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久々の鬱なので、症状を書いてみよう

きました、鬱が。こうして自分で断言してしまうことで、より症状悪化が加速してしまうような気もしますが。風邪などと比べると、まともな状態と鬱の状態のボーダーって曖昧なので、よほど酷くない限りなるべく直視しないほうがいい。鬱な感情と真正面から向き合ってしまうと負のループが始まり、慢性的な抑鬱状態に陥る。僕はそれをよく知っているし、だからこそ普段は無理にでも前向きなキャラクターを演じている。ただ、それは自分に嘘をついているということでもあるので、自分の本当の気持ちと虚飾との間に生じた溝が徐々に深くなり、ある時一気に爆発してしまう。それが今だ、言い切ってしまっていい。ここで言い切らなければ、ちゃんと自分と向き合わなければ、まもなく取り返しがつかなくなってしまいそうだから。

僕は専門家ではないですし、もとよりまだ不明瞭な点が多い鬱、ひいては精神医学について偉そうに語るつもりはありません。そんな知識も了見も持ち合わせていない。ただ、自分の不安定な状態を定義付ける上で「鬱」という言葉が手っ取り早いため、それを都合よく拝借し心情を吐露しているに過ぎない。同じく精神状態が悪化している人でも、いろいろな症状があるでしょう。僕の場合はとても単純で、気持ちの抑揚がたいへん激しくなる。「それって躁鬱でしょ?」なんてリアクションが容易に想像できますが、なるべく一般化した枠組みは使わずに説明をしたい。そもそも、いわゆる「躁鬱」と呼ばれる状態ではないです。

特に何の前触れもない。いきなりである。いつも通りの日常のなかで、突然「なんか今の生活楽しくないよねてか何のために生きてんだろ若くて健康な今でさえこんな状態なのに歳とったらどうなんのヤバくねいやもう生きてられない死んだ方がいい死のう」と、負の感情が大挙して押し寄せてくる。1つ1つの感情と向き合う間も無く、物量に圧倒されて気分がズーンと落ち込む。「もう全部どうでもいいや」感情を処理しきれず脳がエラーを吐く。かと思えば、次の瞬間、明日が休日であることを思い出し「たくさん眠れるじゃん、しあわせ♪」などとフリーフォールさながらの気分の上下が起こり、また数秒後には「は、死にて」とため息が出る。

難しいことは分からない。けれど、あきらかに感情を司る何らかの器官が異常をきたしている。自分の気分に振り回されることに、ひどく疲れるのである。こうして淡々と自分の感情、状態を文字に書き起こすことで、いくらか冷静にはなれます。「鬱と断言したら症状悪化が加速するかも」なんて初めに言いましたが、むしろこれは対処療法としては有効かもしれません。今日はニチアサも観れぬほどに沈んでいましたが、午後からは労働が待っています。12時間後の僕はどうしているでしょうか、ちゃんと乗り切れているでしょうか。そんなことより、今の自分を労ってあげましょう。何かいいことないかな。

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