
どんどん、外に出れなくなってしまった。

どうして死んでしまったのかな?と考える。
答えはなんとなく浮かんだ。
わたしが、喜ばなかったからだ。

赤ちゃんは4人目だった。
3人目はもうすぐ小学生。
2年前から始めた営業のしごとで地域トップの成績をとり、乗りにのっていたときの、思わぬ妊娠だった。

正直、心から喜べなかった。
また1からの子育て、キャリアストップ、いろいろな思いが錯綜した。
それでも眠っていた子供用品を引っ張り出して、名前も決めた。しごとも育休の手続きをとった。
でも、赤ちゃんは許してくれなかったんだと思った。

外に出れなくなってしまったので、自然としごとは辞めることになった。
どうやって引き継ぎをしたのかも覚えてない。
家のことも、どうしていたのか思い出せない。
上の2人がある程度大きかったし、パパも自営だったから協力してくれていたのかも。
わたしは、今が何月で、何曜日なのかもわからない日々を送っていた。

「マスクせずにカビキラーしたからだ!」
と叫んだことがある。だから赤ちゃん、死んじゃったんだ、と。
パパは悲しそうな顔をしていた。
子どもたちもなにも言わなかった。
わたしは家事もせず、下の子の送り迎えもせず、上の子の参観日も行かなかった。
このままじゃダメなことはアタマのどこかでわかっていて、でもどうしようもできない。
暗い暗いトンネルを、ひたすら歩いているような感覚だった。

ふと気付くと、目の前に女性がいた。
白いヴェールをかぶり、白いワンピース。
まるで天使のような格好だ。
よく見ると腕の中に、1才くらいの赤ちゃんを抱えている。
わたしがほっぺをツンツンと触ると、赤ちゃんはわたしの目を見てニッコリと微笑んだ。
とたんに涙があふれる。
「この子、怒ってないんだ」
怒っているから来てくれなかったと思っていた。怒ってないんだ。
おもむろに女性と赤ちゃんが後ろにあるエレベーターに乗り込んだ。
ドアが閉まると上の矢印がキラキラと光り、エレベーターは一気に上へとかけ昇っていった。

目が覚めるとびっくりするくらい泣いていた。
わたしは起き上がる。
部屋の景色がいつもより色づいて見えた。ずっとアタマの中にかかっていたモヤも、クリーンになっている。
カレンダーを見ると、1年前、赤ちゃんが死んだ日だった。命日だったのだ。


……いや、泣きました。
この話を聞いたときにも泣いて、夜も思い出して泣きました。
そして今、書きながらもまた泣きそうになってます。

友人はこのあと上の子のPTA役員に立候補し、しごとにも復帰しました。(前職とは別のしごと)

命日にそんな夢を見たことが偶然とは思えない、世にも不思議なおはなしでした。
事実は小説より奇なり。

最後までお読みいただきありがとうございます!もっとがんばります。