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もう一度揃えたい 焼失ブックリスト


 隣家からの火事で自宅が全焼した話は、以前別の記事で書いた。本も大半が放水の水を被ったり、真っ黒に炭化したりでその場でゴミと化した。一部焼け残った本も、春先という時節も悪く、持ち出す前に雨に濡れて波打ったり反ったりしてダメになった。鎮火後すぐに持ち出せた本でさえ避難先の段ボール箱の中でカビが生えてしまった。波打ちながらも辛うじて数冊、ページをめくることのできる本もないではないが、消火液のせいなのか、カビなのか、火災の嫌な匂いが染み付いて読んでいると気分が悪くなった。結局、無傷の本は皆無だった。

 どんな本があったか全部は思い出せないが、印象深い本はまたそのうち手元に揃えたいと思う。そういう本たちについてnoteを書き始めた(失っても思い出す本の話)のだが、手元に残っていない本の話を書くのは、記憶の曖昧なところを確認できないのでかなり難易度が高いことに気がついた。

 そこで、あまり内容に踏み込まず、印象に残っている本を列挙していくことにしたい。気が向いたらその本を挙げた理由やエピソードなども挿んでいこうと思う。

 アマゾンのアソシエイトリンクが貼ってあるので、興味をそそる本があればリンク先から購入いただけたら幸いである。公開しながらどんどん増やしていくつもりだ。

 (見出し画像は真っ黒に燃えてしまったウチの本棚。未だにウソみたいで他人事のよう。キーファーの絵みたいで綺麗だなとさえ思ってしまう。)


博物学

博物学というのがいいのかどうか、遺伝子分析や成分分析など技術の粋を尽くして分類する現代のような科学的なものの見方ができない頃、自然科学と人文科学の境界を跨ぐようにメタファーを駆使し鋭く世界の森羅万象を捉えようとする博覧強記の人たちがいた。この包括的で分類し難いものを一旦ここでは博物学と呼んでおく。

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南方熊楠と「事の学」
単行本 – 2005/11/1 鳥影社ロゴス企画部
橋爪 博幸 (著)

「もの」と「こころ」の出会ったところに「こと」が生じると熊楠はいう。熊楠の燕石考は、おおよそ西洋科学では認められないような説話や伝説など人文的な要素を織り込んだ論文の書き様で、ポパーのいう第三の世界を先取りしている。政治、経済、芸術、人の営みを通して人と世界の関わりまでを視野に分析的に森羅万象を見ることの意義は極めて大きい。

文化・歴史

日本

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忘れられた日本人
(岩波文庫) 文庫 – 1984/5/16 岩波書店
宮本 常一 (著)

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日本文化の形成
(講談社学術文庫) 文庫 – 2005/7/9 講談社
宮本 常一 (著)

インド

古代インド

古代インド
(講談社学術文庫) 文庫 – 2004/9/11
中村 元 (著)

中東

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初期メソポタミア史の研究
(早稲田大学学術叢書) 単行本 – 2017/5/25 早稲田大学出版部
前田 徹 (著)

社会

開かれた社会とその敵 第1部 プラトンの呪文
単行本 – 1980/1/1 未来社
カール・ライムント・ポパー (著), 内田 詔夫, 小河原 誠 (翻訳)
※ note内に関連記事あり

芸術

芸術論・芸術史

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マティス 画家のノート
単行本 – 1978/12/2 みすず書房
二見 史郎 (翻訳)

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世阿弥芸術論集 新潮日本古典集成 第4回
単行本 – 1976/9/1 新潮社
世阿弥 (著), 田中 裕 (著)

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かたちと力―原子からレンブラントへ
単行本 – 1988/8/1 潮出版社
ルネ ユイグ (著), 西野 嘉章 (翻訳), 寺田 光徳 (翻訳)

