第32葉, 尊重とかバトンとか
「少数意見の尊重」、「適応障害」、「自分を愛そう!」…
こう並べてみると、、、 軽いし、中身が伴ってなくて冷たい。
それでいて、暴力的だ。 ( 方向性は合っていると思うけど… )
それらを上手く隠せている風だけど、
見える人には 多分、やすやすと見えてしまう。
というより、目について 鼻につく。
この違和感をなんと表現すればいいのか、自分には言葉がない。
それは、幸か 不幸か。
その概念を指す言葉があると、伝わりやすくていい。
でも、一個人の、n=1の掛け替えのない葛藤や経験を
いとも簡単に、分かった気になって束ねられてしまうかもしれない。
言葉がないと伝えにくいが、
その代わりに 変に束ねられる危険性は少ない。
ただ その葛藤や経験を伝えきるには、発信する側も受け取る側も
忍耐や 情報をよくよく取捨選択することが求められる。
考えてみると、「一線を守る」ということになってしまうのかもしれない。
ただ、「尊重」を謳う側と括られないように…
以下、引用することをどうか ご容赦ください。
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「昔に比べたら 生きやすくなったよね」 とか、
「普通に周りにそういう人いたから、私 全然 理解あるよ」とか、
安易に言わないでほしい… っていうのは、私の愚痴です。
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この情報過多な社会で、注意経済で、コスパ重視な風潮の中で、
それらに争うように 慎重に、思いの丈を綴って、
言葉を紡ぎ、バトンを繋いでいる人たちが 確かにいる。
うつくしいと思う。かっこいいなと思う。
自分も心底 そうありたいなと思える。
ただ一点、申し添えしたいのが…
そうあり続けるのは すごく険しい道のりだろうなという事。
何かをカミングアウトしたから称賛する/される、
その一方で 苦悩の末に自ら命を絶つなんて 弱い/狡いっていうのは
あまりにも短絡的すぎはしないだろうか。
「尊重」とは、一体 何なのか…?
そんなことを考えさせられた 今日この頃。
以上、 yasu59 でした ー筆おきー
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