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自分とまったく違うタイプの人と付き合う意味

興味のあるモノや趣味、価値観が自分とぜんぜん違う人っていますよね。いやむしろ自分と似ている人の方がレアですね。僕は自分と趣味や価値観の合う人こそ「話の通じる相手」だと決めつけ、そうでない人間は関わる必要がないと思っていたことがあります。気の合う人間とだけ仲良くしていれば、余計な摩擦も起きずに済みますからね。ですが、今はまったく違う考えに変わりました。実際、いま僕が一緒に働いているメンバーは自分と全然違うタイプの人たちばかりです。年齢の近い人が多いですが、これまで生きてきた文化圏が違いすぎて、初めはどう喋っていいのやら困惑したほどです。しかし、これが不思議と悪い気はしないものなのです。

僕が自分と違うタイプの人と話すキッカケになった出来事があります。大学生の頃にとある人と知り合い、その人からの一言でハッとしたのです。僕は当時、大学をサボってばかりいました。ひどい時は、あえて科目登録をおこなわず丸々半年サボったこともあります。だったら休学しろよ、という話なのですが、親に何と言って休学を申し出ればよいのかわからず、「うっかり科目登録を忘れた」という体で半年大学に行かなかったのだ。今思えばとんでもないパワープレイだが、これも若き大学生ならでは。さて、そんな生活をしていたので、僕は大学での知り合いはゼロ。しかし、大学を攻略する上でソロプレイはとんだ縛りプレイなので、どうにかパーティを組みたい。そこで、僕はSNSを通じて一人の同級生と知り合うことに成功した。もちろん男だ、変な期待をしてはいけない。

ここでは仮に「田中くん」としておこう。田中くんは僕とまったく違うタイプで、大学を休むなどもってのほか。結果から申し上げると、卒業後に彼は大手商社マンになった。多くを語らずとも、いかにまともな人間であるかがご理解いただけたかと思う。そんなわけですから、僕は田中くんと何を話していいかわからなかった。しかし、授業を攻略していく上で仲間は必要なので、ビジネスライクな付き合いをすることになる。とはいっても、田中くんが優秀すぎて僕が提供できるモノは何もありませんでしたが…。せいぜいご飯をおごるくらい。彼からすれば、僕にノートやメモ付きのレジュメを貸してくれたのは慈善事業の一環だったのでしょう。心やお金にゆとりのある人間はボランティアや寄付をしてくれるという社会の縮図ですね。僕はいつも「面倒くさい」「行きたくない」ただそれだけの理由で授業をサボっていました。というかそれ以外に理由なんてありますか?誰だってそうでしょう。そんな勢いで田中くんに「よく毎回授業に来れるね、休みたくならないの?」と聞いたことがある。すると彼は「授業を休んでまで優先したいイベントがあれば休むけど、そうでなければ休まない」と言い放った。僕としては目からウロコでした。友達からBBQに誘われたとか、参加したい催し物があるとか、そうでなければ授業を休まない・・・?一体何を言っているんだこいつは。授業を休む理由なんて「休みたい」以外にあるはずがない。そんな僕の固定観念を見事に粉砕した。まあ、だからといって僕も同じ考えになったわけではないです。しかし、自分と異なるタイプの人間は自分が考えもしないようなアイデアをくれたりする。お互い様なんですけどね。要は、いろんなタイプの人間が所属するコミュニティのほうが、趣味や価値観に多様性があって面白いということです。同じタイプの人間ばかりの環境は、興味や知識の深掘りはできますが、視野が狭くなる。それが100%悪いとは思いませんけどね。もし長く人間関係を続けるのであれば、趣味や価値観の合う人のほうがよいと思いますし。ここまで言えばお分かりかと思いますが、僕と田中くんの縁は大学限りで終わりを告げました。どちらの関係も一長一短ですね。

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