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人間関係の問題を魔法のように即座に解決することはできるのか

今回はストア哲学をいかに人間関係に活かすかについてです。
エピクテトスの「語録」をもとにストーリー形式で書いていきます。

参考文献は日本語訳された語録ですが、非常に読み進めにくく難解な言い回しが出てくるので、できるだけ簡単に読みやすくするために勝手な解釈や編集や改変をしています。私は哲学の専門家ではなく、現実にストア哲学を役立てようとするただの実践者ですのでご了承ください。

ストア哲学があなたに約束するもの


ある日、高名なエピクテトスのもとに一人の男が彼に相談にやってきた。
彼は日頃から横暴で、何かときつく当たってくる兄について悩みを抱えていた。
今日は、この老いた哲学者からこの悩みの解決策を教えてもらう気でいた。

👨「エピクテトス先生、どう兄を説得したら今後つらく当たられないようにすることができるでしょうか」

彼に問われると、エピクテトスは次のように言った。

👴「おいおい、ストア哲学は自分にコントロール出来ること以外の何かを得させる約束なんかしないぞ。人それぞれの生活はそれぞれの人生の材料であって、それ以外のものを得られると思うな」

とエピクテトスは言い放ち、男はそれを聞いて面食らった。
この老いた哲学者はどんな悩みでも解決してくれるんじゃなかったのか?

男は怪訝な顔で聞き返した。

👨「それじゃ聞きますが、兄のその、人生の材料である生活を変えさせることはできないんですか?」

男にとって重要なのは、兄が自分につらく当たるのを変えさせることだった。

👴「お兄さんの生活はお兄さんの人生に属するもので、君にとっては財産や名声や健康と同じで君がコントロールできないことだ。だから、ストア哲学はそういうものを得られるという約束はしない」

👨「え・・・じゃあストア哲学って何のためにあるんですか?」

男は最近話題のストア哲学とやらに疑問を抱き始めていた。
悩みの原因である兄の態度を変えさせることができないなら、そんなものが何の役に立つというのだろう。

👴「ストア哲学はどんなときも、個人の内なる理性や意志の力を徳に基づく生き方にかなうようにすることはできる」

男はこう言われても意味がよくわからない。

よくよく聞くと、ストア哲学では外からの刺激である出来事に対しての、自分の反応や態度を正しい方向に向けることだけは可能であるということらしい。

👨「それが誰の役に立つんです?」

👴「ストア哲学を所有して活用している人の役に立つさ」

そう言われても、男の抱えている問題は解決していない。
男はさらに食い下がった。

👨「ええと、とにかく、兄が私を怒るのをやめさせるには結局どうしたらいいんです?」

👴「それなら、兄をわしのところに連れてきなさい。そうしたら、わしが彼を諭してやろう。だがな、彼が持つ君に対する怒りについては、わしは君に対して何も保証できない」

これまでの話と具体的な解決策らしきものが出たことで、男は考えを変え始めた。

👨「うーん、なんとなくわかりました。結果的に兄と私の仲が良くならないとしても、結局は私の反応や態度を徳にかなうようにすることが大切なんですね。確かに、それこそ私の求めていたものだと思います。よくわかりました。」

それを聞いたエピクテトスは、淡々と言った。

👴「何事も、大事なことはいきなり手に入ったりしない。例えば君がイチジクの身を収穫したければ、時間を掛けなければいけない。花を咲かせ、実をつけさせ、熟れさせなければならん。イチジクの身ですら1時間で出来るわけではないのに、君は人間の心の実がそんな簡単に手に入ると思うか?それは期待しない方がいいぞ」

男は肩を落としてその場を後にした。

この話から学べること


はい、できる限り簡単にしてみましたが、相変わらず語録を読んでいると🤔????ってなりますね。笑
実際、どういう意図かわからない文章が多いのでかなり脚色入れてます。

とはいえ、確かにエピクテトスの言っていることはごもっともです。

人と人との問題は自分次第でないことの代表例ですし、影響を与えることはできても結局どうなるかは相手次第ですからね。

ストア哲学にできることは自分の反応や態度を変えることだけ。
外の世界の変化に期待せず、自分の内面を変え、徳のある生き方と心の平穏を手に入れ、幸福になることがストア哲学の目的です。

ですがそれすらも、「それがわかったからと言ってすぐに身に付くもんじゃねーんだよボケナスが!」という主旨のことを言い放つのはなかなかドライですね。
でも、実際そうなんだから仕方がないんですが。

つまりですね、人間関係についての問題を魔法のように解決する方法なんてないし、自分の態度を変えようとするのもそれなりに時間がかかるということです。

ここだけ聞くとストア哲学って冷たいなーという印象が強いですね。
実際、ストア哲学は要求の多い厳しい哲学なので仕方ありません。
ストイックの語源なだけはあります。

ストア哲学は色んな気づきを与えてくれますが、結局は何事もそんな簡単に解決できないし、自分の態度や反応を変えるのも大変だと再認識させてくれます。

ハラスメントや人間関係で困っているあなたへ


※以下は未熟な私見ですので本来の意味での自己責任でお願いします。

さて、このエピソードは兄から弟への辛辣な態度でしたが、例えばパワハラをしてくる上司と部下やモラハラ夫とその妻、いじめをする側される側などに置き換えることができますね。

相手を変えさせようとすることまでは出来ても、結果として相手が変わるかどうかは相手次第です。

変えられるのは、時間がかかるとはいえ、自分の行動、態度、反応だけです。

本来、パワハラ上司やモラハラ夫やいじめなどに対してはきちんと訴え出るべき場所に訴え出るのが本筋ですし、取れる手段は取るべきです。

モラハラ夫と離婚すると経済的に困るから我慢する、パワハラ上司とトラブルになると職場に居づらくなる、いじめが悪化するから我慢する、という思考になりがちです。

まず、徳に従った断固とした態度と行動をとり、その結果を受け入れる覚悟をする。そしてそのときどきの最善の手段を取り、結果は成り行きに任せ、受け入れることがストア哲学の実践と言えるでしょう。

もちろん耐えることが最善の手段となり得る場合もありますが、多くの場合は行動を起こす必要があるでしょう。

危険からは離れる、逃げる。これは生き物として当然の生存戦略でもあります。

徳に従って行動し、離婚した結果生活保護になった、上司を訴えた結果会社から解雇された、いじめの解決を模索した結果さらにいじめ被害が悪化した。

こういう結果もあるかもしれませんが、その結果を心穏やかに受け入れ、そのときにできる最善のことをし続けるのがストア哲学です。

それを選択するのも責任を負うのも自分自身です。
誰かに言われたからではなく、本当に自分が納得し、結果を受け入れて行動し続けるならば、少なくとも状況は変わるでしょう。

とはいえ、自分次第でないことを受け入れるのは難しい。言うは易く行うは難しですから、そのために練習が必要になるんです。

私やあなたにコントロール可能なのは、自分の態度や反応や行動です。
自分次第でないことを心穏やかに受け入れることは簡単ではありません。

ですが、どんな応急処置よりもストア哲学は役に立つと思います。

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