この本は元々カバーなしの古書で買ったもの。写真はアマゾンのものではなく、運良く焼失しなかった手持ちの現物。煤けた色は落ちないし放水の湿気を吸って少し反ってしまっている。積読状態で被災したのでまだ未読だ。読むのを楽しみにしていたのだが救出当初は臭いが気になって読めたものではなかった。ようやく火事臭さが消えてきてそろそろ読み頃かな。

---2022年11月3日 追記
「かたち」は「空間」に「力」は「時間」に読み替え可能で、芸術と自然科学の架橋を試みている。そういう意味で、人文科学と自然科学の架橋である熊楠の「ことの学」との比較を試みてみたくなる。熊楠のいう「もの」は「かたち」に、「こころ」は「力」に、そして「こと」は「作品」に対応していると見ると色々と腑に落ちるのではないだろうか。ユイグの視座を通すことで、熊楠の「こころ」が「時間」に読み替え可能かもしれないと考えてみると、過去=記憶、現在=意識、未来=想像、というベルクソン的な時間観が思い出される。そこから本書を顧みれば、最後で未来を更新していく使命を担わされた生命がその進化の果てに想像力を獲得したという話に舞い戻ることができる。想像力の果実である芸術が物理的、決定論的なナマの自然からフィクションの世界へはみ出ていくのは故なきことではないのだ。

絵画作品集

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アルテ・ピナコテーク ミュンヘン
(スカラ みすず 美術館シリーズ) 大型本 – 1990/12/1 みすず書房
エーリッヒ シュタイングレーバー (著), 田辺 清 (翻訳)

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デューラー展(水彩・素描・版画)
単行本 – 1992/5/20 デューラー展実行委員会
監修 千足伸行 (著), 千足伸行 (寄稿)

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Kitaj
ペーパーバック – 1992/9/1 Phaidon Inc Ltd
英語版  Marco Livingstone  (著)

エッシャーの宇宙
単行本 – 1983/7/1 朝日新聞出版
ブルーノ・エルンスト (著), 坂根 厳夫 (翻訳)
※ note内に関連記事あり

技術・技法

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銅版画のテクニック
単行本 – 1989/5/1 ダヴィッド社
深沢 幸雄  (著)

私が持っていたのは、表紙がオレンジ色の1976年版で、上掲のものとは異なる。新版には新しい技法が追加されているらしい。高校時代、神秘的な長谷川潔のメゾチントに魅せられ、自分でもやってみようと銅版画の技法書を探し回って購入したもの。当時、銅版画の技法書はこれぐらいしかなかったのではないかと思う。物置になっていた美術室のエッチングプレスが初めて日の目を見たのも、銅版画の奥深さを知り、後に大学で銅版画を専攻することになったのも実にこの本のおかげなのだ。当時ワクワクしながら読んだ思い出の書である。

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アーティスト・マニュアル―技法+材料+道具
単行本 – 1987/4/1 メルヘン社
Stan Smith (監修), H. F. Ten Holt (監修), 黒江 光彦 (翻訳), 向井周太郎 (翻訳), 桜庭裕介(翻訳), Paul Hogarth (まえがき)

これも高校時代に手に入れたものだったが、誰かに貸して戻って来なくなり、わりと最近思い出して再度購入したものだった。また焼失してしまう事になるとは悔しい限りだ。もう一度買うかどうかは悩む。なぜそれほど執着しているかというと、美術からデザインまで本当に幅広く画材や技法について網羅的かつ詳細に書いてあるから。もっとも時代が時代だけにDTPについては全く触れられていないのだが、逆にDTP以前の版下制作や製版の知識などを知る良い資料といえるかもしれない。モアレが出にくいコンタクトスクリーンの角度とか今となっては誰に聞けばいい?というような情報まで事細かに掲載されていたと記憶している。

