プロ研修医の戦い方



プロ研修医とは


先日フランケン先生の時事ラジオで興味深い話題があった。

ラジオでは、スキルも責任感もないけれど、「研修医」としては超一流、専門医の下働きとしては超有能、そういう存在の研修医を「プロ研修医」と定義している。自分で責任をとったりスキルを持つ能力はないけれど、5-10年目程度の駒遣いとし機能する分には十分な医師。

彼らは怒られるのを避けることを最優先の行動原理とする。その日、その場の空気を読み、今日明日をうまく立ち回ることができる。

彼らは自分の仕事内容や診察内容に責任を持っていない。診察した所見で間違いを指摘されたら所見の取り方を教わるのではなく、「じゃあ答えを教えてください」と正解を教わろうとする。自分自身が記載した所見に対する責任感は皆無。

教育制度自体が形骸化し、さらに臨床の先行きの不透明さやどん詰まり感も相まって、現在こうした「プロ研修医」が爆増中である。
個人的には他人のことを言えないし、致し方ない面もあると思う。「指導」がともすればハラスメントになりうる時代、教える側は指導をしたいとは思わないし、研修医世代も業界自体の先行きへの不透明感から、「指導」を耐え抜いてでも頑張ろうとは思えなくなっている。

しかしフランケン先生は言う。
このような人材の末路は使いやすい木偶の坊だ、と。上に怒られないことを最優先に考える若手、マジで将来詰むよ、と。

30代半ばまでに自分の差別化要因を作って/使って、
会社の中or外の人間に評価されて、
自分の価値を金に変えていく。
そして給料以外の収入を手に入れて、
最終的に独立していく。
今の若手世代は、これをできないと奴隷になっていく世代だから。「上に怒られない」が正義みたいに動いていたら、絶対にダメ。
そう言っている。

プロ研修医の今後について思うこと


これを踏まえて自分が思ったこと。
木偶の坊という末路は同感。ただ、若手世代ならではの戦い方もあるかなと思う。
怒られ慣れていない若手世代が、たとえ怒られたとしても、不遇な目に遭ったとしても継続してやれることは、熱量を持ち続けられるものしかないのでは。それくらいの思い入れがあることでないと、絶対に長続きしない。

若手世代は「人生かけてこれをやりたい」みたいなことを見つけて、それにコミットしていくことがベストなのでは。それくらいの熱量を持てるものでないと、多分継続してやり続けることはできない。ちょっとやってみよう程度のものだと、多分心が折れる。
そしてきっとそう言うことを見つけられた人間は、主観的にとても幸せな人生になると思う。

子供時代の公文式から医学部受験、国家試験までの「集団から外れずに、一定以上のラインをキープし続けろ」を行動原理としてきた医師にとっては、そのコミットできることを見つけることが最も高いハードルかもしれないけれど。

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