詩【追伸】

はたまた、季節はまた目眩く倒錯の世界へと変貌して行くようで、それが秋、という限定された時節を象り、次第に早々と消え去って行くからこそ僕は秋が好きなわけで。

延々と続く詐欺のような暑さとはまた異なる次元での出来事のようでもあり、それでこそこの秋の魅力でもあるのだろう。はて、結局何をもってこんなにも秋に固執するようなことばかりを書き並べるのか。

食うもん、さして変わらず。
飲みもん、さもしてやったりという様もまあ変わらず。

ほんのすこし、のみの秋めいたものを「秋」と感じずにはいられないと言った風体で臨むのがよいのかどうなのか。

恥ずかしげもなく繰り返すこの行為に名をなんてつけようかと何度も何年も、何度も何年も。この表現は、表現に対しての浅はかさ甚だしく決定的で、かように繰り返しては繰り返し何者でもない者の何物でもない物として時が経つこと流されては流れつくだろう冬にはまだ心持ち早いのだよ。

今、時をどう楽しまんかと食っちゃ寝食っちゃ寝、ファッキンda食っちゃ寝。合鴨でもいいからさとこれからのことばかり贅沢にも話しやがる。君なのか僕なのか誰なのかそれらのさ、一体となった言説に連結し舌鋒の鋭さったら弁舌の際の際、際立ってみえるようで的は射ぬ。

紅葉はもう、冬の楽しみかい?

いいえ、あきることなくお待ちになりなさい。その先に訪れるは秋ですよ。

いじらしい、いじらしい僕を未だ演じつつ待たなければならないと?

いいえ、あきることなくお待ちになりなさい。
その先に訪れるは秋ですよ。

狐につままれたような顔つきで待ち続けた秋が、果たして本当に秋であるのかがわからない。それはもう秋でもない、冬でもない、ただ紅葉に溢れてはこぼれ落ちるもう戻らない僕の隙間心ではないか。

僕は彼、君は彼、そして君は僕。
みんな過ごしたのはそこそこには同じような秋だったじゃないか。いや、厳密にはだいぶ違うのだろうそれは大袈裟だけれども同じ秋を違く過ごした記憶はそれぞれにありありとこびりつくものさ。

だんだんと、その秋も、遠くへと、見えているかい?
だんだんと、その秋も、遠くへと、行っているかい?

遠くへと小さくも輝くその秋も、何度も何年も何度も何年も名付けられぬまま、か弱さをよりいっそう蝶蝶しくさせては僕をまた焦燥の森に迷わせる。身体中全力で飛び出そうとすれば、飛び出そうとするほどその森に分け入っては同化する。ふと見上げ僅かにも開く目と生い茂る森の空白とが重なる合間のみに映る狭そうな空に浮かぶ小さくも確かな月だけは、また僕を照らそうか否かという評決をもって、秋を思うのだろう。


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