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他人の評価を軸に生きているあなたへ
他人や世間の目、他人からの評価って本当に怖いですよね。
あなたはどうですか?
もちろんある程度は他人からの評価を気にしなければ職場や家庭や社会生活で困ったことになってしまいます。
私たちは自分の中に、対外的な外交官を持つ必要があります。
他人の目を一切気にするな!などという非現実的なことは言いません。
ただ他者の評価を恐れすぎるあまり、私のように息苦しくなってしまっていませんか?
これから書く内容は、もともと極端に他人の評価を恐れている私のような人向けに書いています。
万人に合う思考法ではないことも重々承知していますのでご理解ください。
人はなぜ他者の評価に怯えるのか
人間は長い進化の過程でこの他人の評価を気にする特性を得たそうです。
現代と違って人間は何百万年もの間、多くても100人くらいの集団を形成して暮らしていました。
そんな小規模な集団の中では、今よりよっぽど周囲の目や評価、評判は重要だったでしょう。
全員が全員誰がどんな人かを知っている社会では、集団の和を乱す者、評価の低い者などは容赦無く排除され、子孫を残せなかったはずです。
私たちはそうではなかった側の人類の子孫なので、周囲の目や評判が気になって仕方ないのは遺伝子レベルでごく自然なことです。
理性で情念を制御する
だから、これはもう心に沸いてきても仕方がない感情、ストア哲学で言うところの情念(パトス)です。
では、その勝手に湧き上がる情念に屈して振り回されて良いかというと、それでは理性のない動物と同じです。
私たち人類にはストア哲学でいうところの理性(ロゴス)が備わっています。でなければ、あなたは今この文章を読むことすら出来ていないはずです。
心に勝手に生じてくる情念にただ屈してそれに振り回されるのではなく、情念を理性によって制御することがストア哲学の基本的な教えです。
他人からの評価は自分次第でない
それでは、「他人からの評価が気になる」という情念について私たちはどう対処すべきでしょうか。
まず、他人からの評価について整理しましょう。
そもそも他人からの最終的な評価は、自分次第でコントロール可能なことでしょうか?
影響を与えられたとしても、最終的には自分にはどうしようもないことです。
例えば相手に普段から親切にしていたとして、その受け取り方は相手次第です。
良かれと思ってしていた行動が、相手にとっては不快な場合もあるかもしれません。
他人からの本当の評価は絶対わからない
そもそも相手が自分をどう思っているかなんて本当のところは相手以外誰も知ることはできません。
笑顔で擦り寄ってきていても、内心では舌を出していることだって充分あり得ます。素っ気ない態度を取ってくるあの人も、あなたのことを本当は大好きなのかもしれません。
裏で自分に対して悪口を言っていても、もしかしたらただの照れ隠しの可能性もありますし、裏で褒めていても何らかの打算の可能性だってあります。
結局のところ、「相手からの本当の評価」は、その本人以外は絶対に知ることができません。可能なのは良く言えば推測、悪く言えば妄想することだけです。
思い悩むことの弊害
では、そんな本当にはわかりもしない「自分次第でないこと」について気にしたり、思い悩むことにどれほど意味があるでしょうか。
考えれば考えるほど、思い悩む弊害の方が多いことに気が付きます。
仮に私のことを特にどうとも思っていない人がいたとします。
その人の何気ない行動で、私はその人に嫌われている、と勘違いしたとしましょう。
そうすると、私はそのことを思い悩み→それが原因で相手のことが嫌いになってしまい→それが態度に出て相手に伝わり→本当に嫌われてしまう、ということも充分起こり得るわけです。
理性の発揮は難しいが価値がある
「悩み」とは情念なので勝手に沸いてきます。これをいとも容易く理性で完全に制御できればこれほど簡単なことはありません。
ですが、私たちにはそれが難しいからこそストア哲学でわざわざそれを論じているのです。
難しくても、自分の意志に関することは自分次第でコントロールできる唯一のことです。そのたったひとつのハンドルすら手放してしまっていいでしょうか?
そうなると、もはや外からの刺激と内からの情念に好き放題振り回され、なすがままになることを容認したことに他なりません。
他人の評価を軸にして生きるのは本当に苦しいことです。
他人の評価は全く安定せず、ブレにブレます。
私たちがどれだけ努力しても、最終的な評価の決定権は私たちには一切ないのですから仕方ありません。
あの人に嫌われていないだろうか、適切に評価してくれているだろうか。
このような恐れは本当によくわかります。私もこういう妄想に囚われることが未だによくあります。
ですが仮にそうであっても、やはり私たちにできることは自分の意志を適切にコントロールし、今できる最善の行動をすることだけです。
人間の本能とでもいうべき「他者からの評価への恐れ」に対して理性を発揮するのは非常に難しいことです。
しかし理性の力で情念をコントロールすることに少しずつ慣れていけば、少なくとも外からの刺激と内からの情念に振り回されていたときよりも、ずっと心の平穏が訪れるはずです。
もっと自分次第のことだけに目を向けていきましょう。
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