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どうしても、百恵ちゃん

「伝説のコンサート 山口百恵」

「幸せになります」。山口百恵は1980年10月5日、東京・日本武道館でこう言い残した後、芸能界を引退した。最後のコンサートから40年。特集番組「伝説のコンサート 山口百恵」(BSプレミアム、10月3日夜9時)として放送する。

2020年9月28日朝日新聞朝刊より

この記事を見つけ、最後までじっくりと読んで、有料チャンネルではないこと・録画可能なこと・なんならリアルタイムでだって見られないこともないことを確認してのち、しみじみと思いました。

永かった、と。

大好きな百恵ちゃんの伝説の引退コンサートを、わたしは一度も見たことがありませんでした。もちろん例のあの、「さよならの向こう側」を歌い終えた白い衣装の百恵ちゃんがマイクを床に置く感動のシーンは時々放映されるので知っていましたが、それきりでした。

見たいに決まっているけど、どう見たらいいのかわかりませんでした。何かしら策を講じて人から見せてもらうとか、なんとなく細切れにうっかり、とかなんて絶対に許せないし、DVDを買うのもなんだかなあ、なんか違う※と感じて手が出ませんでした。

※特典映像付きとかに煽られてDVDを買い、保管するという行為すら冒涜に感じた、ようなきがいたします。どんだけやの。

それがやっと普通にテレビで、しかも全編 !! 見られると !!!

ああ、永かった……。

当日は家のテレビ2台に録画をセット。開始直前、家族が揃うリビングで「ちょっとだけ、見てもいい?」と手を合わせてチャンネルを合わせたんですけど、そりゃあねえ「ちょっとだけ」なんて、もちろん無理に決まってたんでした。

かぶりつきの2時間半。テレビ画面に全神経を集中。往年の、あの頃の、神々しいばかりに美しい百恵ちゃんが見られる喜び。その姿に、声に、涙しながら眼球をこらし、ほとんどの曲を振付け付きの口パクで歌いながら、ときおり「至福だ……」とつぶやくわたしから、家族はそっと距離を取っていてくれました。ありがとう。すまないね。

百恵ちゃんのファンとして

「百恵ちゃん、いいねえ」と最初から騒いでいたのは母と祖母だったように思います。週刊誌が大好きだった母は、百恵ちゃんの複雑な生い立ちのことをいい話のタネにしながら、とにかく「百恵ちゃん」が大好きで、褒めたいばかりに「かわいい、かわいい」とばかり言っていたけど、「かわいい」は無理がある、と子ども心にも感じていました。「かわいい」とは別次元の魅力だと。

目がくりくりっと大きくて、笑顔キラキラかわいくポーズ、のアイドルの中、百恵ちゃんはデビュー時から異色でした。切れ長の目に、愛想笑いをしない引き締まった口元。いつもどこかしら納得がいかないとでもいうような、不機嫌ぎりぎりの、警戒を怠らない表情。判で押したように、ヘアメイクも表情も画一化されていた当時の「アイドル」の中、そんな彼女のゆるぎない「個の強さ」にわたしも、そして世間も惹かれたのだと思います。

百恵ちゃんといえば、で思い出すことや言いたいことが多すぎて、とっちらかってしまうんですけど。まずはやっぱりあれかな。

「テレビで見るときの歌唱と見た目が発売されたレコードと全然違ってる問題」

アイドル歌手の皆さんの画一化ぶりは当時本当に強力でした。判で押したよう、というか、糊付けしたみたいでした。事前に用意されたコメント、決まった動き、毎回毛先まで同じかと思われる髪形でもって、発売されたレコードの節回し通りに歌う。

ところが百恵ちゃんときたら、テレビで新曲を披露する段階で、歌唱も髪型もがらりと変えてしまう。変えてしまうというよりも

レコーディングの段階ではまだ(わざと?)仕上げていないのか

レコーディング後に「この歌はこうなのよ!」を発動するクセがあるのか

両方でしょうか。

まちわびた新曲を耳にするタイミングは、当時のこととてラジオ、それも、深夜ラジオだったりします。で、しばらくすると、いよいよテレビで本人歌唱の新曲が聞けるんだけど、百恵ちゃんの場合そこで歌唱をガラッと変えてくるし、勇んで買ったレコードのジャケットなどもうすっかり「過去の百恵ちゃん」というくらい、髪型やムードを進化させてくる。

特に歌。当時生放送では、口パクで歌うことも多かったけれど、百恵ちゃんの場合、普段の歌い方とレコードとではあまりにも違うので、すごい違和感でした。とはいえ、「別の歌ほど違う」と感じていたのは、少なくとも家族の中ではわたしだけだったらしく、「あ、これうたってない」などと指摘するたび、そんなこと言うもんじゃない的に叱られていました。

アルバムが発売されるたびに買っていた

毎回もらえる巨大な百恵ちゃんの全身ポスターを貼った部屋の中、テレビからしか洗練された歌唱が聞けない辛さはなかなかのものでした。ラジオから流れる曲だって当然レコードのものだし。録画なんて一般家庭では望むべくもなし、の時代です。生放送の歌番組の時間だけが、百恵ちゃんの歌の世界を堪能できる至福のひとときをもたらしてくれるものでした。

最近になって当時の生放送の歌番組をいくつかYouTubeでみました。すると、時代性もあるんでしょうが、番組の中にはずいぶん、こと「アイドル」に対して失礼な態度をとっている司会者がいました。その中で表情を硬くしている百恵ちゃんをみたとき、引退の理由の最たるもののひとつはこれではないかと思ってしまいました。

今回はじめて百恵ちゃんのコンサートを見て、はじめて生の百恵ちゃんに少しは触れられた気がしました。彼女のこだわりの強さ、意思を曲げない強さ、完璧主義。そしてそれらを年若い精神の中に育て上げた上でにじみ出る素の可憐さ。尊敬と崇拝の気持ちしかなかった「百恵ちゃん命」のわたしの中に今回初めて「あれ? かわいい」という驚きが芽生えました。こんな彼女を当時テレビで見ることはついぞなかった。見なかったというより、見ようとしていなかった。当時のわたしは、ただただ「百恵ちゃん百恵ちゃん」と騒ぎたて、偶像を崇拝するばかりだったし、それが当時は、どんなに抗おうとしてもぬぐえず、人のイメージの中でしか生きられない「アイドル」の宿命だったんでしょう。

いつも不機嫌そうな表情をしているというのは、わたしの目にそう見えたというあくまでイメージなのであって、実際の百恵ちゃんはアイドルの仕事を完璧にこなしていたはず。引退コンサートを見てもそう思いました。「引退コンサート」という仕事を完璧にこなし、職人のように歌手を全うして、百恵ちゃんは去っていきました。

今なら、と思います。今の、「アイドル」含めすべての人が人として尊重されるべきだという時代なら、百恵ちゃんの素の声、素の表情がもっと見られたのではないか。そして、もっともっと長く、芸能活動を続けてくれたのではないかと。

ともあれ、やっと手に入ったコンサート映像。座右です。


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