音楽

正直、演奏もやらないし、歌も歌わないけれど、共感覚というものがあって、音階や和音などに色相や色彩のハーモニーと同質のものを感じることはできる。音色に潤いやざらつきを感じたりもする。学生時代、障害者施設の宿直アルバイトをしていた頃、寮生さんたちが寝静まって暇な深夜に、よく『音楽の正体』という番組を見ていた。さまざまなジャンルの名曲をダシに、そこに隠された、聴く人を魅了する理由を、鮮やかに解き明かしていく趣向が衝撃だった。それ以来、音楽理論への興味はずっとある。なかなか聴くだけではピンとこないのではあるが… そういえば、火事の前に音楽教室へ行こうかと資料を集めかけていたんだっけ。もうそんな余裕はないなぁ。

※上の文を書いた後、TV番組『音楽の正体』について調べていて、これが1993年のフジテレビの番組であること、放送終了後3年を経て書籍化されていたらしいことを知った。
『音楽の正体』単行本  1996 ヤマハミュージックエンタテイメントホールディングス 渡辺 健一 (著)
焼失した訳ではないが、揃える本に追加したい。

『ポピュラーミュージックのための楽典』(KEYBOARD MAGAZINE MUSIC THEORY SERIES)
ペーパーバック – 1993 リットーミュージック
デイヴ スチュワート (著), Dave Stewart (原著), 真沙木 唯 (翻訳)

TVで『音楽の正体』を見て衝撃を受けた頃購入した音楽理論の本。著者がユーリーズミックスのデイヴ スチュワートというのがミソ。当時聴いていた洋楽の作曲の舞台裏を覗くような感覚で読んだ。作曲はおろか楽器の演奏もできないが結構楽しめた。私の中では完全に『音楽の正体』の延長線上にある一冊。

絵図・図記号・絵文字

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最古の文字なのか? 氷河期の洞窟に残された32の記号の謎を解く
単行本 – 2016/11/10 文藝春秋
ジェネビーブ ボン・ペッツィンガー (著), 櫻井 祐子 (翻訳)

32という数は表意文字だとすると数が少なすぎる。しかし、表音文字にしては文字が列を形成しないから話し言葉の音を写したものではない。現代人は思考を話し言葉で行うと考えがちだが、実際には図を描いて考える視覚的思考というものもあるし、嗅覚的、味覚的、触覚的思考というものもありうる。要は感覚刺激が構造を伴って記憶でき、過去の刺激との間に差違を感じることさえできれば、どんな感覚であろうと演繹的にも帰納的にも活かすことができうる。さらに言えば、感覚だけではなく感情や身体的な身振り、もっと複雑な事件の印象でさえ思考の道具になりうる。そうであるならば、これらの記号が話し言葉を代換えする必要は全くなく、紐づくことさえなくてもよい。視覚的な類似と配置に意味を見出せばそれでよいのだ。個人的な感想を言えばこれらは地図のような空間認識の表現ではないかと思う。音声言語と並行して描画による意味の体系が生まれようとしていたということではないだろうか。しかし、それは驚くには当たらない、PCのデスクトップアイコン、地図や図面の記号と同じ類のものだ。そこに意味は確かにあるが音はなくてもいいのだ。

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世界の文字の図典 普及版
単行本 – 2009/5/20 吉川弘文館
世界の文字研究会 (著, 編集)

今では漢字やトンパ文字などわずかな例を除いてほとんど表音文字になってしまった世界中の全ての文字が元を辿れば絵画的なアイコンから出発していることがわかる。巻末の方にある漢字のリストには呉音、漢音に並んで中国の古代音や各地の音が併記されていたり興味は尽きない。この本は、焼失はしていないが水を被ってボコボコになってしまった。それでも捨てられないでいるのは、内容の凄さもさることながら、今は無くなってしまった神戸の海文堂で買った本というのもある。

言語

語彙

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Grammata Serica Recensa
1957  Museum of Far Eastern Antiquities
Bernard Karlgren (著)

