谷川俊太郎の宇宙 at 高志の国文学館
石川県金沢市に越してきましたけど、富山の話題です。
とりあえず、金沢には理容および理髪店が多いなぁという印象です。至る所にある気がします。「人間到る処青山あり」という感じです。「青山」は「墓地」を指すようですので、髪の毛がとにかく大量に葬られ、葬られ続けられている街なのではないでしょうか。“生き人形”とかも大量生産されているのかも知れません。要確認案件です。
街の人々は心なしか、みんな小ざっぱりした髪型で決めているようにも思います。
無精な髪の様相を呈した人が少ない。というのは、ある意味未来的。ある意味都会的。真の意味で田舎的です。
谷川俊太郎といえば、かつてテレビで見た『詩のボクシング』でのジャズセッション的な言葉の操り方がいつまでも記憶に残っています。
動画を見ると、やっぱり圧巻です。書き手が、パフォーマンスも上手いとなると手が付けられないように思います。古川日出男とかも凄いすもんね。ブコウスキー本人の朗読も聴いてみたかったです。
こじんまりした展示でしたが、個人的には谷川俊太郎のTシャツコレクションを見られて嬉しかったです。いつも颯爽とTシャツを着こなしているイメージがあります。世界的に見ても有数の、ハゲてもカッコいい人、であることも再確認しました。
ウディ・ハレルソンとか、東條英機とかも入ってくるランキングです。
見た目の話です、見た目の。
「自己紹介」と題された詩のパンチラインが、
「私の言葉には値段がつくことがあります」
というヤツなのですが、確かにザクザクと胸に、肩に、足にくる言葉たちであふれていました。あふれすぎて、ありふれている、と錯覚させられるほどに。
値段という観点で見れば、展示総額おいくら位の言葉たちなのでしょうか。下衆な視点でそう思いました。
物販コーナーには、
谷川俊太郎の厳選20の詩から15編を選んで、持ち帰れる!
という企画をやっていたのですが、僕の隣で詩を選んでいる青年が、
「コレ、15個選ぶっていうより、5個削る。作業だよな」
と独りごちていました。
確かに、数の多寡としてはそうであるのですが、選ぶということは選ばない、という事と同義である訳で、毎日は、常に、選ぶことを選ばなかったり、選ばないことを選んだり、して進んでいくのである。大変だ。そう思いました。
詩を書く行為でも、言葉は選ばれたり、選ばれなかったり、して。
その行為の先に「値段がつくことがある」訳です。
誰でも扱える言葉であるが故に、選択の果てに「値段」を産み出す、という事の困難さを想いました。
僕が15編の中に選んだ『生きる』という有名な詩。
この、言葉を転がしていくパターンで連ねていく手法は、みんなやれるんだろうけど、そこにシッカリ己や世界や物語を閉じ込めることが出来ないと詩にはならないんだろうと思わされました。
僕が、大学時代に受けたテストで、ほぼ白紙のB4用紙が配布され、
「あなたの欲望を書いてください」
とだけ記されていた。ことがありました。
僕は、試験に受かりたかったので、とにかく自分が思いつく「欲望」を試験用紙いっぱいにマンダラみたいな配置で書きました。
B4の真ん中に“欲するもの”と、括弧書きで記し、そこから放射状に
「牛乳飲みたい」「もっと寝たい」「早くこのテスト終えたい」「当たり付き当てたい」....
などと、無尽に書き込んで、結果、B4の試験用紙は真っ黒になりました。
今、思えばあの時の試験用紙は、言葉を選んだり、選ばなかったりして、懸命に己を落とし込んだ詩になっていたと思います。
その時の担当教論は、僕のその詩に満点をくれました。
教科は「美学史」でしたけど。
面白い講義でした。
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