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遅い決断が政権の命取りに 1日遅かった葉梨法相の更迭

◎ 法務大臣の職務を軽視した「葉梨失言」

 2022年11月9日の夜に、東京都内で行われた自民党・武井俊輔外務副大臣の政治資金パーティーで挨拶をしたのは、葉梨康弘法務大臣(当時)だった。ここでの発言が、自らの首を締めることになる。

 「法務大臣というのは、朝、死刑のハンコを押しまして、それで昼のニュースのトップになるというのは、そういう時だけという地味な役職なんですが…」
 いわゆる“死刑のハンコ”発言である。そして、そのまま、息もつかせず、次の発言に入る。

 「今回はなぜか旧統一教会の問題に抱きつかれてしまいました。ただ抱きつかれたというよりは、一生懸命その問題解決に取り組まないといけないというようなことで、私の顔もいくらかテレビに出るようになったということでございます。」
 旧統一教会の問題に「抱きつかれ」、それによって自らが「テレビに出るようになった」と表現したのだ。

 そして、武井俊輔議員が外務副大臣であることから、外務省と法務省の共通点を話し始める。ロシアによるウクライナ侵攻への対応に当たっていること、国の根幹をなす仕事であることにをあげた上で、葉梨氏はこう述べる。
 「外務省と法務省、票とお金に縁がありません。外務副大臣になってもお金は儲かりません。法務大臣になってもお金は集まりません。なかなか票も入りません。」
 自らの職務は金にならないと評したのである。

 のちに葉梨氏は、”死刑のハンコ”発言と同様の発言を東京のパーティーで4回、地元でも複数回行っていたことを認めた。この”死刑のハンコ”発言は、葉梨法務大臣にとって挨拶の鉄板フレーズだったのである。賛否両論ある死刑制度をわざわざ話のネタにして、その職務を「地味」と称する。自虐にしては、軽すぎるのではないだろうか。
 また、旧統一教会問題に関連して、悪質献金等による被害者救済のための新法策定を、岸田総理のもとで政府が急ピッチで進めている中で、その被害者救済に関与する法務大臣が、旧統一教会の問題に「抱きつかれ」、それによって自らが「テレビに出るようになった」と表現した。表現が不適切であり、タイミングも悪すぎた。


◎ 初動対応を間違えた葉梨氏

 9日から”死刑のハンコ”発言を筆頭として「葉梨失言」が報道され始め、10日朝には松野博一官房長官が、葉梨法務大臣を官邸に呼び出し、言動を注意した。長官との面会後、葉梨氏は「法務省の職務を軽んじるような印象を与えたとすれば、率直にお詫びを申し上げる」(※1)と発言したものの、発言を撤回する考えはあるかと記者団に問われた際に、このように答えた。
 「今のところそういう考えはありません」(※1)

 しかし、その約2時間後、参議院・法務委員会では、このように発言する。
 「私の本意ではない、そういう印象を与えてしまった。このことについては、その発言について再度お詫びを申し上げるとともに、改めて撤回をいたします。」
 一転して発言を撤回したのである。

 そして、11日の閣議後記者会見では、過去にも“死刑のハンコ”発言と同様の発言をしていたと認めた上で、「全て撤回」した。その後の衆議院・法務委員会では、"死刑のハンコ"以外の発言についても撤回する旨の答弁をした。

 その日の夕方、葉梨法務大臣は、岸田総理に辞表を提出。岸田総理はそれを受理した。
 「地味な役職」と自身が称した法務大臣の座に在位していたのは、わずか93日間のことだった。


◎ 1日遅かった葉梨氏の「更迭」

 今回の葉梨氏の辞任は、事実上の更迭と見られる。
 10日には「説明責任を果たしてもらいたい」としていた岸田総理だが、11日の夕方、葉梨法務大臣を更迭する意向を固め、与党幹部にその旨を伝えたという。(※2)
 この「更迭」が11日の夕方というタイミングになったことについて、ある総理周辺は「説明責任を果たさせてから辞めさせるというのが岸田流」と表現した。(※3)
 9日夜の失言後、10日の朝に官邸で記者団の質問に答え、参議院・法務委員会、11日には閣議後記者会見、参議院・本会議、衆議院・法務委員会と、説明の場を多く与えた上で、「説明責任を果たさせ」、更迭したという言いぶりだ。