上掲の『世界の文字の図典』の漢字リストで中国中古音とあるものの典拠になる書。日本の万葉仮名で例えば「お」に「意」の字を当てる例があるのだが、漢音とも呉音とも解釈できず不可解だと感じて調べていた時に購入したもの。日本に漢字が渡ってきた中古の頃に「意」を「お」と発音していたのではないか?と仮説をたてて調べたものの、この本のカールグレンの音によれば結果は否だった。その後、中国各地の方言音や歴史的な音の変遷を検索できる「小学堂」というサイトを見つけ色々調べてみたところ、広州あたりの方言「閩語」で oi と発音するらしいことがわかった。中国南東部の沿海地域であり漢民族の勢力拡大に伴って大陸を追われた南方系の人たちが当時の古い時代の閩語訛りを日本に持ち込んだのかもしれない。ちなみに、この「小学堂」で「上古音/先秦/高本漢系統」とか「中古音/隋唐/擬音/高本漢系統」と表記されているところの「高本漢」とはカールグレンの中国名である。

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諸本集成倭名類聚抄 (外篇) 日本地理志料 ——和名類聚抄國郡里部箋注——
単行本 – 1966/9/30 臨川書店
源 順 (著) 邨岡良弼(著) 京都大学文学部國語学國文学研究室 (編)

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諸本集成倭名類聚抄 (本文篇) 
単行本 – 1968/7/5 臨川書店
源 順 (著) 京都大学文学部國語学國文学研究室 (編)

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諸本集成 倭名類聚抄 (索引篇)単行本 – 1968/9/20 臨川書店
京都大学文学部国語学国文学研究室 (編)

倭名類聚抄は漢語と和語を対照させた日本最初の分類体辞典で中古以前の日本語を知る貴重な資料として有名。これを編纂した源順は三十六歌仙の一人で藤原師輔より2歳年下ということだから藤原氏が絶頂期に向かって陰謀をめぐらし、安倍晴明などの陰陽師が活躍していた時代の人だ。漢籍と和歌の両方に通じ、彼の和歌を集めた「源順集」があるほか「竹取物語」「うつほ物語」「落窪物語」それぞれの作者に擬する説もある。

国文学的な視点からみると、源順が活躍した930年代から970年代は、894年に遣唐使が廃止され、唐人による漢字のネイティブ発音が失われつつあり、同時にひらがなの形が定まり出した頃で、彼が若いころは、紀貫之が40歳~45歳、小野道風が17歳年上で権威を誇っていたはずだ。

彼が「和名類聚抄」をちょうど編纂している頃に紀貫之は日本初の仮名による日記文学「土佐日記」著している。まさに国風文化が産声をあげようとしている最中だったのだ。

日本語の古来からのモノの呼び名を漢語と対照させようという「和名類聚抄」の試みは、仮名書で日本語の発音を自由に表現できる土壌が整った反面、中国との断絶によって漢語の本来の発音が失われ始めたことが原因かもしれない。「今のうちに残しておかなければわからなくなってしまう」という危機感があったのかもしれない。

事実、日本語の音韻をあらわす手習い歌がちょうどこの頃変化して「阿女都千曾の歌」から「大為尓の歌」を経て「いろは歌」へシフトしていったことと関連して、紀貫之の世代には明確に残っていた、「衣(ア行え)」と「江(ヤ行え)」の発音の違いが源順集ですでに失われている証拠が見つかっている。

で、辞書的なもので和語を探そうと思うと「和名類聚抄」が一番古い資料ということになる。いくつかバージョンがあり京大のこの版は索引編が便利。

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あじまさの島見ゆ―縄文幻視
ハードカバー – 1997/11/10 南船北馬舎
丹野 冨雄 (著)

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シンハラ語の話し方
単行本 – 2005/6/1 南船北馬舎
かしゃぐら通信 (著)

シンハラ語・日本語辞典
単行本 – 2015/4/22 三省堂
野口 忠司 (著)

