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中田英寿って、どう考えてもカッコいいでしょ?

少し前の話になる。

DAZNで中田英寿とトッティの対談をやるらしいと、ネットニュースか何かで知った。

あの時代の、セリエAが文字通り美しき魔境であった時代の、最も難しいカンピオナートを00-01に制したチーム。

それが、今では俄かに信じがたいけど、ローマだった。(当時も信じがたかったのかな??)

そんな首都ローマのチームの中で激しくポジションを争った2人。

生まれながらにしてローマのプリンスであるトッティ。

我らが日本の司令塔、中田英寿。

みんな大好きアッズーリのトッティと、
日本のサッカー界を背負って立っていた中田英寿。
※今は知らないけど、10年くらい前、イタリア、欧州でサッカーが好きそうな国を観光していると「チーノ」か「ナカータ」大体どっちかで呼ばれることが多かった。しかしやっぱり肌感では「ナカータ」が多かった気もする。
(全然関係ないけど、今の世の中じゃレコバも「チーノ」って公の場じゃ言われないんだろな)

サッカーの枠を越えて凄かったなぁ、、あの頃の中田は。

ペルージャの時なんて、ユヴェントス相手にあんなヤバいゴールを決めちゃうし。
※ どれだけあの頃のユーヴェが色々何かと凄かったか。(純粋に強いのは勿論、オーナーやモッジらの裏でのやりくりも含めて)

そんでもって中田は、ひとたび成田空港に帰国しようものなら、毎回だいたい変なサングラスかけてて、それも印象的で好きだった。

話をDAZNの対談番組に戻すと、
22YEARSという番組の題名からも、あのローマの優勝から22年も経過しているのか、、とため息が漏れそうにもなる。

あの頃はカルチョが、サッカーないしフットボールの歴史の中でも最も美しくピッチ上で繰り広げられていた時代の1つだろうと思う。

当時のセリエAは、
まずそもそもの1つ1つのプレーが非常に激しかった。

時に選手は信じられないくらい汚いプレーも辞さない、勝つために球際は激しく行くし、ボールがラインを割っても相手を制することに集中する。

かたや、ピッチのそばに目をやれば、マルチェロリッピがモクモクと葉巻を燻らせていて、発煙等の煙か、彼の葉巻のモクモクなのか分からんなんて冗談みたいなことも言われていた。

多分いろんなインチキやズルも当たり前で、イタリアらしいというか、セリエAは最高峰のレベルであると同時に、人間らしくって面白かった。

今じゃあまり聞かなくなったけど、カテナチオなんて(特に意識面で)のは当然のことで、ガチガチに固められたディフェンスや守備意識の中に抜け穴を見つける一瞬の閃き、ファンや仲間からしたら義賊的に捉えられる「泥棒」のような才能が宝物のように輝いていた時代だった。

こんな今思い出しても、難しさやキャラの濃さが先行するような記憶ばかりなリーグの中で、異彩を放っていたのが中田英寿だった。

当時僕はまだ小学生で、サッカーにあまりハマってはいなかったが、中田英寿は知っていた。

彼が活躍したニュースは頻繁にテレビで流されていたし、たまに見かける中田がインタビューなどで話している様子からは「スポーツ選手っぽく」なくて、かっこいいな、頭よさそうだな、と子供ながらに認識していた。

今でもその認識はほぼ変わらずだし、
彼は一見サッカー界から離れているように見えるけど、心のどこかでずっとサッカーと繋がってくれている感覚をこちらに、ファンに持たせてくれる。

先日の中村俊輔の引退試合にもサプライズで駆けつけていたり、ちょっと前には日本代表の試合を小野伸二と共に観戦したりもしていた。

日本代表の監督になったり、FIFAやサッカー協会で活躍する中田を昔は勝手に想像したりもしていたけど、彼はそんなありきたりな未来を選択するような人ではなかった。それがまた良いよね。

30超えてる人間からすると、
今の子達からしたら、中田英寿ってどんな印象なんだろう?って思う、思っていた。

ちょっと気になって、この22YEARSの感想なりネットニュースのコメントなどを漁ってみたのだけど、ちょっと「あれっ?」と思うようなことが多かった。

例えば、中田英寿が「最近はサッカーを観ない」と言っていたことの「理由」に対して、
「中田のフィジカルゴリゴリのプレーや走力は、今の時代こそ合ってた」的な、彼がまるで身体能力や機械的な(多分プレーの確実性や正確さも含め)ところを売りにしているプレイヤーであったかのように語る人が多くて、僕は正直ビックリしたし、辟易した。

