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気づけば若者ではなくなっていた

ネットではたびたび【悲報】Z世代さん、フロッピーディスクを知らない、みたいなスレなりSNSの投稿なりを見かけます。ネットが無い時代でも、会社の上司らが「そっかぁ、今の若いモンは知らないかあ…」という、自虐風の見下し発言をする文化はあったことでしょう。会話の中で上記のような流れになるとすれば…

先輩「いきなり雨降ってきてめっちゃ濡れたわ〜チョベリバ〜」

後輩「大丈夫ですか?ていうか…チョ、チョベリバってなんですか…?」

先輩「!?」

というように、上の世代の人間が何となしに発した言葉が若者に通用しない、という感じでしょう。これが大半だと思う。ていうかあんまりいい例じゃないな。チョベリバ/チョベリグは僕もあんまり馴染みないし。

僕はカルチャーショックを受けるほど歳の離れた人と喋る機会がないので、そういう衝撃を受けた実体験もほぼない。けれど先日、違う角度からの奇襲に遭い「ぐぬぬ…」と唸ることがあった。

Xを眺めていたら「00年代のラノベの表紙絵って良いよね」というテキストと共に、ハルヒと緋弾のアリアの表紙画像が貼られた投稿がプチバズしていた。そして「わかる〜」「完全にデジタル絵じゃなのがいい」という共感のリプライも寄せられていた。わかる、僕にはわかるぞ。これは決しておじさん達が過去を懐かしんでいるのではない!若者が”レトロな文化”として楽しんでいるのだ。

そもそも、当時の深夜アニメに熱狂していた現おじさんであれば、ハルヒと緋弾のアリアを並べないでしょう。数字上で見れば同じ00年代ですが、当時を生きた感覚からするとこの2作品が並んでいることに違和感を禁じ得ない。優劣の問題ではない。極端な例を出せば、書店でドラゴンボールとワンピースが「少年ジャンプの代表作品」として隣同士で並んでいるような感じでしょうか。そりゃそうなんだけど…という。

「00年代の作風、良い!」と言ってくれる若者も、当時の作品を回顧する僕たちも、一見すると同志のように思える。しかし、若者達は現代ではお目にかかりにくい希少性に新鮮さを見出しており、僕たちはただ過去を懐かしんでいるだけだ。僕たちが時代の最先端として楽しんでいた作品は、今の若者に古典として楽しまれている。

ええい、こんなことで自分から壁を作っているから厄介な老人になるんだろうが!作品をこよなく愛する気持ちがあれば、アプローチの角度が違うくらい関係ない。同じ好事家同士、分かち合おうじゃないか。

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