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環境へのスタンス

こんにちは、タイラーです。

WordPressの方で記事を書いて来ましたが、長文になると重くなるので、久しぶりにこちらで書いてみようかと思います。

今日は私の環境へのスタンスについて。

自己紹介的な文章になると思います。

どうぞ、よしなに。


まずは食について、です。

私は幼い頃、小学生低学年の頃、アトピー性皮膚炎を患っていました。

10歳年上の私の姉も同じく、です。

この事により、母は苦悩しました。原因は何か、と。

様々な理由が考えられますが、原因は様々な要素の複合的なものでしょう。

ですが、何かがダメだったのでは、と考えがちなものです。

根本的に治すのは根治と言いますが、アトピー性皮膚炎の原因は多種多様であり、原因の特定は難しく、どうしても対処療法=症状を抑える事で我慢するしかない時もあります。

確かに酷い時はステロイド剤を塗って痒みを抑える事も必要でしょう。だって、痒くて寝れない事もありますから。掻くことでボロボロになったりしちゃいますから。

対処療法と平行して根本治療もやっていく、この両輪は確かに必要なのです。

漢方のお医者にかかっていました。牛乳や卵に対してアレルギーがあるという事もわかって来ました。

アレルギーとは、雑に言うと、敏感過ぎる、という事なんですよね。ある意味、それに対しての許容量が少ない、とも言い換えれるでしょう。

アトピー性皮膚炎も、何かに対して敏感に反応している、という事になるんだと思います。少なくとも私の場合は、です。

私が生まれて約3ヶ月後にチェルノブイリの原発事故がありました。

原子力=放射性物質の力を、多くの人が知るキッカケのひとつとなった事故です。

直接母に聞いたワケではありませんが、おそらく原因のひとつに原発事故の影響もあるのでは、と考えるのが母親の心情ではないでしょうか。

当時の私に、その影響が有ったとか無かったとか、そんな事はわかりません。わかりませんけど可能性が無いとは言えない事は視野に入れて考えるものでしょう。わからないんですから。

そうして母は、様々な事に目を向け、暮らしそのものを見つめる事となるワケです。


既に起こった、あるいは持って生まれた属性があったとしても、

“新陳代謝をして刷新して行くのだろう、命とは”

という、生命それ自体の捉え方から、日々身体を作っているのは何か、

それは食事である。

というのが、当然の思考の流れ・結論でしょう。

そうして、着目する対象が『環境と食』に行き着くワケです。


“子ども”というのは、結果であり課題であり可能性と言えます。

それまでの結果、それからの課題、イコール可能性です。


古くは水俣病など、環境汚染が子どもの先天的病気としてあらわれて来る事もありました。

妊娠中の状態が胎児に密接に影響するのは周知の事実ですよね。


そういう意識、知識ではなく経験から来る意識というのは、どうしても母親の方があるものです。

父親は、十月十日、己の腹に宿した我が子と苦楽をともにしたワケでは無いのです。

胎内の我が子と苦楽をともにしてる人(妊婦、主にツライ事の方が多いでしょう)と苦楽をともにしてる人=父親ですね。

この人はサポーターです。

残念ながらサポートしか出来ません。

ですが、それが出来ます。

話しが逸れてきました。戻します。


結果的に私の敏感過ぎる事(アレルギーやアトピー)は、引っ越しや両親の離婚などの環境変化によって大きく好転し、今では跡形もありません。

私の身体がある意味弱かった事により、母の人生は変わったと思います。

もともとそういう所への関心が無かったワケでも無いのでしょうけれど、環境や食に携わる仕事をパートやライフワークとしてするようになり、ついには地産地消・自然食・無農薬、無化学調味料のレストランを自らやるようになりました。

当然、都市で生きている限り環境汚染して生きる種としての人間として、環境負荷の低い(なるべく自然に還りやすい)洗剤や残飯の肥料化など、人間自らの営みから出るあらゆるゴミや汚水にも、気を配りました。

そうして母は二十余年、環境や食について学びながら自然食のレストランをやり、私も皿洗いから始まりシェフとしても勤めました。

母のそうした人間的に真摯な背中を見て、私は育ちました。


途中、修行と偵察を兼ねて母の店ではない別の外食産業にも勤めました。

外食産業を手広くやってる株式会社で勤めていたある日、

メニューに載せる写真を撮るためにあらゆるメニューを作る日がありました。プロのカメラマンや照明さんも来て。

上司「見栄え重視でよろしく」

厨房で私は料理をしていました。撮影が終わった料理を上司(主任)が下げて来ます。

私としては、後で食べると思っているので、そもそも洗い場の横にある下げたお皿を置く棚に持ってくるのが不可解でしたが、

私「もう置く場所ありませんよ、事務所に並べますか?」

上司「うん、捨てちゃって」



私は、忘れられません。

あの、人道を消し去ったあの人の、あの振る舞いを。


もし上司が心ある人であったならば、「この後皆さんで頂きましょう、勿体ないですし」とか、言えたかも知れません。

ですが、問題はそういう事ではない気がしました。

そもそも「揚げ物、普段通りに揚げないでね。衣が少し色付いてればいいから」と言われた時点でお察し案件ではありました。

もちろんすべての外食産業がこうである、なんて話では無いです。

こんな、勿体ない/食べ物そのものやその過程に携わる全ての人ないしは地球環境への敬意の欠片も無い会社が全てではないと思いますが、たまたま私の勤めた外食産業を手広くやってる株式会社の一部門(1グループ)の洋食部門の1派の私が勤めた店舗が、たまたまこうだっただけなんでしょうけど、私を幻滅させるには充分過ぎる出来事でした。

で、捨てたの?って聞きますか?

当然食べましたよ、食べれるだけ食べて、持って帰れるだけ持ち帰りましたよ。

けれど、そんな事しても一時の私の自己満足でしか無いワケです。今後もメニューが刷新される度に、あの勿体ない/非人道的行為は連綿と続くワケですから。

もちろん言いましたよ?これは勿体なさ過ぎますよ、と。でも聞く耳のある人では無かったし、聞く耳のある体制の会社では無かったんですよ。もういいじゃん。過ぎた事だし。

そんな事もあり、あらゆる点で、あまりにも環境や食品に対しての姿勢が私の育った世界と違い過ぎて、イヤになり辞めました。2年続けるのがやっとでした。

私も当時二十歳そこそこで、理路整然と、かつ新たな提案を出来るほどの力量が、無かったんです。

今となっては、力不足だったなぁ〜なんておもえますけど、当時はなかなかに打ちひしがれたものです。

大量生産&大量消費には歪(ひずみ)がある、という事をその後も沢山目にして行くワケですが、

ちょっとワケわからないなって来たのでこの記事はこのあたりで終わります。

ともかく、

大事なものは失わず社会と折り合いつけて生きる事が私の人生にとって大きなテーマとなっていたワケです。

環境や食からそれは見えてくるよ、みたいなね。

雑なまとめに、なりました。


では、また。





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