 しかし、この「更迭」の判断は1日遅かった。
 岸田総理はASEAN、G20、APECといった国際会議に出席するため、11日に日本を出発する予定だった。更迭を夕方に行ったため、新大臣の認証式などを行う必要があり、出発時間は約10時間遅れることになった。これによって、ラオス、ベトナム、ブルネイとの2国間会談は中止となった。
 後日、立ち話などでこれらの国と首脳会談を行い、リカバリーを行ったが、外交日程に大きな穴を開けたことに変わりはない。

 岸田総理は、10日の夕方に、葉梨法務大臣を更迭すべきだった。
 参議院・法務委員会での説明を受けて、更迭をすれば、外交日程に穴を開けることは避けられた。外交を得意とするという岸田総理にとって、外交日程に穴を開けることは、避けるべき事態ではなかったのか。

 法務大臣の失言といえば、民主党政権下の2010年に、当時の柳田稔法務大臣が「法務大臣とは良いですね。2つ覚えときゃ良いんですから。 個別の事案についてはお答えを差し控えますと、これが良いんです。 わからなかったらこれを言う。後は法と証拠に基づいて適切にやっております。この2つなんです。まあ、何回使ったことか。」と、法務大臣の職務を軽視した発言を行ったことが、真っ先に思い出される。
 この時、野党だった自民党は、柳田氏を攻め立てて、辞任に追い込んだ。
 あれから10年以上経った今、いざ自民党政権で、法務大臣が職務軽視の発言をしたら、「更迭」という決断を早急にできなかったのは、決断力不足と言わざるを得ない。

 無論、何の考えもなく、「更迭」を先延ばしにしたわけではない。
 葉梨大臣の更迭を先延ばしにして臨んだ11日の参議院・本会議では、本国会の重要法案である感染症法改正案の質疑が行われた。岸田総理が葉梨大臣を更迭する意向を固めたという報道がされたのは、その後のことである。
 タイトな国会日程に穴を開けたくないということなのだろう。岸田総理は、目の前にある、重要法案の質疑を予定通り行うために、葉梨氏の「更迭」を1日遅らせたのである。

 しかし、結果的に、岸田総理は11日まで「説明責任を果たしてもらいたい」と言い続けるしかなくなり、優柔不断、そして決断力不足のイメージが植え付けられることになってしまった。
 そして、法務大臣を更迭したことによって、悪質献金等による被害者救済のための新法の策定がよりタイトなスケジュールとなるなど、国会日程に不安材料が加わることになった。


◎ 遅い決断が政権の命取りになる

 旧統一教会との関係性を問題視され、次から次へと関係性が指摘された山際大志郎前経済再生担当大臣が辞任を表明したのが、10月24日。
 それから18日後の葉梨康弘前法務大臣の辞任。

 閣僚の辞任が相次ぐわけであるが、気になるのは、問題発覚から辞任までの期間が長いことだ。 
 山際氏については、以前から関係性が指摘されていたのにも関わらず、8月の内閣改造で大臣ポストから外さずに再任した。その後、会見が行われるたびに新たな接点が指摘され、答弁が苦しくなってから、首を切った。
 葉梨氏については、目の前の予定を優先して、更迭を1日先延ばしにし、首を切った。
 岸田総裁の下での自民党は「決断と実行」をスローガンとしてきたはずだが、その決断と実行までに至るのが遅い傾向にある。

 内閣支持率が低下する中で、政権に対する求心力は低下し続けている。
 寺田稔総務大臣や秋葉賢也復興大臣が政治資金の問題で野党から追及され続けているが、何もしないままでは、山際氏と同じ状況に追い込まれかねない。
 2021年の衆院選、2022年の参院選で勝利を収めた岸田政権だけに、自ら手にした安定した政権基盤を、自らの決断の遅さによって、失うようなことになっては、残念としか言いようがない。


 引用文献一覧

※1 : ANNnewsCH「【速報】葉梨法務大臣、今後も「職責を全う」 死刑巡る発言で釈明(2022年11月10日)」, https://www.youtube.com/watch?v=tI159XYW72U
※2 : NHK「岸田首相 衆議院茨城3区選出の葉梨法務大臣を更迭へ」, https://www3.nhk.or.jp/lnews/mito/20221111/1070019155.html
※3 : 毎日新聞「3週間足らずで2閣僚…「辞任ドミノ」に現実味 過去の政権の末路」, https://mainichi.jp/articles/20221113/k00/00m/010/003000c


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