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テッド・バンディ感想

非常に肉体的な映画で、そういった意味では非常にアメリカ的だ。

私はアメリカ文学が好きだ。マッカーシーがきっかけで何冊か読んでみると、ヘミングウェイが象徴的だがアメリカでは徹底的に内面的な描写を排し、肉体の動きのみを描いて物語を紡ごうとする一派がいる。

批判されることもあるが私はこれが好きで、というのも人の気持ちをこちらで汲み取り考えて物語が完結するからだ。心理描写を細かく書かれるとなんだかつまらないのである。

だって人の気持ちなんてわかるわけはないからだ。

テッド・バンディは自白しているだけで30人以上の女性を殺している。ただ殺しているわけではなくて誘拐したり、強姦したり、拷問したりして殺している。なかには15歳の女性もいた。子供である。死体の首を切って保存したりもしていた。

今では(主にフィクションで)よく聞くシリアル・キラーというのはテッド・バンディがきっかけで生まれた言葉だ。

私もご多分に漏れず思春期にはサイコパス、シリアル・キラーなんかに夢中になった。平山夢明さんの「異常快楽殺人」から入って、彼らのやったことに関するウェブサイトを読み漁ったものだ。彼らのその非人間性を理解したかった。

この映画もテッド・バンディという一人の人間を理解しようとする試みだ。そして彼が何を考えていたのかは他人には決してわからない。だからこの映画では彼がどう振る舞ったのかというのを克明に書いている。だから肉体的でアメリカ的なのだ。

テッド・バンディといえば殺人者だから普通は彼が犯した罪悪に関して題材を取るだろう、絵的にも派手であるし。ところがこの映画では彼が唯一殺さなかった恋人との関係と、逮捕されてから死刑を宣告されるまでの裁判の顛末を書いている。残酷なシーンは一つしかない。

この映画では彼を一人の人間として書いている。モンスターであっても、彼は人間でもあったのは確かだ。

そんな彼の一面をエリザベス・クレプファーという彼と交際し、殺されなかった女性との関係から暴こうとする。

バンディが逮捕されたあと、なぜエリザベスはあんなにも長い期間苦しんだのだろうか?騙されていたから?違う。彼女はそんなこと一回も言っていない。罪の意識だろうか?確かにそうだろう。

ただそれだけは不十分であると思う。彼女ははっきりと何回か女友達や会社の同僚(後の新しい恋人)に言っていた「彼(テッド・バンディ)を愛している(または愛していた)」。つまり彼女が苦しんだのは愛していた人が血も涙もない殺人鬼だったからだ。とはいえエリザベスはテッドを愛していた。テッドはエリザベスには暴力を振るわなかったし、ハンサムで会話もうまい恋人だった。バツイチの彼女の娘に対しても優しかった。エリザベスはテッドに疑問を抱かなかったわけではないが、彼を愛した。彼が殺人鬼だとわかったからと言っても彼と過ごした幸せな日々がなくなるわけではない。当たり前だ。過去たしかにそういった時間があったのだから。いくら彼がモンスターでもエリザベスはバンディといて幸せだった。それが彼女には苦しかったのだ。(私はキングの書いた切手集めを趣味とする夫が連続殺人鬼だだったことに妻が何十年も立ってから気づく、という実話をもとにした小説を思い出した。)

私がこの映画が大変面白かったと思うのは、後半のシーンだ。死刑前のテッドにエリザベスが会いに行く。彼女の罪の告白は割とあっさり終わり、彼女はバンディに問いかける。「本当にあなたが殺したのか?」と。ここでのバンディの回答が全てである。そしてバンディのあの回答。

なぜバンディはエリザベスを殺さなかったのか?答えは彼女を愛していたから。それだけだ。エリザベスに関してはバンディは一人の男だった。彼女に恋する。私は異常な連続殺人鬼、おそらくサイコパスかソシオパスなのだろうテッド・バンディが実はいいやつだったと言っているのではない。彼はモンスターでしかし同時に人間であった。彼は極刑にされて然るべき人間だったが、彼はしかしエリザベスを愛した。それだけだ。

話は変わるがアメリカにはKodak Blackというラッパーがいる。ブルーノ・マーズの楽曲に参加したりして売れているミュージシャンだ。しかし彼は友人二人を射殺した殺人犯でもある。多分日本ではこんな経歴があれば売れるどころか音楽活動することすらできないだろう。アメリカはその人がどんな人であっても才能は認める、という文化があるように感じる。これは多様性を認めるということでもあり、その多様性というのは人種や性別に限らず、単一の人間の個性にも当てはめられる。

日本では犯罪を犯した人間は徹頭徹尾悪人として捉えられることが求められているが、アメリカでは違う。この映画は異常な悪人テッド・バンディの殺人以外の人間性を拾い上げた。彼がなぜ30人以上の女性を殺害したのかは溶けることのない謎であるが、彼がエリザベス・クレプファーという女性を何故殺さなかったのという問いに対して、監督ジョー・バリンジャーなりの回答がこの映画で示されている。

その人がどういう人なのかはその人の行動を見るのが良い。彼、彼女の発言が一番わかり易い。ただ人間は嘘を付く。全然好きじゃなくても愛しているということができる、かんたんに。特にテッド・バンディは弁が異常に立つ。法廷での彼を(彼が殺人鬼だと知っている)私達が見ると彼の嘘がわかる。だが彼が何をしなかったのか、なぜエリザベスを殺さなかったのかという問題を提示されたとき、ある程度バンディのことを知れたような気になれるのである。(実際には彼を知ることはできない。)

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