見出し画像

【第8章】善意がなければ能力が役に立たない

1.知識・技術・体力をいかす

社会人として、職場に働く人々は、それぞれの仕事や役がらによってちがいがありますが、仕事にふさわしい知識や技術を身につけていなければなりません。また、勤務にふさわしい体力を養っていなければ、役に立つはたらきができません。しかし、知識や技術・体力がどのように高度のものであっても、これを社会のために役立てるには善意がなければなりません。
“善意”とは、道徳的な基盤をもった意思です。善意の欠けた知識が、知能犯罪にむすびつくことは、だれでもよく知っていることです。また、善意の欠けた技術の進歩は、人類を恐怖におとしいれていることも、よく知られていることです。暴力をふるって、良民を苦しめるやからは、普意の欠けた体力のもち主です。
ところで、善意がどのように役立つかを、紹介しよう。
宮内庁大膳部司厨長の秋山徳蔵氏は、半世紀にわたって、天皇・皇后をはじめ、外国からこられた国賓や大公使のごちそうをつくる仕事に、真剣に働いてきた人です。秋山氏の著書“味”に『おいしい料理を作るには、よい材料、よい調味料と調理の技術がよくなければなりません。しかし、これだけでは、おいしいだけで“いつまでも心にのこる忘れられない味”を出すには、食べてくださる相手の心になって作ること。』と書いてあります。
食べてくださる相手の心になって作る。この心が善意です。善意が技術を生かし、材料の真価が発揮されることを、秋山氏は長い年月の経験によって体得したのです。
東京の某遊覧バス会社で、ガイドの制服を新調することになって、東京都内の某百貨店をはじめ、各アパレルからデザインの募集をしました。各社とも、腕によりをかけて、すばらしいデザインを提出しました。そのとき某百貨店は、三人のモデルにデザイン通りの制服を着せて、登場しました。バス会社では、仕上りの現物をみせてくれた誠意に強く感動して、数十着の制服を発注しました。
礼儀作法は、善意の具象化されたものです。したがって、礼儀作法をわきまえていなければ、知識や技術がすぐれていても、立派な社会人とはいえません。また、礼儀作法が欠けていると、才能が養われないことが、明らかになってきました。
日本彫刻界の重鎮、朝倉文夫先生が、『才能と知識』について、NHKのラジオで話していた話です。
「最近の作品を見ると、外形は美しく出来ているが、芸術的な内容をもった作品は、ほとんど見られない。それは、作品をつくるものが、知識だけを頭に入れて、かんじんの才能が養われていないからです。才能は、生活作法を身につけていなければ養われません。とくに礼儀作法が才能を養う大きな力となります」と話しています。
元巨人軍の王貞治や長嶋茂雄が現役のときの話です。
巨人軍の荒川コーチの夫人は、王選手の礼儀正しいことについて話していました。
「王さんは、宅にきてバッテイングのけいこをするときは、主人に向って、畳に手をついて、『おねがいします。』稽古がすむと、また畳に手をついて、『ありがとうございました。』と、あいさつをされます。お若い方にめずらしい礼儀の正しい方です。」
長島選手も、『動物的カンの持ち主である。』と、野球評論家たちがいうほど、人間わざを超越した、野球才能の持ち主です。
四十四年度の日本シリーズの決勝戦は、西ノ宮球場で行われ、巨人は五連覇をなしとげました。
その前夜、巨人軍の選手が宿泊した旅館のスタッフが、見たままをスポーツ記者に話した記事がのっていました。
「お風呂の湯をおとそうと思って、浴室に行ってみると、長島選手が一人浴槽につかって、何やら考えているようでした。しばらくして行ってみると、浴室の中でカタコトと音がしています。のぞいてみると、長島選手が、みなさんの使った湯桶や手ぬぐいをきちんと列べていました。」
これだけのことですが、長島選手はきちょうめんとか、細かいところに気がつく、などと話しては、大きなところを見逃がしてしまいます。長島選手の善意が、偉大なる選手としての才能を築いたことに注目したいものです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?