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【第1章】今日から社会人だ

1.学窓から社会生活へ

あなたは、きょうから社会人です。あなた自身も、あなたを社会に送り出した学校の先生も、あなたの両親も、どんなにか、この日を待ちのぞんでいたことでしょう。
それにもまして、あなたのきょうを待っていたのは、あなたが、入社したこの会社です。
会社では、あなたを、一人前の社会人として大きな手をひろげて、受け入れたのです。
会社の将来は、あなたの働きにかかっているのです。そしてまた、あなたの将来を、かがやかしいものにすることも、そうでないものにしてしまうことも、あなた自身の働きにかかっているのです。
これまでの学校の成績は、あなたが、学業に努力した結果が、あらわれたものですが、会社の仕事には、すぐ役に立つものと、そのままでは、役に立たないものがあります。
成績のよかった人は、慢心することなく、新しい仕事に、身も心も打ちこんでください。
また、あまり学校の成績が、よくなかった人でも、少しの卑下もすることなく、おそれることもなく、“よしやるぞ”と、ファイトをもやして、スタートラインに立ってください。
あなたが、きょうからの仕事に、真剣に取組むならば、あなたの前進をさまたげるものは、何ものもないのですから。

新入社員の集りで「この会社で、重要な仕事をしているのは、だれでしょうか。」と、たずねたとき「わたくしたち一人一人です。」という答をききました。まことに、そのとおりです。会社や工場は、おおぜいの人員で、一つの仕事をしているのです。
それは、時計の機械が、いくつもの歯車やゼンマイ、文字盤、針などから組立てられていて、その部品の一つ一つが、それぞれのもっている働きをして、はじめて、時計としての役目を、はたしているようなものです。
見習期間中だから、どうでもよいというものではありません。
“人間の一生は勉強である”といわれていますが、とくに、入社早々の勉強は、あなたの一生をきめてしまうと、いってもよいのです。
あなたに、仕事を教えてくれる上司や先輩たちは、長い経験から、どのように教育したらよいだろうと、真剣に考えているのです。この方々のみちびきを、すなおに受けて、一日も早く役に立つ社員に、なれるように心がけようではありませんか。

2.新卒が歓迎される理由

なぜ、新卒者が、歡迎されるのでしょうか。それは、何ものにも染まっていない白地のように、どのようにでも、染めようとする人の図柄がかけるからです。
プロ野球団でも、それぞれの、球団の監督やコーチの考え方で、練習の仕方がちがっていたり、合宿の規則などが、変っているように、会社や工場でも、経営者の考え方や、やり方が変っていて、一つとして、同じところがありません。
野球では、監督やコーチの考え方に、選手全員が、すすんでしたがっていかなければ、どんなにすぐれた選手を、かかえている球団でも、りっぱな成績をおさめることができないことは、あなたも、よく知っていると思います。これと同じように、会社や工場の経営は、経営者の考え方に、従業員の全員が、少しのすきもないように、ぴったりと一致していなければ、会社や工場の目的を、達することができません。
そのためには、社会に一度でも出た経験のある人は「前の会社では、こうはしなかった」というように、何ごとにつけても、前の会社と、今の会社とをくらべて見るくせがついて、現在勤めている会社の考え方を、すなおに受入れないことが多いのです。このように、一つにとけこめない人が、一人でもいたのでは、むだな経費がかかったり、余分な時間をついやしたり、不快な空気が、社内にただよって、会社の運営が、ゆきづまってしまう結果となるのです。そこで、あなた方のような、学校から直接、会社や工場に入ってきて、見るもの、聞くもののすべてが、はじめてという新卒者を、歓迎するのです。
ところが、たとえ、新卒者であっても、あなたの父兄や先輩たちが、すでに他の会社や工場に勤めたことがあるか、今もなお勤めていることでしょうから、その人たちの話で「会社とは、こんなところ、上司はどんな人、福利厚生はこうしたもの」というようなことを聞くことがあるでしょう。
それぞれの会社や、工場のようすを聞くことは、参考としては、大変よいことなのですが、往々にして、それぞれのちがった事情を考えないで、自分の勤めた会社や工場とくらべて、うらやましい気持ちになったり、他の会社や工場を、ばかにするような気持ちを、もちやすいものです。
このような気持ちを、絶えず持ち続けていたのでは、現在の会社や工場に素直に勤めていくことはできません。
えん”があってきた会社、工場です。 会社や工場によろこばれる人に、なろうではありませんか。それが、生がい楽しく働くことができる、コツでもあるのですから。