この辞書は買って1年経ってなかったんじゃないかと思う。刊行されているのは知っていたが、なかなかのお値段なので買うと思い切るまでにかなりの時間を要した。しかし、これも焼けた。大野晋の『日本語の起源』を古書店で見つけて読んで以来、日本語系統論にハマり(この辺の本もそのうち挙げたい)いろいろ読み漁っていた頃、南インドの伝統的な神像彫刻を現地のナショナルアワードクラスの職人に教えてもらえるという3週間の体験ツアーがあり、ケララ州はティルバナンタプーラムへ行く機会があった。現地語はマラヤラム語、タミル語に近い言語であり大野のいう日本語・タミル語同系説が本当なら、何か感じるんじゃないかと思って現地の人が喋るのを聞いていたが正直よくわからなかった。その後、『かしゃぐら通信』のサイトに検索で辿り着き、シンハラ語の存在を知った。日本語のように聞こえるフレーズがよくあるという。まさにドラヴィダ系諸語の分布域で最南端であり、インドからスリランカへは船で渡ったはずなので、航海術にも長けていたと想像できる。4~3万年前に大陸沿海部を船で辿って、最終的に日本に至った人々と祖先を同じくする人達の言語かも、あるいはアーリア人がインド北部から侵攻した時に押し出されるように海へ逃れた人々の一部が日本へ文化をもたらしたのかもと、俄然興味が湧いた。ひとつ前に掲げた『シンハラ語の話し方』はそんな流れで購入したのだった。シンハラ語のテキストをもっと読みたいと思い購入に至った辞書であったが本当に残念でならない。あまり使われることなく逝ってしまった。

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縄文語の発見
単行本 – 2013/5/23 (旧版 - 1998/5/1) 青土社
小泉保 (著)

詩歌・古典文学

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詩歌の起源―琉球おもろの研究
単行本 – 1978/6/1 角川書店
鳥越 憲三郎 (著)

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おもろさうし(上) – 2015/9/17
おもろさうし(下) – 2015/10/17
(ワイド版岩波文庫) 単行本(ソフトカバー) 岩波書店
外間 守善 (校註)

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古事記注釈 第1巻 – 2005/04/01
古事記注釈 第2巻 – 2005/06/08
古事記注釈 第3巻 – 2005/08/10
古事記注釈 第4巻 – 2005/10/05
古事記注釈 第5巻 – 2005/12/01
古事記注釈 第6巻 – 2006/02/01
古事記注釈 第7巻 – 2006/04/01
古事記注釈 第8巻 – 2006/06/01
(ちくま学芸文庫) 文庫 筑摩書房
西郷 信綱  (著)

古事記を神話と捉えれば、文学書に分類すべきかもしれないし、後半は一部史実も入ってくるので、歴史書に分類すべきという人もいるかもしれない。しかし、私の場合、上代日本語の資料として古事記に使われた言葉がどういうものだったか知りたいという動機が9割なので、言語の日本語関連に分類している。古事記の原文を詳細な注釈付きで読める本書はまさに私にとってお宝。

統語

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構造統語論要説
 単行本(ソフトカバー) – 2007/2/24 研究社
ルシアン・テニエール (著), 小泉 保 (翻訳)

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現代日本語文典―21世紀の文法
単行本 – 2008/8/1 大学書林
小泉 保 (著)

上掲、ルシアン・テニエールの『構造統語論要説』訳出後、その転用の概念を意識しつつ日本語統語論を再構築しようという意図が見える。国語の枠内だけを見てきたこれまでの国語文法に対し、世界中の言語に普遍的な統語構造と目される概念と日本語文法を結びつけて考える理由は、それが言語の翻訳可能性の基盤だからであり、その背後にある人類の言語現象の普遍的理解に欠かせないからだろう。特に日本語はヨーロッパの諸言語とは明らかに系統の異なる言語だから、理論の強度を測る試金石となる。助動詞の捉え方など、独特の視点は世界の言語から日本語を見つめ直した結果なのだろう。

