いまなぜかこの本

今夜、すべてのバーで
     
         中島らも

 中島らもさんが亡くなったときは、あっ、やられた、と思った、ことをよく覚えている。死とはこんな具合に人を不意打ちにするものなのだ。ぼくが、らもさんという作家の最良のファンだったわけではないが、この作家が本物なのだ、という感触は、この表題の一冊を読んですでに確信に近いものとなっていた。この本の中では、アルコール中毒の人々の悲喜交々が、極上の私小説として描かれている。例えば冒頭の医者とのやり取り~「普段からこんな色なんですか、あんたの目」・・・「はあ。まあどっちかと言うと濁ってるほうですが。でも少し黄色っぽいかな」「すこし じゃないでしょう。顔の色だってほら、まっ黄色だ」
「黄色人種だからね」
おれは口をきくのもだるかったのだが、癖で軽口を叩いてしまった。~これは本物の喜劇役者の台詞だ。
 本物?奇妙な言い方に聞こえるかもしれないが、それはこうする以外にこの世に存在できない宿命を負った阿修羅のようなものたちのことを指している。もちろん、耐えられない悲しみや苦しみを周囲の人々にあたえたことも、また真実であろう。作中最終章の部下のような恋人のようなさやかとの苦いやりとりは、何度読んでもとても痛々しい。
 ところでらもさんは、酒を原因とするいわゆる[病気]で、命を落としたわけではない、ただその死は、やはり彼らしい宿命的なものであったのだろうと推測せざるを得ない。
 死去の朝の新聞の片隅には、作家中島らも、脳挫傷で逝去、とあった。
 家の中で階段を踏み外したのだ。

 

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