そのコメントを書いたりしているのは見た感じ専ら若い子だったけれど、彼らが今愛している「現代のサッカー」が否定されたように感じたのだろうか。さらにその中にはしばしば中田を批判してるようなコメントもみられて、個人的には残念にも感じた。

そもそもの批判は、まあジェネレーションギャップ的なところもあるからしゃあないかな、、とも思うけど、
彼らは中田英寿を「現代的なフィジカル重視の選手」と本気で認識したうえで、批判がなされているのが、個人的には"非常に"残念でならない。

議論はいいと思う。認識が違うことを「なんでだろ?」って考えて話をして、前進できる可能性もあるから。

批判も、全く異なる意見同士の話で、そこがどうしても分かり合えないケースならば、(サッカーだとこういうことって多いし、それが醍醐味だし)その前提の認識も正当ならば別にいいと思うけど、今回の中田批判のケースはあまり正当とは言えるモノ(前提の認識)じゃなかったと思う。

だって、中田英寿って、
めっちゃサッカー上手くてファンタスティックだったからね。

確かに中田の身体の強さや、縦の推進力やスピードは現代サッカーの潮流にも合致しているけど、僕たちが魅了され夢をみていた中田英寿は、本質的にはサッカーに対してめちゃめちゃロマンチストだし、誰よりも彼自身がサッカーを愛して、サッカーを通して夢を見てきたのだろうと思う。勝手な想像の押し付けだけど。

彼は現役の時、ドリブル中に背筋をピンと伸ばして首を振りながら誰も予想できないような見事なパスを通していた。それはとんでもなく僕にとってファンタスティックな振る舞い・プレーだったし、ワクワクするものだった。

根本のところでは、こういった「認識の違い」を生み出しているサッカーを取り巻く現状について、トッティと中田は言いたかったのかもしれないなって思う。

彼らは彼らでサッカーに対して思うところがあって、彼らが大事にしてきたことや夢をみてきたことを考えると、色々言いたくなるのもわかる。

わかるよ、素人の僕が中田と同じような視座で考えられている訳がないけど、中田が見ていた夢やイメージに、当時ファンとしては恋をしているみたいだったからね。

わかるし、彼がサッカーに対して何を言おうが、彼があの"中田英寿"であることは変わらないし、中田英寿は凄いサッカー選手だった。今でも、凄いサッカー人であると思う。

そう、中田英寿は誰がなんと言おうと、
プレーがそもそもファンタスティックだったし、頭良さそうで、スマートで、カッコよかった。今でも何やってるか詳しくは知らないけど、彼はそのままの彼であり、あの頃の中田英寿のプレーは宝物みたいにキラキラと輝いているんだってことを言いたくて、こんなにわざわざ文にしてまで書いてしまっている。

めっちゃカッコよかったんだよな、中田英寿。
今でもめっちゃカッコいいから。

もしかしたらちょっとイラついて、中田批判しちゃったかもってみんな、もっとあの頃の中田英寿のプレーや、中田英寿がいた時代のセリエAも可能であればフル映像で観てみてほしいな。(実は大して若くもなくて、年取ってから最近サッカーハマって、彼の発言にイラついていたあなたもぜひ!)

とても感覚的だけど、今ベリンガムやデブライネにビビっとくるようなものを、中田も持っていたし、やっていたよ。
周りの老獪なセリエAの選手たちを、けちょんけちょんにしていたから。

そんでついでに時間があれば、
バティがピチピチのkappaのユニフォームでマシンガンを撃ちまくってる姿や、さらに少し前だけど紫のユニフォームでルイコスタと一緒に点取りまくっていた時の映像もまたみちゃいなよ。

ブレッシアで、ピルロのクッソ長くて柔らかいパスから信じられないような柔らかいトラップを披露して、ゴールまで奪ってみせたバッジョもかっこいいよ。(この時代から引退までのバッジョも、儚く光り輝いていて本当に良いね)

今も昔もサッカーは面白い。
でも、確かにサッカーは変わった。

違うスポーツになったし、経済的にもだいぶ規模が違う市場になった。

お察しの通り、確かに僕は昔のサッカーの方が好きかもしれないけど、それは思い出補正もあるから仕方ないと許してほしい。

少しだけ人間的なものが見えやすかった時代に、郷愁を感じちゃっているだけだから。

各所でのこういう思いの積み重ねが、日本の中でもサッカーの歴史を紡いでいく要素になって、これからの日本が強くなる礎にでもなればいいなって無責任にも思うよ。

つまり何が言いたかったかというと、
中田英寿は、カッコいいよ!ってこと!


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