3.社会はこわいところか

「家を出たら七人の敵がいる」、「人を見たら、どろぼうと思え」、「おおかみは、いつも口をあけて、きみをねらっている」、このようなことわざを、開いたことがあるでしょう。
これは、社会というものは、親のもとにいるときのように、のん気な気持ちでは、生活していけないことを、教えたものです。
しかし、親兄弟のもとを、はなれてきたあなたは、けっして社会を『こわいところ』ときめてかかってはいけません。
あなたには、あなたの生活を、保証する会社が、あるではありませんか。
あなたには、あなたの親兄弟にも、けっしておとらないほど、あなたの幸福をねがっている上司や、先輩がいるではありませんか。
また、たえまなく、あなたの行動を見守ってくれる、世間というものが、あるではありませんか。あなたの努力しだいで、どんなにでも前進することができるコースが、ついたではありませんか。
学歴がないから、家に財産がないからという心配は、少しもいりません。
ある映画会社の社長は、小学校を出ると、いまの会社の受付係を、初めての仕事として、与えられたのです。
彼の、しっかりした受付係としての仕事ぶりを見た、他の会社の社長の口から「見どころのある少年」ということが、社長の耳に入ったのです。
社長は、あらためて彼の仕事ぶりをみとめ、次々と進級して、ついには社長のいすに、すわるようになったのです。
与えられた仕事を、しっかりやっているとき、上司から必ず認められるのです。
「人は多いが、少ないのも人である」といわれています。これは人間の数は、年々多くなっているが、本当に、役に立つ人は少ないという意味です。
社会では、役に立つ人をもとめて『ウの目、タカの目』で見張っているのです。
誠実な仕事をしてくれる人には、信用という、だれからも、奪いとられることのない、無限の値打ちがつきます。
この信用を身につけた人には、こわいものは、何一つないのが社会です。

4.社会はあまいところか

会社や工場に勤められたら、もう生活の心配はいらないとばかり、レジャーだ、バカンスだと、さけびたてる商業政策にのって、いい気持ちになって、遊びまわっていたら、どんなことになるでしょう。
社会は、そんなにあまいものではないのです。 時は金なりという格言も、いまでは一時代前のものになって時は敵なり、といわれる時代になったのです。
敵とは、いつでも、こちらのすきをねらっておそいかかってくるものなのです。
『人の一生は、25才までの努力で、支配される』とも、いわれています。
ふたたび、やってくることのない青春の時代こそ、人生の基礎勉強に、取り組む大切なときなのです。
町のパチンコ屋や映画館に、平日の日中から、あふれている若い人々を見て「近い将来に、同じ町が、泣き泣きくらす人で、いっぱいになるでしょう。」といった人がいます。
社会の競争は、あなたが、考えている以上にきびしいのです。幾十年という古い経歴をもった会社でも、ひとたび方針をあやまったらひとたまりもなく、倒れてしまうのです。
たゆまない努力だけが、ささえなのです。
会社や工場では、いま入社したばかりの社員にも、給料を支給してくれます。
しかし、この給料に、相当するだけの働きのできる人が、どれほどいるでしょう。
会社や工場の、仕事の内容や性質によってちがいはあるのですが、本当に会社のプラスになる働きができるのは、入社五年後といわれています。それまでは、勉強の期間なのです。
「月給ばかりほしがっているが、会社の方で授業料を、もらいたいくらいだ。」とは会社側の、本音ではないでしょうか。
「求人難の時代だ、この会社がいやになったらいくらでも、行くところがある。」
このように思っている人がいたら、これも大変あまい考えです。
たしかに、人を求めてはいるのですが、一つの会社で、満足に働くことのできない人は次々と、条件の悪いところに、落ちていくのが、定石です。
社会の風は、なまけもののためには、けっして、あたたかいものでないことを、知っておきたいものです。

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