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10年ぶりにたった一枚だけ年賀状を書いた

12月下旬の年の瀬のある日。
年納めの残タスクをゆっくり片付ける優雅な年末を過ごすという淡い期待は、制作スケジュールの大幅遅延とともに消え去っていた。

深夜0時。外での仕事を終えた。
家に帰って残りの仕事を片付けよう。重い脚を引きずるように、車しか通らない道を歩いた。郊外の国道沿いのコンビニには、未だに喫煙所がある。一服してからシャワーを浴びようと、街灯の少ない中煌々と光るコンビニを目指した。

外の喫煙所でたばこの煙か寒さで白くなった息かわからない何かを吐き出しながら、コンビニの入口に「年賀はがき販売中」の紅白のぼりが掲げられているのを見た。そういえば、年賀状を書かなくなって何年経つだろう。デコメであけおめメールを送るようになり、LINEで簡潔に「あけましておめでとう」を送るようになり…気付けば高校を卒業する頃には年賀状を書かなくなった。

ふと、年賀状が書きたくなった。わざわざ「年賀状を書きたいから住所を教えてくれ」と尋ねるほど大層な年賀状を書くわけではないので、私が唯一知っている実家以外の送り先に向けて書くことにした。1枚68円の年賀はがきをレジで1枚だけ頼む。今投函したらはたして元旦に届くのだろうか。サプライズで送る年賀状が元旦に届かないのはちょっと滑りそうで嫌だ。

素で渡された年賀はがきが折れないように仕事の手帳に挟み込んだ。結局この日は深夜3時まで仕事をして寝た。

翌日の朝9時。
どれだけ仕事で疲労していても、朝は清々しい気持ちになれる。今年買った家で一番高いボールペンを出し、自分の思う最良の姿勢でローテーブルに腰掛ける。Apple Musicが「あなたが一番聴いた音楽」とおすすめしてくる、Vの『Christmas Tree』を流しながら、宛先の人との2022年の思い出を振り返った。「あけましておめでとう」と書き出そうとした瞬間に、相手が喪中だと話していたことを思い出した。喪中の人に年賀状って出してよかったっけ。ただ、もうこの人以外の送り先もないし、この人にしか送りたくない。「あけましておめでとう」の書き出しは辞め、なるべく謹賀新年感のない年賀状にすることにした。

「2023年になりました」
変な書き出しになったけれど仕方ない。それよりも、思ったよりインクが滲んだ。達筆風に軽いタッチで綴り、「なんか年賀状書きたくなっちゃってさ」くらいのライトな感じにしたかったのに、言葉を選び始めると迷いが文字に現れる。それに、書きたいことが多すぎる。1年間分の感情を1枚のはがきに収めるのはなかなか難しい。筆圧の強弱と考えながら綴った文章から、だいぶ不格好な文字が並んだ。イラストも何もない無地のはがきにバランスの悪い黒文字が並ぶ。年賀状とは思えない見た目だ。

「今年もよろしく」
昔は何の疑いもなく、確証のない来年のことを「今年」と書いていたけれど、年末に大喧嘩して絶縁状態になるかもしれないし、唐突に振られるかもしれない。本当に「今年」になった瞬間もその人によろしくしたいと思えるかは結構賭けなんじゃないかと思えてきた。

2023年、食べたいものも行きたい場所もやりたいこともある。2022年、できなかったことも言えなかったこともある。普段だと恥ずかしくて話せないことも書けないことも、年賀状という一年に一度のイベントだと気にせずに伝えられる。

「今年」こそは告白しよう。頼むぞ、2023年の自分。

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