数学

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aha! Gotcha ゆかいなパラドックス 1 – 2009/10/16
aha! Gotcha ゆかいなパラドックス 2 - 2009/12/19
単行本(ソフトカバー) 日本経済新聞出版
マーチン ガードナー (著), 竹内 郁雄 (翻訳)

旧版の1巻が1982年12月発刊というから近所の書店で手に取ったのは小学6年生だったことになる。表紙の印象が違うなと思ったらやはりこれは改訂版らしい。そうだろうな、2009年のわけがない。この本以来マーチンガー ドナーは色々探して読んだ。イラストも抜群。イラストレーターは誰だったのかな?

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aha! Insight ひらめき思考 1 – 2009/10/16
aha! Insight ひらめき思考 2 – 2009/11/21
単行本(ソフトカバー) 日本経済新聞出版
マーチン ガードナー (著), 島田 一男 (翻訳)

デザイン事務所に勤めていた頃、大型プリンタ用のロール紙の残量をこの本に載っている「同心円の外円の面積から内円の面積を引いた面積は、外円で切り取られる内円の接線の長さを直径とする円の面積に等しい」という話を応用して計算で出したら、「そんな所測ってわかるわけないやろ。」と叱られて、証明して見せたら驚かれた。Insight は見抜くこと。

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ゲーデル,エッシャー,バッハ―あるいは不思議の環
単行本 – 1985/5/1 白揚社
ダグラス・R・ホフスタッター(著), 野崎 昭弘 (翻訳), はやし はじめ (翻訳), 柳瀬 尚紀 (翻訳)

新版が出ているが、表紙のデザインは断然上掲の旧版の方がいい。それだけの理由で買い直すなら間違いなく旧版にしたいと思うほど。

無限論の教室
(講談社現代新書) 新書 – 1998/9/18 講談社
野矢 茂樹 (著)

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素数夜曲―女王陛下のLISP
単行本 – 2012/6/1 東海大学出版会
吉田 武  (著)

自然科学

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生物から見た世界
原著:Streifzüge durch die Umwelten von Tieren und Menschen: Ein Bilderbuch unsichtbarer Welten (1934)
(岩波文庫) 文庫 – 2005/6/16 岩波書店
ユクスキュル (著), クリサート (著), 日高 敏隆 (翻訳), 羽田 節子 (翻訳)

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生命とは何か: 物理的にみた生細胞 
原著:What is life? (1944)
(岩波文庫) 文庫 – 2008/5/16 岩波書店
シュレーディンガー (著), 岡 小天 (翻訳), 鎮目 恭夫 (翻訳)

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ウィーナー サイバネティックス――動物と機械における制御と通信
原著:Cybernetics: or Control and Communication in the Animal and the Machine (1948)
(岩波文庫) 文庫 – 2011/6/17 岩波書店
ノーバート・ウィーナー (著), 池原 止戈夫 (翻訳), 彌永 昌吉 (翻訳), 室賀 三郎 (翻訳), 戸田 巌  (翻訳)

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数学における発明の心理
原著:The Psychology of Invention in the Mathematical Field (Dover, 1954)
単行本 – 1990/12/1 みすず書房
J. アダマール (著), 伏見 康治 (翻訳), 大塚 益比古 (翻訳), 尾崎 辰之助 (翻訳)

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鏡の伝説―カオス・フラクタル理論が自然を見る目を変えた
Turbulent Mirror: An Illustrated Guide to Chaos Theory and the Science of Wholeness (1971)
単行本 – 1991/11/1 ダイヤモンド社
J. ブリッグス (著), F.D. ピート (著), 高安 秀樹 (翻訳), 高安 美佐子 (翻訳)

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新版 自然界における左と右
単行本 – 1992/5/1 紀伊國屋書店
原著:The New Ambidextrous Universe: Symmetry and Asymmetry from Mirror Reflections to Superstrings (1990)
マーティン ガードナー (著), Martin Gardner (原著), 坪井 忠二 (翻訳), 小島 弘 (翻訳), 藤井 昭彦 (翻訳)

