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いつからテレビ観なくなったんだっけ

若者のテレビ離れだなんて、いつ頃から言われていただろうか。僕はいわゆるテレビっ子で、小学生の頃は暇さえあればテレビを観ていた。とはいっても、お笑い番組やバラエティばかり観ていて、俳優や歌手にはとんと疎かった。僕の観たい番組が放映されていない時間帯は、無限にアニメを垂れ流してくれるアニマックスを観ていた。子どもにとってこれほど有難いものはない。しかしながら、学校で話題になるのは流行りの音楽やドラマが中心だった。当時の僕は、学校ではなかなかの人気者であった。おふざけをしたり、人を笑わせるのが好きだったため、自然と人が集まってきたのだ。だからこそ、いざテレビの話題になった時、周りについていけない疎外感が一層苦しかった。いつだってクラスメイト達は、僕のやることなすこと何でも笑ってくれた。僕が何か新しいことを始めると、たちまちそれがクラス中で流行した。それなのに、どうしてテレビの話題になった途端、君たちはそんなにも冷酷に僕を放り捨てられるんだい。次第に僕はテレビそのものを妬み、憎しみ、アニメ以外は観ることがなくなった。

中学に入る頃には、自分1人がずっと話題の中心でいることなど不可能だと悟っていた。そりゃそうだ、テレビに嫉妬するなんてとんだお門違い。とはいえ、すっかりテレビを観る習慣がなくなっていた僕は、気づけばニコニコ動画という場所に入り浸っていた。そのコミュニティには「まだテレビなんて観てんの?」とイキがる人が一定数いた。異端アピールしたい盛りの僕はそんな小っ恥ずかしい意見を間に受けて、テレビを観るなんて時代遅れだと思っていた。世間の流行に乗れないだけなのに、こうして自己正当化をはかっていた。そうこうしているうちに、スマートフォンが普及、誰しもがインターネットを日常的に使う時代になった。若者のテレビ離れというのは、要は映像メディアがテレビの独壇場ではなくなったというだけのこと。もしテレビ側の人間が「若者のテレビ離れが〜」なんて言おうものなら、それは傲慢きわまりない。なんだかんだドラマのタイトルはXなどのSNSでトレンドワードになるし、番組で自分の推しや好きなアニメなんかが取り上げられているとキャッキャと喜んでいる。大衆の興味が分散したにすぎないのだ。

僕は今でもテレビを必要とする瞬間はある。それは、例えば飲食店だったりサウナだったりする。僕は自室にいる間は好きなゲーム実況者やVTuberの配信を観ている。けれども、もし外にご飯を食べに行って、そのお店で僕の好きな配信者の映像が流れていたとすると、僕はたいそう居心地が悪いだろう。ネットの動画というのは、地上波に比べるとかなり閉じた空間と言える。ディープなファンしか集まらない地下アイドルのライブ会場や、常連客ばかりのコンカフェみたいなものだ。なので、不特定多数が出入りする場所でニッチな動画を流すのはミスマッチ感がすごい。たとえそれがHIKAKINであっても。なんだかこちらが恥ずかしくなってしまう。その点、大衆娯楽としてのテレビは心強い。番組によって狙うターゲット層は違うものの、やはりカバーできる範囲が段違いに広い。様々な業界のタレントを起用しているのも大きい。僕は、サウナで皆が黙々と自分と向き合うなか、湿度の高い空間でテレビの音が普段より歪んで聞こえる、あの時間がたまらなく好きだ。サウナという共通の趣味をもった同志たちが、おなじテレビ番組を観て各々が何かを考える。もちろんテレビになど目もくれない者もいるが、音くらいは聞こえているだろう。テレビがつくり出す、そんな無言の一体感がよいのである。

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