時間とは何か、空間とは何か

時間とは何か、空間とは何か――数学者・物理学者・哲学者が語る
単行本(ソフトカバー) – 2013/6/26 岩波書店
原著:On Space and Time (Cambridge University Press, 2008/9/25)
英語版 Shahn Majid (編集), Alain Connes (寄稿), Michael Heller (寄稿), Roger Penrose (寄稿), John Polkinghorne (寄稿), Andrew Taylor (寄稿), 伊藤 雄二 (翻訳)

この本を購入したのが2018年3月3日。そして火事にあったのが3月13日。10日で読んだかって?もちろん読んでない。火事の直前まとめて何冊か買った中で一番楽しみにしていた1冊。わりと値のはる本だっただけに2回買うのが何となく嫌でまだ読めていない。鎮火後に家に入ったら、放水でぐちゃぐちゃになって、無惨に破れ、消防隊員の足跡が付いていたっけ。これは読むなってこと?「時間とは何か、空間とは何か」と考えずにはいられなかった。(足跡は少々ショックだったとはいえ、消防隊員の方には感謝しかない。火事場とはまさに非常事態で物に対する想いなど無いに等しいんだなと改めて思った。)

進化の謎を数学で解く

進化の謎を数学で解く
単行本 – 2015/3/27 文藝春秋
アンドレアス ワグナー (著), Andreas Wagner (原著), 垂水 雄二 (翻訳)

哲学・思想・宗教

哲学

よりよき世界を求めて

よりよき世界を求めて
(ポイエーシス叢書) 単行本 – 1995/1/1
カール・R. ポパー (著), Karl R. Popper (原著), 小河原 誠 (翻訳), 蔭山 泰之 (翻訳)

第一の世界は物理的事象の世界、人が感知するしないに関わらず、そこにある物とその変化。第二の世界は人が感知し理解した世界、インプットの総体として浮かび上がる世界認識。第三の世界は人が世界に働きかけ作用した世界、人のアウトプットを含めた総合的な社会的世界。ポパーはこの「第三の世界」で、自然科学的ものの見方を政治、経済、芸術、人の営みなど、人と世界の関わりにまで視野を広げ、世界を分析的に見ようとした。自然を客観視することで神にとって変わった自然科学だが、それは依然、人間社会を包摂するところにまでは至っていない。人は自然の一部に過ぎないと自然科学は教えるが、当の自然科学は人の思索の一部に過ぎないのだ。このことは、熊楠の「ことの学」、ユイグの「量の支配から逃れ、道徳・美学・聖なるものが依存する質の方にも目を向けるべき」という主張と重なってくる。正しく認識するとすればこうだろう。自然はどこまで行っても人間の考える事の外側にはみ出していて、人間の考える事は自然の外にはみ出しているのだ。両者の交わるところのみが自然科学の範疇なのであろう。そして、これまで両者の交わるところの中でも「自分たち以外の部分」の認識を広げる事しか考えてこなかった。ポパーは鏡で自分たちの姿も見よと言っているのだ。

宗教

禅


(ちくま文庫) 文庫 – 1987/9/1 筑摩書房
鈴木 大拙 (著), 工藤 澄子 (翻訳)

欧米人向けに開かれた講演録の邦訳というだけあって、難解な禅問答のイメージがある鈴木大拙の著作の中では出色のわかりやすさだ。この後、鈴木大拙は何冊か読んでみたが、読者に対する姿勢が全く違って面食らった。

エリアーデ世界宗教事典

エリアーデ世界宗教事典
単行本 – 1994/12/1 せりか書房
ミルチャ エリアーデ (著), ヨアン・P. クリアーノ (著), 奥山 倫明 (翻訳)

龍樹

龍樹
(講談社学術文庫) 文庫 – 2002/6/10
中村 元 (著)

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